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#10 日本全国ツアーのやり方

人物、バンド名等説明
・ ツアーTシャツ
:事務所などに所属しないインディーズのHARD CORE PUNKバンドは、スポンサーがいるわけでも、資金援助があるわけでもない。全て自分たちでツアーを組み、宣伝し、ライブを行うが、ツアー資金のためにグッズを作り、各会場で販売する。当時日本のインディーズで、こうしたやり方を始めた先駆者的なバンドが、LIP CREAMなどのHARD CORE PUNKバンドの可能性もある。

#10 日本全国ツアーのやり方

 俺が19歳だった1986年「THRASH TIL DEATH TOUR」でツアー経験はあったが、個人でついて行っただけでライブはやっていない。そして翌年の1987年には、20歳で初めて自分のバンドによる全国ツアーを経験する。
 1988年に21歳になっても、相変わらず宿なし生活は続いているのだが、放浪居候生活にも段々と限界が見え始めていた。しかし、ツアーというものが無宿人の俺にとっては非常にありがたいライフスタイルだった。
 行くところのない俺にとって、1週間、10日でも1か月でも、寝る場所の心配をしなくていいので、精神的にかなり落ち着く。その上大好きなハードコアパンクバンドのライブを毎日観られて、自分のバンドの演奏まで出来る。おまけに金もかからず飯が食えたり酒も飲め、友人まで増えて行き、バンドをやっていなかったら訪れることなどないであろう街にも行ける。
 それだけでも幸せで最高なのに、やればやるほど認められていき、俺たちを好きになってくれるファンのような人間まで出てくるなんて夢のような人生だ。
 バンドに対する意識の低さは目も当てられないが、家族というもへの認識が脱線していた俺にとって、友人こそが家族であったし、ツアーで行った街の食事や、友人の実家で出てくるおばあちゃんやお母さんのご飯が、俺にとっての家庭の味だった。
 中途半端で甘ったれた怠け者で、好き勝手やるだけで何もまともに続かない俺が、唯一続けられたのがバンドであり、やっとまともな感覚を知ったのもバンドのおかげだ。まともの感覚がまともではないが。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!