幸せのおすそわけ#3~「過去」も「未来」もわかる猫~
前回「幸せのおすそわけ#2~釣竿を持った子猫~」の中で、K先生が「この子は未来が見える」とおっしゃった我が家のネコちゃん。
そのお話がこちら。
未来が見えるかどうかの証明はできないのですが、ものすごく察しがよくて「この子をごまかすことはできないな」と思ったことは何度もありました。実家に行く予定があり、ネコちゃんも連れていこうと思っていると、まだ朝の時点で隠れて姿が見えなくなってしまうとか・・・
また今年の2月の半ばころ、急に「かまってちゃん」になった日があり「今日はどうしたのかなあ」と思ったことがありました。後から知ったのですが、その日は次女が「その後内定いただくことになる職場」にエントリーした日だったそうです。次女はネコちゃんの行動を見て「ここに決まるのかもしれない」と思ったのだとか。それを聞いた私は「家を離れることになるから寂しいと思ったのかな」と解釈したのですが、K先生によると「この子に距離や時間は関係ない。だから寂しいとかは全くなくて、ただ「おめでとう!」というお祝いの気持ちだったようだよ」とのことでした。
それから「過去(ネコちゃんが生まれるずっと前)がわかっている」と驚いたことがありました。
それは2年前の2022年10月に遡ります。当時、実家を離れて働いていた長女は心身ともに疲れていました。「夜あまり良く寝られないから、入浴剤が欲しいな」と言うので送ってあげようと荷造りしていた時のこと。箱に詰めているところに2階からネコちゃんが運んできたものがありました。それを見た瞬間、私は絶句してしまいました。
それは毛糸のお人形。まだ幼稚園に入園する前の長女が「ゆきちゃん」と「まことくん」と名前をつけ、毎晩両手にそれぞれを抱えて眠っていました。夜中に目が覚めた時、うっかりそのどちらかを手放しているとわかった時は大変。「まことくんがいない!」などと泣きだして、私たちは電気をつけ布団をひっくり返して探したものでした。
幼稚園に入園してからはそんなこともなくなり、人形を握っていなくても眠れるようになりました。もうボロボロになった人形ですが、私も幼い頃のなんとも愛らしいエピソードがあるものだから処分もできず、そのまま籠に入れて2階の子供部屋に置かれていました。
そう、ネコちゃんが運んできたのはその「まことくん」だったのです!2階に行き、今まで一度もいたずらしたことのない籠の中から「まことくん」をくわえて、1階の荷造りしている箱の側に置いたのです。
長女にすぐに送った当時の写真がこちら。日付を見ると2022年10月21日に撮影されていました。
どれほど長女のことを心配したことでしょう!何とか元気づけたいと、子どもの頃「寝るときのお守り」だった人形があればなんとかなるのではないか、と思ったのでしょうか。長女の解釈は「私はちゃんとわかっているからね、守っているからね、というメッセージなのではないか」とのこと。そうかもしれません。「まことくん」があったところで眠れるようになるわけではないことはネコちゃんもわかっていて、でも「自分がついているからね」というメッセージは伝えたかったのかもしれません。
きっと、我が家のネコちゃんだけではない。家族となってくれた動物は人よりもはるかにすぐれた感覚でいろんなことを察知し、無償の愛を注いでいるのではないでしょうか。動物と暮らしている人も、そうでない人にも、このことを伝えたいと、彼らの愛を知ってもらいたいと切に願います。そして動物たちと仲良く共存できるようでありたいと願います。
我が家のネコちゃんは、そうはいっても、普通のネコのようなところがたくさんあって、棚の上にあるものなどを落として遊ぶのが好きです。襖や柱もボロボロ。ところが、リビングの一番日当たりの良い場所、ネコちゃんのお気に入りの場所に、今は水晶や石やアクセサリーをたくさん並べているのですが、それは落としたりしないのです。そのことについてもK先生に聞いてみました。「落としてはいけないとか、そんなこと考えてもいない。必要なもの、大事なものとわかっている、それだけ」とのこと。「もし、石やアクセサリーをちょいちょいと触っている時があるとしたら、この石にはどんな意味があるか思い出して、ということらしいよ」とも。
確かに「ちょいちょい」と触ることはあるんです。そういう意味があるのか!これから気を付けてみようと思います。(ああ、でも、もう少し襖や柱にも気を使ってもらえれば嬉しいのですが・・・)
石からも日々たくさんの学びをいただき心打たれる毎日ですが、我が家のネコちゃんからも教えてもらうことばかり。無償の愛で守ってもらっていることを忘れないでいたいです。
前回の「釣竿を持った子猫」を読んだ友人がこんなメールをくれました。
『今、ネコちゃんの記事を読んで涙、涙・・・でもその一方で「めぐみさんの役割って段違いにスケールの大きいもの。それこそ石と同じではてしないもの。その役割を全うするまでは、さすがにかなりの時間がかかるはず。見守るネコちゃんは逆に長生きしないと!」とも思いました。』
ああ、なんと嬉しく胸に沁みるメールなのでしょう・・・思い出しました!『はてしない石の物語#5~はじめての「石の勉強会」~』で、石たちも私に対して「そこまでは期待していなかった」とざわついていたことがありましたっけ。
そのお話はこちら
そうだそうだ!ネコちゃんも「そこまで壮大な未来は想定していなかった」となって「長生きさせよう」とはしていないけれど「長生きせざるを得ない」となることだってある!うん、それはあり得る!
この春に家を旅立った次女からもメールがきました。
『読んだよ。なんとなくだけど、おばあちゃんになる姿が想像できなくて、何か大きなものと入れ替わるような気もしていて、やっぱりそうなのかなあ、と思うと同時に号泣した。なるべく時間を作って帰ろうと思う。そして、まだまだ役割があるって思ってほしいから、頑張ろうとも思う』
そうよね、一緒に頑張ろう!
ネコちゃんが家に来るきっかけを作ってくれた妹からも
『私も涙・・・人も動物もいつなくなるかわからない命だから一日一日を大切にしていきましょうってことにしよう。私も帰ったら宝物4匹をもじゃぐろうと思います!』
というメールが届きました。そう、妹の所には天使たちが4匹もいるんです。「もじゃぐる」って方言?みなさんも言いますか?この場合は「わしゃわしゃと撫でまわすこと」です。
ネコちゃんの記事を書いたことで、私たち家族や友人たちだけでなく、読んでくださった方達に「今日この一日を大切に生きること」「命の意味」「動物たちの無償の愛」・・・そういうことが伝わったら、それだけでもとても意味があることだと思いました。
最後にもう一度。「ネコちゃん、私を釣ってくれてありがとう!」
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