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『早わかり日本史』(河合敦)ブックレビュー

日本史に興味を持ち始めた私、石ころ。きっかけは色々あるんだけど、ニュースで『韓国とか中国とかとの日本の関係』みたいな項目を見ると、なんとなく複雑だったのは知っているんだけど、“はてなんだっけ”みたいになったことも一つかな。あとはビジネス本を読んだ際に、渋沢栄一がどうとか西郷隆盛がどうとか出てきて、これまた“はてなんだっけ”状態を食らったこととか。あと『歴史は繰り返す』なんていうから、そもそも世界史を学んでみたいなぁと思う反面、カタカナの名前とか煩わしいなと思う自分もいて、日本史を学びなおせば世界史を知るとさらに理解が深まるなんていうから、世界史の勉強へのモチベーションの一つにしたいってものあった。そんなこんなでまとめると、『海外との関係や、名前だけかろうじて覚えている偉人を一旦整理して、世界史を学ぶきっかけにしたかった』ってのが日本史を学びなおすきっかけだったってわけだ。
その点、この本いいですよぉ~めちゃめちゃいい。高校時代僕は文系で、日本史選択。あの時は『テストや受験のためにまず名称や年号を覚えてから内容を理解していた』けど、この本は『理解のためにざっくりした流れを把握させ、名称や年号がそれについてくる』感じ。だから、覚えることも最低限。むしろ『長篠の戦い』みたいなのがほとんど出てこないことに動揺すらすることも(笑)
前書きでは『歴史を学ぶことによって、私たちは将来起こりうる事態をある程度予測でき』るし、そもそも歴史は『英知の宝庫でもある』と、日本史を学ぶことへのモチベーションをめちゃめちゃ上げてくれる。ご存じオリラジの中田さんの『Youtube大学』との相性も最高なので合わせて是非。織田信長は『バイオレンス&イノベーション』、豊臣秀吉は『スピード&コミュニケーション』、徳川家康は『パーフェクトコントロール』ですよ!笑

第1章:日本文化のはじまり~縄文から弥生時代へ~

┗縄文(=狩り=移動文化)から弥生(=稲作=定住文化)になり、田畑の有無による貧富の差が生まれ、それが邪馬台国誕生にもつながる(P33、49)
・土偶は壊すために作られた(疾病治療?呪い人形?豊穣祈願?)(P40)
・邪馬台国は大和(奈良)と九州説がある。魏志倭人伝(中国史書)の記載の方角・距離だと日本列島の南洋に位置してしまうため、距離が正なら大和、方角が正なら九州となる(P52)
・古事記には神話も含んで記載されている。地上に降臨した神ヒノホニニギの子孫が神武天皇であることから、統治の目的でも利用されたことがわかる(P55)

→まずこの本の特徴は、なにより章の始まりにあるアウトラインが素晴らしい。全体の流れがばばっと分かった状態で細かいところを解説していく構成により理解が深まる。
弥生時代あたりまでは正直令和となった2023年現在でも未解明&議論の的となっていることが多いけど、邪馬台国の大和、九州説の由来がわかったのは面白かった。

第2章:律令国家の誕生~大和政権から奈良・平安の時代へ~

┗古代は仏教を軸に見るとわかりやすい。飛鳥(=仏教を利用した中央集権)でやがて僧侶(道教etc)が政治的に力を持つ→平安時代に仏教勢力を断とうと密教(空海・最澄)が始まる一方、摂関政治の藤原道長や院政の3上皇(白河・鳥羽・後白河)により根強く残る。一方、神仏を恐れない武士が登場し、その後徐々に政治的な力を持つようになる(P60)
・古墳時代、画一的で全国共通の古墳(墓)が作られたことから、大和政権の力がうかがえる(P64)
・仏教(=身分制度重視)を受け入れることは中央集権体制が取りやすい。その背景から蘇我氏は推進派(P69)
・中央集権体制の推進の背景には隋(中国)の強大化があり、小野妹子は対等外交を主張(P71)
・曽我氏の権力過剰に不満を持ち、645年大化の改新が起こる。政治体制の整理として、公地公民(土地の国有化)などを実施(P71)
・天智天皇(中大兄皇子)の独裁へ不満が高まる→壬申の乱(672年)で天智派を破り、天武天皇が誕生(P76)
・公地公民で土地は国有化され、税が課されたが、徴収がうまくいかない→墾田永年私財法で私有地化する(P80)
・私有地化されたことをきっかけに有力農民が土地を開墾(=荘園)し、権力を持ち始め、土地を守るため武装化してのちの武士の誕生へつながる(P82)。たとえば平将門は関東の独立を目指し、重税に苦しんでいた関東人の支持を得た(P97)
・藤原道長は娘を天皇の妻にする摂関政治で権力を得た。→やがて終焉し、上皇(天皇の父)の時代に(P99)
・上皇(天皇の父)や法王(出家した上皇)は仏教信者なので、わがままな僧兵(大寺院が自衛のために組織した武装僧侶)にも罰を与えられなかった→武士は神仏と無関係なので僧兵を支配でき、ゆえに朝廷は武士を重宝した(P101)→武士の平清盛は天皇方の隠し子でもあり朝廷内で力を持ったが、ゆえに貴族化してしまい武士としての性質が薄れ、源氏に敗れることに繋がった(P105)

→仏教を軸に見ると、本当に理解が進んだ。要は中央集権体制を確立するために仏教を使ったけど、ゆえに力で弾圧しづらくなったから武士を使ったら、結局鎌倉時代は武士が力を持つことになると。
恥ずかしながら、よく考えてみると『朝廷=天皇の政治』、『幕府=武士の政治』みたいな枠組みもよく意識せずに歴史を見てしまっていた(←よく日本史選択でやっていけたな笑)から、その点が整理できたのもよかった。

第3章:武士が主導する時代~鎌倉幕府の誕生から室町時代へ~

┗武士が公家の番犬から独立、幕府が創建される。一時公家政権(建武政権)にもなるがすぐ復権し、明治政府誕生まで幕府が政権を主導する(P112)
・1185年源頼朝が守護地頭を置き全国的に政治力を得る(P116)も、死後は1221年の承久の乱(後鳥羽上皇vs北条政子)が起きる。ここでは上皇が公家に権力を戻そうと形勢を有利に進めるも、政子(頼朝の妻)の演説で北条家(武家)が決起し勝利に繋がる(P132)。幕府は力を強め、支配体制整備のため武士のための法律『御成敗式目』を制定する(P134)。以降北条氏による執権政治(つまり将軍より相談役の執権が力を持つようになる)。しかし元寇(1274&1281年)を凌いだものの自衛戦争ゆえに恩賞を与えられなかった(P136)こともあり、御家人(=源氏の臣従者)は幕府への忠誠心を薄めていき、後醍醐天皇による討幕運動で崩壊する(P119)
・騒乱や飢饉の頻発で平安末期~鎌倉での庶民は不安や苦しみから神仏にすがろうとした。これが、貴族だけでなく誰でも救いを求められる鎌倉六仏教の誕生に繋がった(P122)
・足利尊氏は武士だが自身で権力を持ちたかったため、一時期後醍醐天皇に協力、鎌倉を討幕する(P140)。後醍醐天皇は武士のおかげで朝廷に力を取り戻せたにも関わらず、建武の新政で武士を軽視→武士から反感を買い、足利尊氏に滅ぼされた(P142)。足利尊氏は室町幕府を起こし北朝(京都)に天皇を擁立したが、一方で後醍醐天皇も南朝(奈良)に天皇を擁立。南北朝(朝廷が2つある)が60年続くことになる(P144)
・足利義政時代の1467年、家督争いから応仁の乱がおきた。義政は政治に無関心で主導力がなく、争いは長引き広大になる中、下剋上の風潮が強まった→戦国時代へ(P164)

→源頼朝や北条氏ら部族が力を持ってからの、後醍醐天皇からの、足利家。この流れですよ。ちなみに僕はなぜかいつも平清盛、北条家、足利家が名前的に混同しがちだった。これなんでだろ、誰か共感してくれる人いないかな笑

第4章:日本統一と太平の時代~戦国時代を経て江戸幕府へ~

┗戦国時代から一転、江戸は260年も続いた。3大改革(享保・寛政・天保)の引き締め政策とその合間の緩和政策が特徴。そんな時、ペリー来航で平和を保てなくなった幕府に対し、庶民は新たな政治権力を樹立させて幕府を見捨てた(明治維新)(P176)
・織田信長の特徴は鉄砲、宗教排斥、軍事政策、合理性人事(P181)。豊臣秀吉は農民出身で権力がなかったため朝廷の力を借りるため関白に(P183)。家康は秀吉の死後豊臣家内の覇権争いを操り幕府を開く(P186)
・大名を抑え込むことと農民から年貢をもらうことにより徳川家は支配を確立(P194)
・江戸は儒学、中でも朱子学が栄えた。身分的秩序を重んじるので幕府にとって都合がよかった(P224)

→戦国時代がめちゃめちゃあっさり書かれているところがいいよね、この本(笑)
儒学が栄えたのは古代での仏教と同じ理由ですな。

第5章:近代化する日本~明治維新から太平洋戦争へ~

┗江戸時代は海外との交流を制限したことで安定していたが、一方で国民は世界情勢に疎くなっていた。その中でペリーという大きな刺激を受け、国民はアレルギー反応のように排斥の姿勢(尊王攘夷運動)となり、幕府が崩壊する。明治政府は近代化を進め日本を守ろうとしたが、日清・日露戦争での勝利で軍国主義となってしまい、勝ち目のない太平洋戦争へ(P239)
・1700年代、欧米では産業革命で新しい市場と植民地を探しており、1853年ペリーが開国を求め浦賀に来航(P242)
・長州藩は尊王攘夷の中心となる。幕府を倒し政府を発足させるが、一転して開国和親に切り替えた(P245)。なお、『尊王攘夷』とは『天皇を尊び、かつ外国人を追い払う』意向のことである(P250)
・大政奉還&王政復古の大号令後も復権を諦めなかった徳川慶喜だが、討幕派がとどめを刺すため、徳川側の幕臣に挑発を実施し敢えて戦いに誘う。想定通り全国でとどめの戊辰戦争が行われ、幕府は完全崩壊する(P252)
・ロシアの南下を防ぐため、樺太獲得を狙った明治政府だが、諦めて代わりに千島列島を取得する。1905年のポーツマス条約で南樺太を獲得。にもかかわらずのちに太平洋戦争を機に樺太と千島列島、北方四島はロシアに占拠された(P254)
・戊辰戦争後早急に中央集権にするため、土地の国有化(版籍奉還)と藩の解体(廃藩置県)を実施(P256)。年貢制から土地をベースとした地租制(税金)として財政を安定(地租改正)させた(P258)
・中央集権体制を強めるため、明治政府配信の功労者の武士を解体(廃藩置県etc)したことで武士の不満が高まる。西郷隆盛は武士でありながら政府側であり、士族の乱を警戒する側だったが、大久保利通に誘われ1877年西南戦争で士族側のリーダーとして政府と戦うことになるも敗北(P260)
・西南戦争で財政は苦しく、松方デフレも失敗したことで国民が貧しくなり秩父事件などが起きる(P270)
・大日本帝国憲法は天皇主権でありながらも民権派に配慮し解釈に幅を持たせたことで、中央集権体制を築いた(P278)
・ロシアの南下を防ぐため、朝鮮半島を獲得したかった日本は、日英同盟(1902年)で態勢を整えたうえで、当時朝鮮半島に支配力を持っていた清(中国)と1904年に戦争。勝利し、朝鮮を独立させた。しかし遼東半島は三国干渉(ロシアドイツフランス)により返還することに。しかもロシアはその半島を清から借りることにした。独立した朝鮮もロシアに近づいたため、1905年に日露戦争。勝利しロシアの南下もひと段落、朝鮮を市場として植民地化する(P280)
・1914年ヨーロッパで第一次世界大戦が起こる。日英同盟のあった日本は三国協商(ロシア、フランス、イギリス)側として勝利。ドイツの植民地である青島(中国)と南洋諸島を獲得する。強硬に中国の青島を占領した。大戦景気となるも、庶民は物価の高騰に苦しむ(P286)
・政党が汚職を繰り返し、軍部の権力が肥大化。政府の制止を無視し、関東軍(満州の陸軍)が満州事変を起こしたり、日中戦争が起きる(P288)
・満州侵略を諸外国に非難され、日本は国連を脱退(P289)。日本の中国進出において日米関係は悪化、1941年真珠湾攻撃で太平洋戦争開戦。1945年劣勢状態からソ連の参戦意向が見られたところで完全降伏(P290)
・GHQは直接統治ではなく間接統治(政府に指令や勧告を与える)ことで日本人のアメリカ人への反感を抑えながら統治していった(P292)

→尊王攘夷のきっかけや、各種戦争の背景、めちゃめちゃ理解・納得できた!!
日清戦争あたりからは、日本の軍国主義への変遷やら、政治不信やら、各国の思惑やらが複雑に絡んでのちの大戦争(太平洋戦争)に繋がるわけよね。
特に北方四島の背景や、日本の中国・朝鮮の支配は、今のロシア、中国、朝鮮、韓国に深くかかわる部分。今後ニュースとかの見方が変わりそう。あと、世界大戦とかの全体の背景を知ったから、これ、、、マジで世界史を学ぶことにふつふつと意欲がわいてきた・・・。

さぁというわけでめっっっちゃめちゃ面白かったよ『早わかり日本史』!『早わかり』といいつつ2週間ぐらいかけてじっくり読んだけどwとにかく納得、めちゃ楽しかった、この期間。
この勢いで世界史にも挑戦してみようかな。まずはオリラジのあっちゃんの動画で本を選ぼうw

過去のブックレビューでは今回日本史を学びなおすきっかけの一つになった渋沢栄一の著書や西郷隆盛が出てくるものもあるのでリンク貼っときます!

 


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