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4LDK (1)みなみと西山

冬には牡蠣が食べたくなる。冬にしか食べられないものでもないのだが、冬になるとなんとなく牡蠣を食べておかなくちゃという気になる。 ”何を” が決まっているのだからあとは ”どこで” を決めるだけだ。去年は銀座のオイスターバー、今年は六本木のお店を選んだ。 ”誰と” も決まっている。

いつもは早めに入って一杯飲みながら待つのだが、今日はスタート時間が決まっているので予約ギリギリに入った。駅から歩いて2分ほど、せまい階段を地下に降り、重厚な扉を引くと、暖色系のライトに照らされた空間が広がっていた。

音もなくすっと静かに現れたギャルソンはパリッとした白いシャツでこの店の落ち着いた雰囲気に合っていた。

「予約した西山です」と伝える。みなみはまだ来ていないようだ。

左の奥にカウンター。ホールのスペースは真ん中が贅沢に広く開けられていて壁際にテーブルが10卓ほど。通されたのは右奥のソファー席だった。

注文したスパークリングワインに口をつけたちょうどその時、みなみからLINEが入った。

《 今着いたたんだけど、この店でいいの? 地下? 》

《 そう、地下のデカい扉。グッと引いたら開くから 》

入口を見ているとゆっくりと重い扉が開いた。

手を振ると、みなみも手の平を見せて小さく手を振り返してきた。

細身のラインが綺麗に出るタイトなネイビーのパンツスーツ。最近のみなみはかわいいというよりはしっかりした印象の服を選ぶことが多いようだ。

「なんだかすごい雰囲気のあるお店ね。ちょっと入るのためらっちゃった」

「うん。俺も初めてくるお店だけど知らない人はちょっと入りにくいかもね」

「さすが六本木。大人な感じね」

「でもね。実は高くない。牡蠣と肉のコースで8,000円。しかも3時間の飲み放題付き」

「パパにとっては最高のコースね」

「そうだね」

みなみは俺をパパと呼ぶ。

悪い気持ちはしない。できるならずっとそう呼んで欲しいのだが、この間柄にもいつか終わりは来るのだろうと思っている。

コースの最初の品がテーブルに届いた。生牡蠣だ。

「去年の銀座もよかったけど、この店の牡蠣もよさそうだな」

「そうね。おいしそう」

冬には牡蠣、夏には肉を食うのがここ何年かのみなみとのデートの定番となっているのだ。

「これ、なんだろ?」

「ポン酢じゃない?」

「えー、この雰囲気の店でポン酢ってことないだろう」

「生牡蠣にはポン酢が一番おいしいのよ。ちょっとかけて食べてみてよ」

「どれどれ。ホンマや!ポン酢や!」

「でしょ?」

どんなお店でも俺たちはかっこつけない。笑いたい時に大声で笑う。せっかくの時間、周りを気にして楽しめないなんてはまっぴらごめんだ。どこでどう楽しもうが俺たちの勝手だ。俺たちは自由だ。

「牡蠣のアヒージョだって」

「これもおいしそう!」

まっすぐに肩の下まであるみ黒くやわらかい髪が揺れる。いくら大人の女性を気取ってみても、こういう時のみなみの笑顔はどうしても子供っぽくなる。それがとてもかわいい。

ミック・ジャガーは今43歳年下の恋人と付き合っているという。さすがスーパースター「年齢なんてただの数字」を体現してる。だが言うは易く行うは難し。

当然ながら俺はミックのようにはいかない。若いつもりでライダースジャケットを着てはみるが、鏡の前に行けばそこには年相応のおじさんが立っている。体力と財力については年相応以下だ。わざわざミック・ジャガーを引き合いに出す必要もなく、俺は何の魅力もないフツーのおじさんなのだ。

そんな俺に付き合ってくれるみなみには感謝している。と共に罪悪感もある。

俺じゃなく、彼氏といる方がきっと楽しいはずだ。学生は勉強にバイトに意外と忙しい。なのに、俺と。

みなみの大切な今という時間を俺が奪ってしまっている気がして、申し訳なく思う時がある。みなみは楽しいよと言ってくれるが、その言葉には彼女の素直な感情だけではなく、同情と優しさが何割か含まれているように思えるのだ。

妻の東子に対しても罪悪感はある。

東子とは仲が悪いわけじゃなく、今でも彼女を大切に思っている。ただ、俺にとって東子は家族になってしまった。女性ではあるけれど、俺にとって今の東子は、妹や姉やお母さんと同じ感覚の異性ではなく家族なのだ。

結婚当初から東子の身体を触っていない。その理由もわからない。付き合っていた頃から結婚するまでのどこかで俺の感覚が変わっていったのだろう。それがなぜなのかもわからない。その当時はこのことを問題だと感じ悩みもしたが、今はそれが悪いことだとは思っていない。

人が愛し合う形は人の数だけあり、夫婦の形は夫婦の数だけあるはずだ。決められた形に合わせる必要もなければ、自分の感情に反した形に合わせることもできない。

考え方も行動も自由でいいはずだ。そう、作られた概念に縛られる必要なんてない。自由でいい。俺たちは自由だ。どんな形でもいいはずだ。そうして今の形にたどり着いた。今この形でお互いにそれで納得しているならそれでいいじゃないか。たとえ他人には理解されなくても。それが俺たちがたどり着いた形なら、それで家族がしあわせを感じられるのならそれでいい。今はそう思っている。

だが俺の東子に対する態度が違っていたのなら、今の状況も違っていたはずだ。たぶんこうはなっていなかった。そうした罪悪感はずっと心の奥底に横たわり続けている。いつかそうした想いからも解放されるのだろうけれど。


その後、みなみは出てきたパエリアに「ねぇ、今初めて気づいたんだけど。ここスペイン料理のお店だったの?」と笑い、最後に甘いデザートをペロリと食べた。その間俺はたっぷり3時間ワインを楽しんだ。

会計を済ませふらつきながら階段を登った俺はもう帰るのが面倒になり、みなみに甘えるように言ってみた。

「もうここからタクシーに乗っちゃおうか」

「何言ってるのよ。まだ地下鉄走ってるよ。さあ、しっかりして」

期待通り。酔ってないせいもあるだろうが、みなみはいつも冷静なのだ。俺が安心して酔えるのは彼女のおかげでもある。



六本木から地下鉄を乗り継ぎ、JRに乗り換え、やっとのことで着いた駅から15分歩く。立地は全くよくないがここしかなかった。

4LDK。

玄関を開けると廊下がある。右手に行けば浴室とトイレ、まっすぐ行くとリビングがあり、四隅に一つずつ部屋がある。

リビング以外に部屋が4つある間取りは珍しく物件数が極端に少ない。さらにそうしたレアな物件に住む人はそれなりの事情がある人なので、なかなか空かない。売りにも出ない。俺があの時この物件を見つけられたのは、偶然や運でもあるだろうが、きっとめぐり合わせだったのだろう。


玄関を開けると、みなみは靴を脱ぎカバンを俺に渡した。

「シャワー入るね」

そのまま浴室に向うみなみを見送りながら、廊下を進み、リビングの戸を開けると。

電気がついていた。

テレビの音が鳴っている。

リビングのソファーに、東子が座っていた。

「東子」

少し驚きながらも東子に視線を合わせたまま、キッチンの横の四人がけのテーブルにみなみの鞄を置く。

東子はこちらを振り返りもせずに言った。

「今日はみなみとデート?」

「そう。六本木でちょっと飲んできた」

シャワーの音が聞こえてくる。

「へぇ。楽しそうでいいわね」



これが俺の家。

4LDK。




ー つづく ー



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