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「無痛分娩」と言わないで - 切迫流産、無痛分娩、子宮復古不全 -

母になったあの日から、世のすべてのお母さんたちを尊敬している。「こんなにも痛い分娩にチャレンジできるのは、はじめてでその痛みを知らないからだ。知っていたら挑戦しない。」そう思っていた私が、2児の母になった。「無痛分娩」という言葉を信じて。

第1子を普通分娩した私は、あの壮絶な痛みがトラウマで、第2子の出産には無痛分娩(硬膜外麻酔分娩)ができる産院を探した。正確には、あいだで流産してしまったので、もう産む病院は決めていた。設備と医師が24時間体制で整っている大病院。2人目不妊を乗り越えてやっとできた命。二度と悲しい思いをしたくなかったから。

でも、12週で試練はやってきた。つわりが少し落ち着き、久しぶりにたくさん食べて、ゆっくりお風呂に使った翌朝、局部を水がつたうような違和感で目が覚めた。出血していた。産院の救急に向かうタクシーの中で思いだしたのは、当時から1年前の流産。昨日まであった命を失う悲しみ。流産が癖づいてしまう恐怖。
こんなときに、出血が止まらない自分の体よりも、まだ生まれていない子どもの命を心配してしまうのは母性だろうか。切迫流産で、2か月間寝たきりとなったが、安定期を無事迎え、順調に育ってくれた。
とはいえ、上の子のお世話があるのに、産後だけでなく産前も2か月間動けなくなるなんて、私の母に負担がかかったことは言うまでもない。それでも、私をママに選んでくれた、私のもとにやってきてくれた命を守ることが最優先だった。

コロナ禍の妊娠だったため、健診の付き添い、出産の立ち合い、産後の面会、すべてが禁止されていた。2人目とはいえ、お腹の中で育っていく命とその誕生の感動を、家族と一緒に感じられないことは寂しかった。
おまけに出産前は、陣痛中にPCRをして、陽性であれば即帝王切開、陰性であればマスクでの分娩をしなければならなかった。

ここからは、私個人の体験としての無痛分娩と、産後の子宮復古不全の経験を書きます。だれかのなにかに役立ちますように。

*記事をご購入いただいた方からのご指摘、不明点やご相談は、メッセージにて受け付けています。一個人の体験での回答になりますが、妊娠や出産にまつわる質問もOKです。*

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