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つまらないのは『ポリコレ』のせい?

『ポリティカル・コレクトネス』、通称『ポリコレ』という言葉をを耳にするようになってからだいぶ経ちます。

社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された政策または対策などを表す言葉の総称であり、人種、信条、性別などの違いによる偏見や差別を含まない中立的な表現や用語を用いることを指す。政治的妥当性とも言われる。

Wikipediaより

様々な業界に影響を及ぼし、『ポリコレ』配慮はもはや当たり前の世の中。
少しでも怠れば即炎上の火種になりかねません。

如実に影響を受けていると思うのがエンターテインメント業界。
映画・ドラマ・アニメ・ゲーム・演劇など『ポリコレ』を意識していない作品を探す方が難しいという現状です。

今まで少数派の声を無視してきた反動と言えばそれまでですが、いささか過剰なのではないかと思える『ポリコレ』配慮の強い作品がたびたび話題になります。

例えば、現在物語上の善人か悪人かは配役を見るだけでだいたい判断できてしまいます。
ある特定の人種は『ポリコレ』が広まって以降ほぼ犯人や裏切り者にはなりません。
もちろん映像作品は無数に存在するので例外はあるでしょうが、大作になればなるほどこの傾向は強いと感じました。

推理ものをはじめとするどんでん返しを一番の売りにしていた作品は魅力半減です。
いかにも怪しそうな人物でも結局は犯人ではない。
途中まで敵でも改心して、または最初から敵のフリをしていただけで最後に美味しいところを持っていく。
などなど先が読めてしまう展開かつワンパターンになりつつあります。

他にも、人種をバランスよくバラけさせた配役や唐突な性的趣向の強調など、『ポリコレ』配慮してますよ的な作品は現実に引き戻された感じがして冷めてしまうことも少なくありません。

しかも、オリジナル作品ならそういうものだと割り切ることもできますが、リメイクや原作ありの作品でも時代にそぐわないからと容赦なく設定を改変されます。

『ポリコレ』が作品をつまらなくする。

そう言われてもしょうがないと思っていました。
実際私もそう考えたことは一度や二度ではありません。

ですが、何気なく読んだとある海外ドラマのレビュー、

「『ポリコレ』要素抜きにしても面白くない」

という一文にハッとさせられました。それだ、と。

面白い作品は『ポリコレ』配慮があろうがなかろうが面白い。
そんな現実世界の事を想起できないほど物語に引き込まれます。
余計なことを考えている暇はありません。

「これって『ポリコレ』配慮だよね?」と感じた時点で作品に没頭していないことは明白で、要するに面白くないということでしょう。
脚本なのか演出なのか演技なのか、原因は多々あると思いますが作品そのものの出来が悪いと言えそうです。
『ポリコレ』配慮以前の問題なんじゃないでしょうか。

さらにひねくれ者の私はこう考えました。

「諸々の事情で作品の出来は絶望的。興行的に失敗するのは目に見えているが何とか責任を回避したい。そうだ『ポリコレ』のせいにしよう!
”私たちは仕方なく現代の風潮に合わせただけで本当は『ポリコレ』要素をいれたくなかったんですぅ。初期設定は違うものだったんですぅ。”
その証拠として初稿脚本や設定資料などをポロリすればかってに考察勢が擁護してくれるに違いない。グフフフフ。」

なんて汚い大人たちだ。
作品の出来の悪さを『ポリコレ』のせいにするとは。
……いや、全部私の妄想なんですけどね。
まさかこんなことを企んでる人が実際にいるはずがないと信じたいです。

『ポリコレ』配慮が全くない作品も配慮しまくった作品もどちらもあっていいと思います。
なんせ現代は「表現の自由」が認められているのですから。
明らかに特定の人々を貶めるような作品でなければ、面白ければなんでもありではないでしょうか。


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