新年の抱負

 明けましておめでとうございます。
 以下、新年の抱負を記す。

  ①執筆内容の本格化
  ②歴史学をぶっ壊す
  ③禁煙

 ①について言うと、これまでは独自の定義を課した書評や「情況についての発言」という時事的な内容の文章を中心に書いてきたが、今年からは長めの批評文をも書いていこうと考えている。恐らく、身体の調子を考慮に入れながらの作業になると思うが。
 ②は、おどろおどろしく思われ、また、公共放送の解体を志す政党や郵政民営化を強行しようとした政権を想像されるかも知れないが、ぶっ壊す対象は近代歴史学、つまり実証主義歴史学である。昨年、E・H・カーの『歴史とは何か』の新訳が刊行され話題になったが、このなかでカーは現在を生きる歴史家につきものの限界について言及し、客観的事実偏重の近代歴史学に否定的な立場を示した。考えてみれば、客観的な歴史、完全な歴史叙述は神業のようなものであり、環境等々の制約を受けながら現在を生きる歴史家がなせるものではない。ならば、実証主義はそのニュアンスからして権威を指し示す用語でしかない。カーが以上のような立場を示したのは今から60年も前のことである。それ以後も脱近代歴史学の動きはあったが、マルクス主義歴史学の影響力が低下し、歴史修正主義的言説が氾濫し始めた1990年代以降は、実証主義者を称する歴史学者ばかりが幅を利かせている。とりわけ日本史研究界隈においてそれが顕著である。カーの名著が刊行されて60年経ってもこの状態である。そして、ここ近年は中堅、若手の自らを実証主義者と称する日本史研究者が公に歴史修正主義的言説を披瀝する出来事が相次いでしまっている。それゆえに、昨今の歴史学の現状をぶっ壊すことを考えるに至った次第である。
 ③については、これまで幾度も増税があっても禁煙をしなかったが、今後のある動向次第ではあるが、禁煙を考えるようになったということである。ただ、あくまで、今後のある動向次第である。このまま喫煙を継続する可能性もある。

 私は日本国家が戦争に加担することに反対します。

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