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知性とは

 知性とはこういうもののことなんだな、と思いました。


 ペケったーではときどき、お巡りさんに職務質問されて「怒っている」人をお見かけすることがありまして。

 それこそ、ただ夜道を歩いているだけなのに職質された、といって怒る人。
 まあ職質されれば時間は取られますから、わからないでもないんですけど。

  でもお巡りさんにだって何かしらの理由はあるわけだし、市民としての協力ってことでいいんじゃないかなあ、そんなに怒らなきゃならない理由があるとしたら、それはなんだろう――などとうっすら思いつつ、TLを流れて行くのをみております。


 が、上記の漫画の主さまは、そうではない。

「そりゃあ夜中にこれという目的もなくフラフラ徘徊していたら怪しまれるよ。そりゃ当然だよ」

 というスタンスで自らを語る。

 そして、万一職質をされた場合に備えてID(身分証明)を持参していく。

 つまりは「他人から見た自分を、自分の目で見ている」のですね。

 

 知性とは何かというなら、それは「メタ認知」である。という話を聞いて、ああ確かになーと思ったことがありまして。

 メタ認知って、こういうことですよね。

 自分を、他者の目で見てとらえなおすことができる。

  自分にとっては自分はべつに怪しいものではないけれども、赤の他人、通りすがりの人、お巡りさんなどから見たらどう見えるか。

 それを自分の目で見て認知している。

「私が犯罪者なわけないだろう!」

 つってお巡りさんに向かって怒るとき、その人には、「他者から見た自分」の姿が見えていない。

 知性とは、もちろん自分は自分のことを認識していますが、他人から見たらどう見えるかをも承知できる意識の働き。

 意識の働きなので、案外(というべきかどうか)知能とは必ずしも関連性はないのかもしれません。

「頭がいい人なのに、なんでこう理解力がないんだろう」

 と戸惑う人に会うことがあるんですけど、それも知性の違い――「意識」の働き具合の違いだから、と考えると、ちょっと納得できる気がします。
(納得はできても、困ったなーが解決するわけじゃないけど笑)

 で、たぶんここが大事だと思うんですけども
「他人から見れば今の自分は怪しさ全開の不審人物」
 ということは承知していつつも
「ピクミンブルーム楽しい!」
 という、自分の楽しみもしっかり持って、それは妥協していないところ。

 他人の目を気にして、自分を制限するわけでもない。
(つまり、ブレがない)

 でも、他人の目にはどう見えるかは承知している。それを受け入れてもいる。


 このバランス。


 自分で自分のことは大事にし、楽しいことはちゃんと実践していつつ。
 他者の視線も了承している。


 他者のことを尊重しているし
 それ以上に自分のことをまず、尊重している。


 これができること、このバランス感覚が、知性のなせる技なのであろう、と思いました。


 自分の感覚や自分の楽しみを大事にする、尊重するということが決定的に欠落して生きてきた人間なので、なるほど人はかくあるべし、だなと思いました。

 メモがわりに、そんなお話を。


  ところで職務質問てされたことないんですけど、それってどんな感じなんでしょ? と、変な方向に好奇心を惹かれてしまいます(笑)

 

 

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