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切腹=アポトーシス説

Shogun堂々の完結!!いやーもうマジ素晴らしかった序盤から既に大ハマりだった訳ですが、最後まで失速しないどころか超加速でのフィナーレ。まことアッパレでございまする。たぶん自分が人生で見た時代劇の中で最高の作品だったんじゃないでしょうか。それを書いたのがイギリス人で、アメリカ人と日本人が協力してドラマ化したという。なんか色々感慨深い。

東洋の謎ルール「誇りと恥」縛りの中で、かなりデバフかかった状態からの逆転チェスバトル。「成り」とか「持ち駒」とかあるから将棋かな。全ての駒の特性を把握して動きを予測、多面打ちで数百手先まで読み切る無理ゲー。AIでも予測大変そうです。しかもそんな脚本を、史実や原作から大きく逸脱する事なく、文化思想解説やロマンスをも絶妙に絡ませて描く。今風の「伏線」や「引き」もてんこ盛り、情報量の調整や構成も巧妙。美術や演技も超弩級で、まあようこんなドラマ作れたなとつくづく感心するばかりです。

僕はゲームオブスローンズは全く乗れずに挫折したんですが、将軍は終始ガッツリ掴まれっぱなしでした。エログロ政治駆け引き衝撃死クリフハンガーとかは同じなのに、何がこんな違いを生むのか。原作は将軍の方がずっと先で、実はゲースロの方が将軍の影響下だったっぽいですが、やっぱ作り手の熱量なんでしょうかね。脚本も演技も演出も、型やセオリーで作ってる感じが全く無くて、細部までこだわったフルオーダーメイド・オートクチュールっていうか、始終ものすごい吸引力でした。


水は低きに流れる

水の低きに就くが如し」ってありますよね。たしか孟子?「自然の成り行きというのは必然であり、人力の及ばない領域」みたいな意味です(ちなみに「水は低きに、人は易きに流れる」=意識低いヤツはどこまでも落ちちゃうよ、ってのは後から派生した誤用みたいですよ)。

これを今風に言うなら「コンストラクタル法則」ってやつですね。「万物は合理的に進化する」みたいな法則です。あらゆる構造は、可能な限り抵抗が少ない形に自然収束し、流動効率最大化に向かうと。環境自体も、そこに生きる生物のデザインも、その生物が持つ意識も、意識群が生み出す社会経済構造や情報ネットワークも、果てはAIシンギュラリティでさえも、各条件下における合理的効率化の過程としてそうなっている、という説です。自然選択の究極系、自由意志完全否定、ダーウィンやレヴィ=ストロースも引く程のリアリストっぷりです。

でですよ。日本文化は二千年を超える継続歴史の上に成り立っています。外界からの侵略を受けず、断絶する事なく熟成醸造された世界最古のガラパゴス構造という事です(ちなみに中華四千年とか言いますが、中国の王朝は断絶しまくってるし、途中モンゴル系になったり南蛮系になったりもして、日本とは異なる熟成プロセスを辿っていますね。キングダムとか三国志とか)。そもそもが決定論的思想を持つ仏教の影響下でもあり、構造主義・創発的メタ認知が起こりまくった文化なのです。

家階級社会、誇りと恥、本音と建前、全体主義、これらの文化は、自然災害ホットスポット・日本列島という環境下でのホモサピエンスの活動が、コンストラクタル法則に乗っ取り効率化し、自然選択を生き残った結果として獲得した、極めて洗練された合理的構造だという事です。そしてそれらの最終統廃合イベント「関ヶ原」で日本は統一され、ひとつの構造体としての完成系を見ました。その後、太平の世を迎えた江戸幕府の日本は、当時世界最大の都市として黒船来航まで三百年の栄華を極める事となります。

切腹=アポトーシス説

さて、海外で西洋人に説明しようとして最も困るものの一つが「切腹」です。ドラマ序盤では「なんで日本人どいつもこいつもそんなに死にたがりなん?!」って感じなんですが、いかに侍といえど、無駄死にはやっぱり嫌な訳です。意味ある生と同時に、意味ある死を望んでいます。ただ、その「意味ある死」という概念がどうにも伝わりづらい。

理解度Lv1:刑罰として無理やり自殺を強要するんでしょ?残酷!野蛮!
理解度Lv2:恥に耐えられず自殺するんでしょ?頭おか!豆腐メンタル!
理解度Lv3:自らの死をもって誇りを示すんでしょ?自意識過剰!無意味!

と、まったくの誤解レベルから、理屈はわかるが理解はできんレベルまで反応も様々。特にキリスト教ベースのモラルでは死は絶対悪だし、自死は禁忌でヘル直行の罪なので、クリスチャンOSの人は大困惑です(現代日本人もOSは西洋ベースなので同様かも)。でも、そもそも「自殺」という定義理解からして若干合ってないんですよね。個人完結の行為ではなく、構造的で社会的なイベントだと捉えないと理解が脱線してしまいます。むしろ、その個人の死がもたらす波及効果の方に意味がある訳です。

で、僕もこれをどう説明したもんか、いつも悩むんですが、最近僕の中で個人的に流行ってるのが「切腹=アポトーシス説」です。アポトーシスというのは、細胞が持ってる自壊プログラムの事です。要請信号に応じてプログラム発動して細胞が自壊する現象です。例えば人間が胎児の時に、手の指が5本に分かれるのは、指の間の細胞が自壊するからです。つまり、構造の中で必要に応じて自壊する事で、構造全体の利を成す、というプリセットシステムです。

人間スケールで考えると、「主君や一族の不利益を除去し、さらに社会構造の中での運営を円滑にする」のが切腹であり、語弊を恐れずに言えば「必要死」なのではないかという事です。そしてこの「意味ある死」切腹システムもまた、アポトーシス同様にコンストラクタル法則の合理化の末に生まれたプリセットシステムだと考えると、切腹の科学的考察として割としっくりくる気がするのです(僕だけかもしれんけど)。コンストラクタルにしてフラクタル、タルタルソース美味しい。

もちろん人間は細胞ではないので、家族が切腹しちゃうとスゲー悲しいし、大ドラマになっちゃう訳ですが、それも波及効果の一部だとも言えます。あるいは、もしかしたら僕らが知らないだけで、細胞も介錯したり葬式上げて49日喪に服したりしてるかもしれないじゃん(無理筋)。僕のNoteでは「粘菌の子実体」とか「蟻は巣全体で一生物」みたいな話も書いたし、気付いてる人もいるかもしれませんが、僕は割と人間の活動も細胞活動のように俯瞰的に見ていて、「働く細胞」的な妄想で捉えています。という訳で「大阪夏の陣」だって、細胞体同士の統廃合イベントに見える訳です。

宿命=コンストラクタルデザイン説

将軍の世界において、西洋思考=個人自由主義のアンジンは、僕ら現代人視聴者のアバターであり代弁者でもあります。中世日本の封建社会における忠義・忠誠・滅私奉公を見て、「セルフレスはセンスレス、自己犠牲は思考停止の自己放棄だ。自分の人生を大切にしろ」と、いかにも僕らが言いそうな反応をします。対してマリコは「根無草の自由に本当の充足は無い。環境との関係性の中で自身の役割を果たしてこその生と死であり、その役割のことを<宿命>と呼ぶのだ」というスタンス。この示唆に富んだ価値観・死生観の違いよ。そりゃズキューンって恋にも落ちちゃうって。

では満ち足りる人生、幸福とは何なのか。これも以前色々書いた気がしますが、ホモサピエンスの生態特性を考えれば、マリコの言い分は結構理にかなっています。本来ホモサピエンスは数百人程度のコミュニティで生きる群生生物で、社会性と多様性で相互補完しながらサバイバルする生存戦略を取った生物です。生物進化学的にも脳科学的にも、「コミュニティに属して、自身の能力を発揮し貢献する事で幸福脳汁放出」するようにできています。数十万年のコンストラクタル進化の末に、そういうデザイン設計になりました。自らの役割を果たして、種全体の生存に寄与する、そういう意味では粘菌や蟻とも大差無い訳で、その過程でアポトーシス発動したとして、特段驚く事でも無い訳です。つまり、中世日本の文化は、ホモサピエンスとして極めて高度な合理システムに到達していると言えます。と同時に「自由浮遊の個人では幸福になれない」も筋が通ります。単細胞では幸福はおろか生存自体危ういですしね(いろんな意味で)。ただ、たまにアンジンやヤブシゲみたいな浮遊放浪個体が生まれることもまた、多様性の一部として必要なものなんでしょう。

日本の全体主義は、ちょいちょい悪習っぽく言われる昨今ですが、江戸時代で一度完成系に至った稀有な構造体だと考えると、やっぱり気高く尊いものなんです。しかし黒船→開国→グローバル化で新環境に突入、新たなコンストラクタルが始まります。明治以降、伝統構造の上に西洋思想が乗っかっちゃったもんで、色々コンフリクト起こしちゃってますね(昔、Mac上でWindows走らせてデュアルOS!とか喜んでた友達いました)。おかげで現代日本はアポトーシス大国になっちゃってますが。僕自身、中世日本の構造や思想を見て「美しい」と感じますが、個人自由主義の現代日本で生まれ育ち、今やイギリスまで来て逆アンジンみたいな生活してる自分には、マリコ様のように地に足ついた誇り高い生き方、眩し過ぎて絶対無理っすわ。

僕らの宿命

さて例によって、本編視聴後はリアクション動画のお時間。各Youtuberの反応を楽しみます。一挙全話配信より週一配信の方が、毎週みんなでワイワイやれて楽しいのは、唯一TV文化で残った良い部分かも。現代日本人ですら一瞬戸惑うほどに難解な中世日本マナーを、順序立ててゆっくり体感学習させていく脚本の巧みさ、更にそれを視聴者同士で補完し合って、欧米人もちゃんと細部まで理解して感動してる。切腹理解度も最終的には一気にLv10くらいになってます。しかも理解した上でみんな日本のことスゲー褒めてくれるもんだから、つい嬉しくてホルホルしちゃうよ。

神回連発の全10話ミニシリーズ、特に終盤の畳み掛けは凄まじく、「このバカ息子〜ッ!!(困惑)」からの「おじいちゃ〜ん(怒泣)」からの「イェ〜イ、マリコ、ゴ〜ッ!!(大歓喜)」直後の「ノーーマリコ、ワーーイ?!(絶句)」みたいなローラーコースターっぷりに、もうみんな翻弄されっぱなしでした。そして意表を突く、荘厳にして切ないフィナーレ。「戦は始まる前に終わっている」は兵法マナークリシェですが、最終話で鮮やかにぶちかますとか凄すぎます。最後まで健気なアンジン様、いい表情するなあ。

ちなみに家康って、日本だと尊敬こそされイマイチ人気無い気がします。狡猾で忍耐強いけど、ヒーロームーブあんまり無いし、実際はヤブシゲの最上位互換みたいなキャラだしね。風を読み、人を操り殺し、「計画通り(ドヤ)」と事態を動かしていくトラナガ自身も、「王将」という駒としての宿命に従っているだけ、コンストラクラルにおける彼の役割を果たしているだけな訳です。一番ヒーローっぽい文武両道SS級侍・細川忠興がモデルのブンタローは、ストーカー気質コミュ障DV夫で最後にはメンタルフルボッコ脳破壊だし。いや、このPTSDを乗り越えて関ヶ原で覚醒無双するのか。若干メンヘラ臭漂う細川ガラシャがモデルのマリコ様、並びに各女性キャラクター達は、ほんと超絶魅力的に描かれてて、「これこそが正しいフェミのポレコレ」とまで言われて大絶賛されてますね。

そしてこのドラマ自体も、一連のリアクションや模倣も、あらゆる社会現象も、現代で進行中のコンストラクタルだと言えます。ただ、最近は環境の変化があまりにも早すぎて、熟成する暇もなく振り回されっぱなしの僕らです。いつしか再び「合理構造の完成系」=「天下太平の世」に到達する事ができるのか。その過程における自分の役割とは何なのか。できれば切腹しなくていい宿命でお願いしたいです。


とにもかくにも、シリーズ完結しちゃって今やすっかり将軍ロスですよ。エクストラとして関ヶ原から江戸幕府爆誕まで、大スペクタクルで映画化してくんないかなー。イシドー晒し首のカタルシス希望。でもマリコ様はもういないし、たった6時間で決着したと言われる関ヶ原なので、やっぱりあれで充分か。トラナガもチェックメイトまで読み切って「皆で成し遂げた」って完了系で語ってたし。その上で、全てが解放浄化される、あんなに美しい最終回やられちゃうと、それ以上はもう完全に蛇足でしかないですね。花は散るが故に花であって、そしていつか風が吹いてまた花をつけるって事です。



サムライ、ハラキリ、ニンジャ、ゲイシャ、更にはマッチャ、ハイク、ブシドー、カミカゼまで、これまでの「浅っさ〜いなんちゃって日本」のステレオタイプを片っ端から蹴散らし、それらが本当はどういうものだったのかを西洋に再学習させる、そんな快挙を成し遂げた史上初のドラマ、ちょっとしたミラクル起きちゃってます。真田さんが「正しい日本文化を伝えたい」としつこく言ってましたが、ここまで見事にやり遂げるとは。僕の真田さんの最初の記憶は里見八犬伝ですが、今やミフネ、チバを完全継承しましたね。

まことまことにアッパレでございまする。


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追記:
ついでに80年版Shogunも見てみたんですが、なんか異世界転生ハーレムなろう系アニメみたいだった…。同じ原作でも、変わるもんだなあ。






いつの世も、アーティストという職業はファンやパトロンのサポートがなければ食っていけない茨道〜✨