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京から旅へ / インド編 インド仏跡巡礼(34)聖地ベナレス③/ガトーの夜明け

ベナレスの朝は早い。朝5時、まだ空は暗く、ゾクっと、冷たい。
私は、聖なるガンガーで毎日、夜明けに行われる沐浴を観る為、ホテルを出て、生あくびを噛みしめながら、バスへ乗った。

沐浴ツアーは人気があり、年間100万人の観光客が来ると云う。
バスは15分ほど走り、ガトーへ進む道路脇で停まり、降りた。
ここにきて、長旅の疲れがでたのか、目覚めが悪く、足取りも重い。


ベナレスは、長い歴史の中で幾度も、戦火にまみれ、様々な王朝に支配されながら、破戒と再生を繰り返してきた、聖地である。
その為、狭い路地が迷路みたいで、要塞都市を思わせる、独特の街風景で有名。

だが、今の時間は、表通りでもシャッターを閉じた店が多く、路地の奥を覗いても、不気味に暗いだけである。
朽ちた中高層のビルが、被さる道路では、黄白色の灯が眩しく、怪しい光を浴びせながら、河へ急ぐ人々を浮きだしている。
頭の芯がボーっとして、まだ夢の中ような、不思議な感覚で、目に映るものに、あまり現実味がない。

黄白色の画面の中で、断片的な映像が脳裏に焼きつくようだ。
屋台に群がる人、路上でしゃがむ人、横たわる人。痩せた野良犬、ジッと見つめる野良牛。此処では、人と動物の目の高さが同じだ。

道端の焚火に踊る炎、建物の中で揺れる、長い人の影。意味不明なヒンドゥー語のざわめき、酸味の強い街の臭い。

嫌でも、聖地ベナレスの躍動感が高まり、押し寄せてくる。あらがえぬ衝撃に、押し出されるように、ガトーへ走った。

ガトーとは、河沿いに続く、大きな階段状の沐浴場である。
が、そのまま舟の乗り入れ場でもあり、水浴びの階段でもあり、衣服や身体の洗濯場でもあり、火葬場と遺灰の流し場でもある。

言わばガトーは、ヒンドゥー教徒の生活の「場」、そのものだが、ガンジス河の西岸沿い、約6.4kmの間に、84箇所もある。
このガトー際いっぱいに、巨大な歴史的建築物の寺院や宿泊施設が犇めき、人が蠢き、混沌かつ、特異な聖地が構築されている。ヒンドゥー教の寺院数だけで、大小1500近くあると云うから驚きだ。

此処では毎朝、インド内外から集まったヒンドゥー教の巡礼者が、夜明けと共にガトーから下り、河に入って、沐浴が行われている。聖なるガンガーで沐浴すると、全ての罪業は浄化し消滅する。

沐浴は朝日に向けて、聖水であるガンガーの水を両手でかかげ、祈りながら、身体にかけて浄めるのが、最良とされている。
それ故に、ベナレスの朝は、沐浴と共に始まるのである。
また、ベナレスで死に、ガトーで焼かれ、遺灰をガンガーに流せば、何度も苦しい人生を繰り返す「輪廻」の輪から逃れ(解脱)られる。と信じられて、ベナレスに移り、最期の時を待つ人も多い、と聞く。

ガトーでは、沐浴に集まった巡礼者と共に、日の出を船の上で見学する目的で集まった観光客で、ごった返していた。
上半身は裸、白い布を腰に巻き、入水をはじめる、褐色の男達。女は長いサリーを纏い、膝まで浸かり、手を合わせ、祈っている。
長い髪と髭、全身に白い灰を塗した、サドゥーと云われる修行者。金を貰い、レンズの前でポーズをとる、似非サドゥーもいる。

水上では、客を乗せた幾艘もの、木製の手漕ぎ舟が浮かび、ぼんやり開け始めた空色に、急かされるよう、一斉に岸を離れた。私が腰かけた、二十人乗りほどの舟も、ゆるりと上流へ向う。

途中、花売りの舟が近づく。錆色の花びらと蝋燭を飾った、小さな器を、乗客の何人かが買い求め、火が灯された。
舟から川に手を伸ばし、放たれた花の器は、精霊流しの様に、鼠色の水面をスーッと、ほのかに照らし、下流へと消えた。
やがて東の空が、雲の間に、青く赤い光を導くと、対岸の霞んだ森から、大きな茜色の陽が浮上し、みるみる周りを染めていった。

ガトーで、河の中で、船上で、建物の中で、男も女も、老人も子供も、人種も超え、祈る人々の、無数の視線を釘づけにして…
聖地ベナレスは、荘厳で美しい、光に満たされ、明けていった。

インド仏跡巡礼(35)へ、続く

(2015年7月6日 記)

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