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どの民家にも蘇民将来注連縄

旅行や仕事での出張で初めて行く土地では
その土地ならではの風習などを発見できることもありますよね。
伊勢周辺の地域では

多くの家の軒先に
『蘇民将来子孫家門(そみんしょうらいしそんかもん)』
と書いた札がに吊るされているのをよく見かけます。

年末の大掃除ではこれを新しいのに取り替えます。
そしてつけたら来年末の大掃除までそのままです。

伊勢旅行に行った際には
玄関頭上に注目してみてください。

多くの家の軒先に飾ってあるはずです。
なぜこの注連縄が飾っているか今日はお話ししましょう。

この門符(注連縄についている木札のこと)にはこんな話があるんですな。

昔々、牛頭天王がお嫁さんをさがしに
竜宮城へ出かけられた時のこと、

歩きながら、泊めてもらうところを探していました、
森の中にたいそう立派な一軒の家を見つけました。

その家に住むのはこのあたりで一番の長者、
巨旦(こたん)でした。

牛頭天王はさっそく、戸をたたいて頼みました。

「旅のものですが、疲れ果てて歩くことができません。一晩だけ泊めていただけませぬか」

巨旦は、貧しそうな身なりをした牛頭天王を見て、

「うちは貧しいから泊められへん」

「そのようなことをおっしゃらずに、一晩だけでも」
と何度も頼んだにも関わらず、とうとう泊めさせてあげませんでした。

牛頭天王は困りはて、
ふるえながら今度は蘇民将来(そみんしょうらい)の家の戸をたたきました。

わけを話すと、蘇民は

「それはそれは遠いところから大変やったなあ。わが家は見てのとおり汚い家やけど、よかったら泊まってってください」

と快く招き、粟を出して親切にもてなしたそうです。

次の日、出発する前に牛頭天王は泊めてもらったお礼に、
宝物の玉を蘇民に渡しました。

この玉は、心のやさしい人が持つとお金がたまるとされていたのです。

その後、牛頭天王は竜宮城に着いてお嫁さんをもらい、
八人の王子のお父さんになってな、八年ぐらいたったある日、自分の生まれた国に帰ることにしました。

帰路の途中、また蘇民の家に泊まると、
心やさしい蘇民は長者になっていました。

それをうらやましく思った巨旦は
牛頭天王を家に泊めようとしたんやけど
意地悪な性格は変わっておらず、
逆に次々と悪いことばっかりが起こり

一方、蘇民はいつまでも幸せに過ごしたそうです。

実は牛頭天王という人は、
悪いことを追い払う神様だったのです。

それから、代々蘇民の家の人たちは
このとき牛頭天王が言われたように、
『蘇民将来』と書いた木を身につけたそうです。

それがお守りとなり、幸せに暮らしたと言われているんです。

なので伊勢周辺の人は、
悪いことを追い払ってくれるお守りとして、
この木の札を家の玄関口のしめなわに取り付ける
風習があるのです。

二見町◆蘇民将来

この牛頭天王とは
京都祇園社(八坂神社)の祭神。
疫病よけの神として信仰(しんこう)されています。

数多い民話の伝承では、
牛頭天王はスサノオノミコトと同じ人物であると言われている説もあります。

スサノオノミコト(須佐之男命)は
日本神話の神様で、イザナギノミコトとイザナミノミコトの子。
伊勢神宮に祀られているアマテラスオオミカミの弟に当たります。

この蘇民将来伝説は
牛頭天王を祀る津島神社(愛知県津島市)や島根県佐田町にも
同様の伝説が受け継がれているようです。

私は愛知や島根でどのような蘇民将来の風習が
残っているのかは確認したことはありませんが
伊勢周辺の地域が例え一般の住居においても
蘇民将来のしめ縄をつけている率が高いことに驚いています。

上京してから『あれは伊勢の風習だったのか』と気がつきました。

初めて伊勢志摩に来た人は
『あのしめ縄はなんですか?』と
まち歩きが好きな人は必ず聞いてくれますし
理由を話すと面白がってくれます。

そりゃそうですよね、誰に言われたわけでもないのに
地域住民がほとんどあのしめ縄をつけているんですからね。

この記事を読んでいて
もし伊勢神宮にお参りする予定がある人がいれば
ぜひ普通の民家の玄関にも注目してみると
面白いかもですよ。

マップにピンが立っている、松下社には御祭神として蘇民将来のモデルとなったと言われている、『須佐之男命』が祀られています。

知らないと素通りしてしまうくらい、特にアピールもしていないのでぜひ気になった方は訪れてみると良いかもしれません。

近くには『民話の駅 蘇民』という道の駅もあり地場で採れた農作物や魚や貝なども販売していますよ!


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