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心の回復力

直接お会いしたことはないのですが、間接的にご縁があり、その方から数回お電話をいただいてお話を伺ったことがあった人。

「将来の不安」とおっしゃるのです。

あまりにも漠然としていています。

受話器を持って、ただただお聞きしました。

お若く健康で経済的に問題なく、お二人だけの生活で、自由に生活されておられる人でした。

数回のご縁でしたが、ご本人が気のすむまでお聞きしていて、最後は明るい声になり電話を切っていたのです。

ある時、そういえば最近お電話が無いなぁと思ったことがあり、それはそれで良いことなんだろうくらいに思っていました。

それが、お亡くなりになられたと間接的にお聞きすることに。

ご自分で命を絶たれたとか。

驚くとともに、何とも残念な気持ちになったことを思い出します。

その人が感じるストレスは、その人の感覚なので、お聞きするだけですべてを救いとるなんて無理な訳です。

でも、なんで?と、しばらく考え込んでしまいました。

こんなに自由な時代にもかかわらず、精神的にストレスに負けて努力を諦めてしまう人が多く、心の回復力が弱い人があふれているのは何とも悩ましいことだといつも思うのです。

ストレスで会社を辞めてしまう人が多いとか。

学校生活に適応できない子が多くなっているとか。

人には言えない悩みで、家族関係がぎくしゃくとしているとか。

日常の関りでのストレスに心がやられて、思考がどうしてもネガティブになってしまい、感情的になるという悪循環からなかなか抜け出せずにいるのかもしれません。

そのためなのか、ますます保身という「自分中心」の生き方が強くなり、世の中もそういう生き方を黙認する傾向が何となく高くなっているように感じます。

自由を求めて不自由になって悩む。

おかしな話ですよね。

人の幸せってなんなのでしょう。

そこが間違っているから、「努力してつかんでも、幸せではなかった」という生き方になるのかもしれません。

努力しても報われないなんてもったいないです。

私自身は、幸せな生き方が幸せだと思っています。

その時その場、その流れで、生かされていることを肯定して、

幸せな生き方を努力すれば幸せということ。

幸せな生き方になるには、どんなさ細な関りにも心の目を向けて、前向きな思考での関りを繰り返して、「ささやかな実現の喜び」という体験を積み上げていくこと。

そこで得られた前向きな思考を当たり前の感覚に育てていくことが大切だろうと思うのです。

その積み重ねの誠で、どんなストレスにも負けない、柔軟な、そして回復力のある心になっていくのではないかと思うのです。

続きは教会で!