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【小説】箱の中

私の通っている高校では、面白い授業がある。
「北海道の自然」という授業でその言葉通り、自然を楽しむ選択科目だ。

札幌市の東側、周りは牧草地で少し行くと大きめの川が流れており住宅はほぼない。そんな中にポツンと建っているのがうちの高校だ。

北海道の良いところは四季がはっきりしている点だ。
春はまだほぼ冬と言っていい様な気候で寒々しいが、長い冬を乗り越えた自分自身になんとなくご褒美をあげたくなるような陽気な気分になる。
夏はカラッとしていて体育祭日和だ。
本州のような炎天下や湿度はまれなため、外で行う競技にも活気がある。
秋はお盆を過ぎるといつの間にか忍び寄っており、隣に来るまで全く気付かないハイブリッド車のように過ぎ去っていく。
冬の登下校は基本バスで、学校に入る前の敷地では大体誰かが雪の下にうっすら張ってある氷に気付かず、足を滑らせ転んでいる。
部活動も体育館内で行うしか方法がなく、体育会系は場所取りでひっきりなしだ。廊下では、吹奏楽部とバスケ部が横並びで筋トレをしている。
そんな大変過酷でちょっとユーモアも含む季節を越え、やっと春を迎える。

「北海道の自然」は特に春から夏にかけての目玉の授業だ。
校庭の裏側にある畑にいくつか野菜や植物を植えて、経過を観察、それをレポートにして発表する。
写真を撮ったり、生物の生態について調べたり、朝早くからの水やりなど結構な手間だが人気なのには理由がある。
『スイカ』だ。
毎年スイカを育てるのだが、それが良い頃合いになると校庭の駐輪場の前で収穫したスイカで目隠しスイカ割り対決が行われるのだ。
意外かもしれないが北海道はスイカの収穫量日本国内で10位以内に入る。大体受粉してから1〜2ヶ月ほどで食べ頃となるが、みんなこれを楽しみに面倒臭い過程を乗り越えている。

私はこの授業を取ったことはないが、当時収穫後に少し熟れさすために段ボール箱に詰めて数日置いておくのがセオリーだった。
私の席は、一番前の右端、隣が教室の扉のすぐそばで出ると目の前が廊下だった。
一番前ということで先生からよく見られそうだが、意外とこの席を素通りして入ってくるので朝会前に漫画を読んだり、絵を描いていても注意されたことはない。(一番奥の後ろの席が先生に目をつけられる危険地帯ではないかと私は踏んでいる。)

今年もスイカが収穫されると段ボール箱に入れられ、私の席の目の前に置かれた。こちらからはほぼ中身は見えず、スイカの上部分の少し黒い部分だけが顔を出している。
私は日課のように中身を覗き込んで、腐っていないかだけは必ず確認するようにした。
時々虫が湧くこともあるので、さすがに目の前でその事態は避けたく、おそらくその時期一番スイカを気にしていたのは私だと思う。

そうしている間に、授業中も暇な時間があるとふと段ボール箱を見る様になっていった。
今日のスイカはどうなんだろう。早く食べ頃にならないかな。
そう思っているうちに、本当にその箱に入っているものはスイカなのだろうかと疑問に感じる様になった。

50分の授業の間にその妄想は膨らんでいった。
もしあれの中身がミカン山盛りだったら。
授業ごとに1つずつ食べるのにな。私の大好物は冬に食べるみかんだった。

もしあれの中身がローファーだったらな。
私はみんなと一緒が苦手で、ザ高校生という格好がどうしても受け付けなかった。でも目の前にあるのならちょっと履いてみたい気もする。

もしあれの中身が
あれの中身が、、
死体だったら?

私は箱の中に死体が足を折り曲げて放置されている図を想像した。
まるで擬態のように肌色が段ボールの茶色に近づいている。いや、でもそんなはずは、、
それにあの大きさじゃせめて入るのは、小さな子供か、頭だけだ。

頭、、?
妙にリアルに首から上の頭部がまるでスイカの代わりにすっぽり収まっている。顔にかかった髪の毛がこの暑さでねっとり張り付き、顎筋や目の窪みまで表現している。
まるでそこにいたのは最初からその頭だったかのように自然だ。
私はなんでその事実に気づかなかったのか、自問自答した。体がひんやりと冷たくなり、呼吸が荒く少し気分が悪くなってきた。
腐らないようにずっと見てきたはずなのに。
いつから。

----キーンコーンカーンコーン

私はチャイムの音に体をびくつかせながら、教壇の方を見た。
先生はすでに教材道具をしまいながらみんなに次の授業の予習を伝えている。
周りの同級生たちも何もなかったように、何人かは先生の話を聞き、その他大勢は次のお昼休憩のために他の人に声をかけている。
日常だった。

私は急いで、段ボール箱に駆け寄り中身を見た。
それは紛れもなく「スイカ」だった。

私は安堵と共になぜか少しがっかりする気持ちで席に戻ると友達が私に話しかけてきた。
「スイカそろそろじゃない?下の方水っぽくなってるんだけど。」
「そうだね。」
空返事をすると改めてスイカを眺めた。

頭ではなかったけど、スイカであることもなんか違う気がした。
私はその違和感についてその後もずっと考え続けた。

高校3年の冬。
教室には推薦受験や就職が決まった生徒などすでに卒業準備が完了した生徒のみがほぼ雑談をするためだけに集まっていた。

みんなこれから違う人生を歩んでいく。
きっと大人になって会っても、この人こんな人だったけ?と疑問に思うことも出てくるだろう。
良くも悪くも周りからの価値観を押し付けられるのが大人だ。
自分は何も変わっていなくても、周りが変わっていくかもしれない。もしくは自分の"何か"が変わってしまっていることにも気づかず、周りのせいにする大人になっているかもしれない。

でも、ただ確かなことは、この学生時代が紛れもなく自分自身の根っこの部分に何かしら影響を与えたことだ。
人は外の箱から中身を予測するが、それははたして合っているのだろうか。
勝手に決めつけて、勝手に期待して、勝手に落ち込んで、
そんな繰り返しの中で何も見えていなかった自分に気づき、ふと理解するのかもしれない。
余白があるということがいかに幸せなことなのか。

そう考えると自分の試行錯誤が可愛らしく、残りの卒業までの日々を大事にしようと思える。
ちょっとしたことで笑い、ちょっとしたことで泣いたこの日を。

「ねーねー、この後みんなでカラオケ行かない?」
「良いね!」

-箱の中-完

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