見出し画像

京から旅へ / インド編 インド仏跡巡礼(38)/サルナート③ 釈尊の“教え”中道

釈尊(ブッダ)、かく語りけり。と、前回の続きだが…
元々は紀元前463年に、古代インドの小国で生れた一人の王子が、 29歳で出家し、6年の修行後に悟り、それを「仏の教え」として、 インド国内外に広め、やがて世界三大宗教の一つとなったのも、 此処、サルナートで、釈尊が五人の修行僧に、初めて“教え”を 説いた(初転法輪)ことが、始まりである。

では、いったい釈尊(ブッダ)は、どんな“教え”を彼らに語り、 彼らの心や行動を変えさせたのだろうか? その“教え”とは何か?
此処が一番の、肝心要だが… 初期仏典によれば、釈尊が仏陀となって、初めて説いたのは 「中道/ちゅうどう」と「四諦/したい」の教えだとされている。


修行者達は釈尊と再会し、反射的に歓迎の意を表してしまったが、心の中ではまだ、釈尊を認めた訳ではない。
だが、昔の苦行仲間でもあり、オーラを感じる釈尊の話にも興味を持って、とりあえず、釈尊の話を聞こうかと、奥へ招く。

すると…
釈尊、開口一番「ウチ、真理を悟って、ブッダになってん」と宣言。
オーット、掟破りの、イキナリのブッダ宣言に、たじろぐ修行者A。ハッタと、手に持った水桶を落とす修行者B。
「チョーうけるー」と囃す修行者C。修行者DとEは、釈尊を凝視。
そんな彼らにお構いなく、釈尊(ブッダ)は滔々と“教え”を説く。


【教え1】聖者は「中道/ちゅうどう」を歩むべーし!。

釈尊曰く…
「え~初めに、聖者には近寄っちゃアカン道が、二つあるんドス」
「一つは、欲にまみれ快楽や邪行を求める道。これはメッチャ下品 で低俗な行いで、聖者には、な~んも得るもんがない。道ドス」
「も一つはメッチャ、苦行する道。これもシンドイだけで、死んで もうたら元も子もあらへんし、なんも得るもんはあらしまヘン」
「せやし聖者はこの両極端を避け、中道を歩むべし!ドス」と断言。

さすが、釈迦国の王子として、夏、冬、雨季用と三つの宮殿に住み、 女性従者だけに囲まれ、29歳の出家まで享楽の世界にいた経験と、 6年間の苦行で骨と皮になり、乳粥で死地から戻った実績を持った、 スーパー両極端の“極めビト釈尊”の言葉だけに、説得力がある。

中途半端な修行者は、反論ができない。無論、凡夫も大納得である。 と、いささかふざけた展開だが、釈尊は法を説く時は、現地語を使わ れたれたそうなので、京都弁もアリかな?。
それに、ビルマでは、 「美しすぎるブッダ」もいるし、オネエ言葉もアリかな?である。(;^_^A

ところで、本ブログ33話「バラモンと仏教」でも書いたが、釈尊の生きた時代は、バラモン教によるバラモン中心の社会だった。

が、一方で、強国のマガタ国やコーサラ国を含む十六大国が覇権を争い、王や武士が実質的な力を持ち、また都市経済の発展で、莫大な富を得た富豪も現れ、相対的にバラモンの力が弱まった時代でもあった。
そんな時代の流れは、既存の“バラモンを敬えば、良い来世が来る”と云う、輪廻転生を盾にしたバラモンの権威づけや、カースト制の不平等を否定した、多くの自由思想家や修行者を生んだ。

例えば、善行での報いも、盗みや殺人等の罪もないと因果応報を否定する者。輪廻転生を繰り返せばいずれ苦しみは消え、解脱をすると唱える者。過酷な苦行で輪廻からの離脱を目指し、苦行死は尊いと徹底する者。人も物質で輪廻転性はない、だから現世での快楽を楽しめと煽る者。
既存の輪廻転生説の揺らぎが、極端な快楽主義や厭世主義を招き、終に、殺人肯定論者も出るなど、社会的混乱もあったようである。

確かに釈尊も、自由思想家の一人ではあったが、彼は、前世や未来の転生に捉われず、今を生きる為の「苦」と向き合う事に着目した。
「苦」とは何か、「苦」の真理を見極め、「苦」の原因を探り、「苦」を滅し、聖者としての正しい道(生き方)を見出す。ことそして、釈尊は生涯をかけ、自ら見出した正しい道を歩んで行った。


釈尊曰く、聖者は「中道」を歩むべし

釈尊が説く「中道」とは、何事も偏り過ぎず、適正で中立な見方を持ち、物事の本質を見極め、バランスの取れた、行い、生き方、正しい道を求める。事であり、二つを足して、二で割って、真中を取ると云う、妥協策ではない。

「中道」を歩むには、まず、生きる事は全て「苦」だ(一切皆苦)という真理を得ることが大切だが、さらに、そこを起点に展開される“教え”「四諦/したい」を学び、実践する事が必要である。

インド仏跡巡礼(39)へ、続く

美しすぎるブッダ。ドス (in Myanmar)

(2015年9月15日 記)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?