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【不登校リカバリーCPC】娘の発達障害回復記録③知能指数69の受け止め方

今回は、前回の続きから、大学1年生になった娘の発達記録を書いていきたいと思います。よかったら、番号順にご覧くださいね。

自己紹介

トラウマの癒しを提供するハートエデュケーションセンターの代表、川村法子です。チームでは、イーシャという愛称で呼んでいただいています。そもそも自身が、ACEスコア(逆境的小児期体験スコア)が高いトラウマサバイバー(トラウマを生き抜いた人)です。ざっくりとした自己紹介は、以下からご覧いただけます。


苦しむ医者の姿

これまでの記事で、娘が4歳の頃に受けた診断について書いてきました。

「自閉症です。一生治りません。」という最初の一言から始まり、「原因もわかりませんし、治療法もありません。」というなんとも絶望的な診断を、医者から受け取ったのでした。

また、娘の状態は広汎性発達障害で、当時は、PDD(Pervasive Developmental Disorders)と言われていました。今では、この言葉を見かけることは少なく、ASD(Autism Spectrum Disorder)と言われます。数年で診断名もあっさり変わり、原因も治療法もないと言ってしまえるのが病院という場所であり、医者なのです。

さて、診断をした医者は、当時30代半ばだった私たちよりも、若く見えました。彼は、落ち着かない様子で体を動かし、発達障害を抱える子たちの二次的障害の深刻さについて、怒りを抑圧させたような震えた声で語っていました。見た目には障害を抱えてないように思われる人たちが、周囲から過度の期待されてしまうことの問題、学校での友人関係の困難さついて、彼が抱えている個人的な怒りは、相当大きなもののように思えました。

そんな彼を目の当たりにしながら、私は、彼こそがその症状にいまだに苛まれている当人ではないかと感じました。そして、このいまだに苦しみ続ける医者に、どうやって我が子を託せるだろうか?いや、託すことがなどできるわけがないと、すんなりと決断できました。

今思えば、彼が担当医だったからこそ、私は、病院への期待を、あっさりと捨てることができたのかもしれません。

知能指数69

さて、その後、知能指数を測ったり、聴覚の検査をするために、何度もその病院に通うことになりました。

測定した結果、当時、娘の知能指数は69でした。

70以上が健常であると言われ、この数字は、障がいがあるとされる数値です。つまり、娘には知的障害があるという結果でした。

当時、私は、素人なりに自閉症について、インターネットで情報をあれこれと探していたのですが、発見した情報の1つに、言葉が話せない状態だと、そもそも知能指数が適切に測れない問題があることを発見しました。また、アメリカでは、言葉が話せなくても知能指数を図る仕組みがあるという情報をキャッチしました。

そのことを、当時担当していた心理士に伝えたところ、その人は「でも、言葉が話せないということは、そういうことですよね。社会ではやっていけませんよ。」と言いました。その心理士のいう“社会”とはどんな“社会”なのでしょう?誰がその“社会”を作り出しているのでしょう?

どれだけ最新の研究がなされていても、現場レベルでは、決して最先端の取り組みはされてない現状は、医療現場ではよくあることです。

脳機能とトラウマの関わり、そして、それがいかにして病気につながるかが書かれてある、「小児期トラウマと闘うツール」では、まさにこの医療現場の不理解と、真実への抵抗について書かれてあります。

小児期トラウマがいかに病気と関係しているのか、研究結果をもとに発見した著者であるナディン・バーク・ハリス医師。彼女が、いかに他の医師たちに受け入れられなかったか、その苦悩を乗り越えて世界に訴えていることはとても貴重です。

障がいとは何か?

障がいについて語ることは、とてもセンシティブなことです。障がいの種類は様々ですし、また、その障がいを持っていなければわからないことがたくさんあります。ですから、私は、「私が知らないことがある」という前提で、考えていることを書いてみたいと思います。

障がいに向かい合い、私がしてきたこと

当然ながら、私自身は、障がいを否定していません。つまり、障がいがあることが悪いこととは思っていません。また、言わずもがなですが、社会全体が障がいについて理解して、どんな自分であっても、居場所がある社会作りが、とても大切なことだと考えています。また、同時に、障がいがある人たちが、心身の健康を求めていくことは、とても大切なことだと思っています。

私が娘のために選択したのは、まさにこのことなのです。つまり、現実に不便さを感じる障がいを持っている娘のために、心と体の健康を追求し、最大限の回復を目指すこと、を私はしてきたのです。

チーちゃんとの思い出

私は、幼い頃、聴覚障害を持つ、チーちゃんという友人がいました。2歳年上だったチーちゃんと私はとても仲良しで、2人だけで山の中で遊んだり、おままごとをしたり、とてもいい時間を過ごしていました。チーちゃんには聴覚障害のない妹がいたのですが、その妹とは、私は気が合いませんでした。チーちゃんと2人で遊ぶ方が気が楽で、むしろ、とても楽しく密な時間を過ごしていたのです。

チーちゃんとのコミュニケーションは、今思えば、特別な時間でした。子どもなりに、お互いに思いやりを持って、相手を理解しようとする努力をしていました。その努力は、自分たちの善なる心の表れでもあり、楽しさや心地よさはあったものの、不便さは感じませんでした。むしろ、私たちのコミュニケーションは、とても上手くいっていて、私は、彼女とだけ通じ合える時間をとても楽しんでいました。

チーちゃんと私は、同じ空間で、同じことをして遊んでいました。そして、チーちゃんとじゃなければ、分かち合えないこと、楽しめないことがたくさんありました。

障がいは個性か否か

発達障害を「個性だ」という人たちがいますが、私は、実は、その立場を取ってはいません。発達障害は“障がい”だと思っています。(これについては脳神経科学が明らかにしていますので、改めて書きたいと思います。)ですが、発達障害だけではなく、障がい全般が、「個性」であると感じられる瞬間があります。

それは、その障がいについて、本人や周囲が苦しみ、苛まれるのではなく、周囲がその障がいを含めて、その人との関わりに特別なものを感じ、本人も周囲もハッピーである時です。

私の友人、チーちゃんは、その意味で、とても個性的でした。風の噂で、彼女が地元の大手企業に勤め、素敵な結婚をして、育児をしているという話を聞きました。彼女の明るさや優しさを思い出しながら、彼女は、その個性によって愛されてきた人なのだろうと感じました。

障がいを持つ人たちが、障がいを個性と言える時、彼、彼女たちは、孤独ではないのだと思うのです。

身体という箱

定型発達と不定型発達

定型発達を遂げている人は、身体を思いのままに扱えると思っているはずです。座っていなければいけない場所では座ることができるし、走っていい場所では走ることができる。また、どんな嫌な人が目の前にいたとしても、常識的に挨拶をしなければいけない時は挨拶をする。当たり前だと思っているこのような身体の使い方は、定型発達だからこそできることで、不定型発達の場合、それは当たり前のことではありません。

定型発達とは、母子手帳や育児書に書いてあるような発達過程を通過する人のことです。生まれて何ヶ月経ったらハイハイし、ある時期になったらつかまり立ちし、歩き出す。そして、話す年齢になったら話せるようになる。これが定型発達です。

ですが、不定型発達の場合は、その順番通りに発達は進みません。不定形であることが、周囲に理解されないととても不便ですし、傷つことがあります。

不定形であることは、その状態によって原因が様々です。不定形であることが深刻であれば、脳で生じているエラーも深刻であると言えますし、改善できること、できないことがあります。

また、状態によっては、そのほとんどが改善できる場合もあります。ここまで書くと、我が子は改善するのか、しないのか!?と聞きたくなるかもしれませんが、外からはわからないこともたくさんありますから、なんにせよ解決に向けてトライしてみることが大切です。

娘の場合は、ひどい癇癪や、言葉の遅れなどが、前回書いた右脳教育をはじめ、様々なワークを通して、改善していったです。

賢人から知る

さて、娘が受けた診断から、えいや!と立ち上がり、私が行動を起こす時、とても参考になった重要な情報源がありました。

それについてご紹介していきます。

その一つが、テンプル・グランディンさんの書籍でした。

彼女はアメリカ人の動物科学者で、自閉症を抱える当人でもあります。彼女は、自分の自閉症感覚を仕事に活かし、さらに研究者として自分の症状を分析しています。

また、当時インターネット上で見かけたとある動画に、衝撃を受けました。それは、ある重度の自閉症の女性が、タイプライターで非常に知的な文章を書き、自分の内的感覚を教えてくれる映像でした。彼女が表現していたことは、自分の世界との関わり方が、定型発達の人とはシンプルに違うのだということでした。普通のテーブルや窓を見ても、彼女は、それらに美しさや愛を感じ、手をひらひらと動かしたり、遠くから見つめたり、近寄ったりして、それらと彼女らしく関わっているのだということ。彼女の行動は、定型発達の人には奇妙に見えるかもしれないけれど、実は、ただ、関わり方が違うのだということでした。

おそらく私がその映像を見たのは、2008年か、2009年頃。今、検索してもその映像は出てきませんでした。いつか見かけたら、こちらでもシェアしますね。

さて、今は、情報がさらに豊富になって、こんな少女の動画を見つけました。私が当時見かけた女性のものではありませんが、内容としては同じことが伝えられています。

双子として生まれたカーリーとテリン。カーリーだけが、自閉症の症状を発症します。両親は諦めずにセラピーを続けますが、彼女の状態は一向に良くなりませんでした。周囲はそんなにセラピーにお金を費やすよりも、もう諦めて、グループホームに入ったらどうかと勧めますが、父親は決して娘を諦めませんでした。「どうやったら娘を諦められるというのか?」映像の中の父親の言葉が、胸に響きました。

そして、カーリーが11歳になった時、タイプライターでコミュニケーションが可能だとわかります。それから彼女は、自分に何が起こっているのか、タイプライターで語るようになりました。周囲はとても驚いたと言います。映像の中で父親は、10年以上も、カーリーが何もわからないと思って、自分が彼女の前で振る舞っていたことにショックを受けたと言っています。

カーリーは、私が前述した女性と同じく、自分が身体の反応をコントロールできてないことを語っています。

「私は自閉症に見えるけれど、それは私自身ではありません。私をジャッジする前に、私を知るために少し時間をかけてください。私は可愛らしく、面白く、楽しいことをしたいと思っています。」

タイピングによって、彼女は自分の行動の裏にある彼女の世界を、外の世界に伝えることができるようになりました。その後、彼女は、小説も書き出したと言います。

障がいと身体

これらの情報から、私は「障がいというのは、身体に関わっていることで、精神や心のことではないのだな」と考えています。

今では、統合失調やパーソナリティ障害の人たちが、脳機能の問題を抱えていることが明らかになっています。

身体とは物理的なものです。物理的なものには、この世的な限界がありますが、同時に、シンプルに物理的な改善が可能になる場合もあります。

人の目には、それがどんな症状に見えたとしても、障がいというものを身体と結びついたものとして捉えることで、本人の存在を否定したり、不運だと嘆き続ける必要はなくなります。

限界を受け入れながら、身体が持っている自然治癒の最大限の可能性を信じること。

これに沿っていくことが、娘の成長の扉を、次々と開け続けてくれたのでした。

続く

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