記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

問題児の悲劇と救済ー『あの夏のルカ』のアルベルト考察


前書き


前回の記事では、「自分の中での評価の高さが世間と一致してるけど、とある一点に強烈な違和感を感じた」思い出の作品を取り上げました。
読んでくださった方、ありがとうございます。

前回は「違和感を持った部分がリアタイ当時誰も注目されなかったこと」がテーマでしたが、今回は「皆が大絶賛しているポイントにある種のギャップを感じた」というテーマ。

今回取り上げる作品は、『あの夏のルカ』


平穏な海の世界に暮らすシー・モンスターの少年ルカ。
友人のアルベルトと〈海の掟〉を破り、人間の世界に足を踏み入れる。
身体が乾くと人間の姿になる彼らは、少しでも水に濡れると元の姿に…。

この“秘密”を抱きながらも、ルカは目の前に広がる新しい世界に魅了されていく。
だが、2人の無邪気な冒険と友情はやがて、海と陸とに分断されてきた2つの世界に大事件を巻き起こす─。

公式サイトのあらすじ

私の感想


本作は、予告の段階で『君の名前で僕を呼んで』+『シェイプ・オブ・ウォーター』+ジブリ作品のオマージュ山盛り。
私の好きな作品要素てんこ盛りという、まさにストライクゾーンをピンポイントで撃ち抜いてくるかのごとき作品でした。
一方で、優しく温かな色合いを基調とした牧歌的な世界観と裏腹に、根幹設定は「人間に擬態できるシー・モンスター」「人間側はシー・モンスターは見つけ次第抹殺のスタンス」。
『デビルマン』並みに殺伐としたものであり、それなりに覚悟した作品でもありました。

しかしこの作品、あまりにもタイミングが悪すぎた。

ちょうどコロナ禍直撃のタイミングで、ピクサー前後作の『ソウルフル・ワールド』や『私ときどきレッサーパンダ』共々Disney+送りに。
先日の“泣ける名作”3作品で上映されたとはいえ、この扱いには苦い思いをした人も多いでしょう。私もその一人。
こんな風にワクワクハラハラしながら当時配信されるのを待ったわけですが……

いやはや、素晴らしい映画だった!

科学とアートを融合させた、あまりにも美しい水の表現。
歩けるようになったことで、世界や知識が一気に広がる瑞々しい喜び。
一方で、自我が目覚めていくことで他者との違いや差が見えるようになり、暗黒面を露呈してしまうルカとアルベルト。
それでも二人は、最終的に二つの種族和解の道を切り開き、それぞれの道を歩んでいくのだった……

「ひと夏の冒険」という王道中の王道を、バシッと完璧に仕上げた名作。
実際、Filmarksでのレビューも過去一で力の入れたものでしたし、某wikiでも記事を作ったくらいですから、思い入れの深い作品であります。


しかし作品を調べたり考察したりしていく内に、ある違和感にぶち当たることになりました。

何だ、このアルベルト大絶賛&全面擁護ムードは?!

レビューを見てると、多くが「アルベルト可哀そうしんどい」「アルベルトいい奴すぎる!」という論調。
実際私自身も、アルベルトに対して最初は感情移入していたのですが、やがてその論調に「本当にそれだけ?」と思うようになりました。
ここからは、どのように感情移入したか、違和感を抱いたかの話となります。

悲劇の子アルベルト


まず言っておくと、アルベルトは実際に、作中で一番ドラマ性が高いキャラでした。
おそらく唯一の肉親だった父親に見捨てられ、あらゆる社会から見捨てられ、一番大切な友達ルカにすら見捨てられ……
彼の人生は、大切な存在から尽く見捨てられてばかり。
ルカの「シー・モンスターだ!」発言は初見時一瞬ポカンとなって、「や…やりやがった……やりやがった!あの野郎!!!」となりました。
実際私自身も、「友達3人で集まると取り残された」「環境が変わった途端適応できずに落ちこぼれた」「大切な友達に裏切られた」経験があるため、後半におけるアルベルトへの仕打ちは他人ごとじゃなかったです。
冗談抜きで観た後心理学について調べたほど、本作の心理描写は恐ろしいレベルの完成度。
「町に来てからアルベルト、影薄いな?」と思い始めたまさにそのタイミングでこの表情だからヒッ……となりました。

ジュリアの登場をきっかけに嫉妬や劣等感、疎外感ばかり積み重ね暴走した結果、友人全員から一度見捨てられたアルベルト。
この過程はあまりにリアルすぎて、正直恐怖すら感じたほど。
セリフが無くても、さりげない表情や情景描写でどんどんメンタルが削られているのが伝わるので、もう観ていて痛々しくてしょうがないです。

頼れる先輩のつもりだったのに、いざ人間の町に来てみればチンピラのエルコレにすら歯が立たない。
持っていた知識は一切通用しない。
おまけにルカは彼の上位互換的存在と急接近。
知識も精神面も凌駕していく。
必死に関心を取り戻そうとするも、何もかも空回り。
その結果、憧れていたはずの世界の価値観を忌避するようになっていく……

レビューの中には「焼き餅焼いちゃってかわいい❤」という声もありましたが、本人が闇堕ちするレベルで苦しんでたのに、そんな軽い言葉で済ませていいのでしょうか?

それでも最後はルカを許し助けに駆けつけ、他者を信頼・尊重する心を得て新たな世界に送り出したアルベルト。
こうして聞くと世間の評判通りなのですが……

問題児アルベルト


彼の後半の言動をルカやジュリア視点で見ると、「そりゃ絶縁されても文句言えないわ」となるレベルなのです。


自分から人間の町に行こうと言っておきながら、親切にされながら、いつまで経っても人間への不信感を改めない。

一歩間違えば死にかねない危険な目に遭わせておきながら、口を開けば言い訳ばかり。

自由になろうと誘っておきながら、相手を思い通りにできないと、大切なものをすべて破壊してでも束縛してくる。

そのためには、自分たちの種族にとって最悪命に関わるほどの禁忌すら破る。

やっとトライアスロンのチームを組めるようになって歓迎したのに、知らない間に敵意を抱かれチームを破壊された。

……箇条書きにすると、愛されキャラになったのが不思議なほどの問題児っぷり
「他者との関係は、お互いにメリットがあって初めて成り立つ」と言われますが、善意を粗末に扱う上、エゴの押しつけと人格否定でしかコミュニケーションができないのなら、一番大切な親友から見捨てられるのも無理からぬ話です。
それに対しジュリアは、二人の無知を笑ったりせず受け入れ、色々なことを教えてくれた。
いくら新たな世界に連れ出してくれた恩人とはいえ、ルカがアルベルトを選ぶメリットが見当たらない。
だから、「シー・モンスターだ!」のシーンは2回目以降だと、「これ、まともな行動を取ったら詰む状況じゃん!責めてる人多いけど、どないせえっちゅうねん?!」と、ルカを責める気になれないのです。
正直ここでアルベルトに対し少しでも甘い態度を取ってたら、歪んだ成功体験でますますモラハラ気質を悪化させる光景しか思い浮かばない。


こうして見るとアルベルトは、リアルにいたら物凄く面倒くさいタイプの子じゃないかという気がします。

人の話を聞かずに勝手な行動を取りまくっては盛大に自爆し、自暴自棄になる。

一方で暴走するのは、悪意からというより強すぎる承認欲求からである上、置かれた境遇が境遇だから責めにくい。

逆に被害者側は、加害者にならざるを得ない所まで追い詰められて叩かれる。

ぱっと見で陽気で気さくな性格なのも、抱えた問題を発見しにくくしている。

いやー、彼の言動や世間の評判を見てると、不幸な境遇が免罪符になって何やっても許されてる感があってモヤモヤする。
世間を騒がせる凶悪犯罪者の多くが不幸な生い立ちを背負っていることを考えると、アルベルトは「無敵の人予備軍」だったと言えるかもしれません。
しかし実際には、いくら悲しい過去があるからと言って、何やっても許されるわけではない。
その辺を無視して擁護することは、私にはできませんでした。
ルカもジュリアもお疲れ様としか言いようがない。

問題児の正体はヴィラン?


しかもレビューや記事を書くため、作品の裏側を調べていたら……
アルベルト、調べれば調べるほど闇ばかり出てくる!

・瞳の色は緑だが、英語圏で「Green eyed monster」「嫉妬深い人」を表す慣用句

苗字の「スコルファノ」はカサゴという意味だが、監督曰く「危険な魚 - 誰かを醜いと呼ぶのにも使われる言葉

初期案によると、アルベルトは終盤クラーケン化する予定だった


……一つ目以外はすべてソースがあるので、言い訳がきかないです。
ルカの苗字も「臆病者」と、これまたネガティブな意味が込められてますが、まだフォローがきくものだったのに。
特に3つ目、ピクサーは『まどマギ』みたいな話をやりたかったのでしょうか?
美樹さやか→アルベルト、上条恭介→ルカ、志筑仁美→ジュリアときれいに当てはまるし。
これらを見ていて、ある疑念が私の中に浮かび上がりました。

アルベルトは本来、ヴィランとしてデザインされたキャラなのでは?

それからしばらくして、アカデミー賞のYoutube公式アカウントに、長編アニメーション部門ノミネート作品の解説動画が上げられました。
本作もその一つだったわけですが、これが大変衝撃的な内容でした。

・嫉妬に狂い自身の正体を暴露したアルベルトについて、監督は「色々な意味でルカを裏切っている」と断言(6:20辺りから)

・脚本完成前での段階では、アルベルトがルカの正体までジュリアに暴露し仲を引き裂く展開まで予定していた(7:02辺りから)

……

………

やっぱりアルベルト、ヴィランだったのか!?

レビューでアルベルトについて絶賛か全面擁護の意見ばかり見てきただけに、監督の発言は衝撃的。
たとえ実の親友をモデルにしたキャラであろうと冷徹に見つめる作り手と、感情移入しながら見つめる視聴者。
その間に相当な温度差があるのがうかがえます。
同時に、自分の見方は監督の意図を読み取るという意味では間違いでなかったことがわかり安堵しました。
皆がアルベルトに感情移入する中、負の面ばかり目について「こんな指摘ばかりする私って冷たい奴なのかも」と思っていたからなおさら。
どれだけレビューを探しても、「なぜアルベルトはルカに見捨てられたのか?」まで考えているものは、ほぼ見受けられませんでした。

そしてこの没エピソードについて、「さすがにアルベルトへの悪印象が強すぎるから悲劇性を強調した」「ルカが受動的すぎるから道を踏み外させてバランスを取った」というのは分かるのですが……
本来憎まれ役だった奴が相手にヘイトを押しつけて愛されキャラに成り上がったという構図に見えてしまって、これまたモヤモヤする話。
つまりルカは、ある意味脚本変更のしわ寄せを一番受けたキャラと言えるのです。
それだけに、この背景を知らないであろう人たちからレビューで叩かれる光景は、胸の痛むものがあります。
本作は「主人公の夢のために犠牲となる親友」という展開からよく『泣いた赤鬼』と似てると言われますが、真の青鬼はルカだったのです。

問題児の救済

没エピソードも含め、これだけやらかしまくったアルベルト。
ですが、彼の言動がああなった原因は「親や社会から見捨てられた状態で育ったから」
一方で、父親が「一人で生きろ」と言い残し失踪したことや、本人も「お前は俺と違っていい子だけど、俺は何でも、ぶち壊してばっかりだ……」と自覚していることを考えると、単に捨てられただけでなく、ルカと出会う前から深刻なトラブルを起こし続けて勘当されたのかもしれません
そして陸地で暮らすことを禁忌とする者が多い同族ともつながれなかった結果、一人で生きることはできても、社会性がまるで身につかないまま育ってしまった
だから、自分を立派に見せることでしか友達関係を構築・維持できなかったし、ただ単に社会に連れ出しただけだと次第に不適応を起こし、やがて横暴で無責任な言動のモンスターと化する

それに、そもそもこの親子はなぜシー・モンスターの社会でなく、わざわざ無人島に暮らしていたのでしょうか。
人間の世界に憧れていたから?
しかし、ルカのおばあちゃんやジェラートのおばさん二人が平気で人間になりすまして交流を持っていたことを考えると、その線は薄そうです。
さらに、島の近所にルカが住んでいた集落があったにも関わらず、作中描写を見る限りでは、アルベルトは存在すら知られている様子がありませんでした。
ということは、親子揃ってシー・モンスター社会におけるアウトサイダーで、最悪の場合本来の意味でのアウトローだったのでは?という可能性すら浮上することに。

では、どうすればこうした子を救えるのか?
それは、「聖人君子レベルの人格者が保護者になること」。
ジュリアの父親マッシモは、職業が漁師兼シー・モンスターのハンター。
ルカとアルベルトから見ればまさに天敵です。

ところが、作中では正体を知らなかったとはいえ、見ず知らずの二人をあっさり受け入れたばかりか、アルベルトが行方不明になった時は探しに行っているのです。
しかも後者の時は、暴走したアルベルトを見捨てざるを得ず、打ちひしがれているルカとジュリアの事情を察し、責めることもしなかった。
そしてこの人がいたからこそ、人間とシー・モンスター、二つの種族の和解がなされた。
また、作中で一貫してアルベルトの味方でいたのはマッシモただ一人
同族のルカですら一度見限っていたことを考えると、アルベルトは内面的に他のシー・モンスターよりも、人間に近かったのかもしれません

二つの種族が和解するということは、人間にもシー・モンスターにもなり切れなかったアルベルトにも居場所が与えられるということ。
ラストでは、頼れる先輩を演じ続けなければ相手にされないというプレッシャーから解放されたのか、わからないことは知ったかぶりせずわからないと答え、ルカの夢を叶えるために憧れのベスパをあっさり手放しました。
こうしてアルベルトはようやく、社会で生きる上でのスタートラインに立つことができたのです。

この結末に、一部からは「裏切り者が勝ち逃げしやがって!」「アルベルトばっかり何で損してるの……せめて一緒に学校に行かせてやって」といった声もありますが、あの性格だと、正直学校に行かせても作中の事件以上の大惨事を起こす光景しか想像できません
ただでさえアルベルト視点だと規律が細かくてストレスフルだろうし、たくさんの子供がいるわけだから、高度なコミュ力も要求される。
だから、(おそらく家計の問題もあったとはいえ)マッシモが漁師を継がせる方向に行かせたのは英断だったと思います。
海について誰よりも詳しい上に、マンツーマンで指導できますしね。


まとめ


このように、『あの夏のルカ』はよく言われている「友情」や「差別問題」の他にも、「闇堕ち」や「児童福祉」についても切り込んだ作品でした。

公開前は「『スタンド・バイ・ミー』のクリスみたいなキャラなんだろうな」くらいにしか考えてなかったアルベルトは、蓋を開けたらとんでもなく複雑で、実に考察しがいのあるキャラ
あまりにもプラスマイナス両極端な言動に加え、監督による解説動画がイメージを根底から覆しかねない内容なので、考察していて何度も頭を抱えたくなることもありました。
しかし現実ではそういう不器用な子ほど、誰からも助けてもらえなくて辛い思いをしているのです。

「あの子を、受け入れない者はいる。でも受け入れてくれる者もいる。ルカはもうちゃんと見つけているよ」
終盤でルカのおばあちゃんが発した名セリフですが、アルベルトのことを受け入れてくれる者も確かに存在した。
しかし近年、「本当に助けが必要な人ほど、助けたいと思う姿や性格をしていない」という事実が知られてきているのもまた確か。
同情や憐憫だけでは解決できない問題なのです。


はたして、現実でアルベルトを救える人は一体どれだけいるのでしょうか?


・#創作大賞2024




この記事が参加している募集

映画感想文

映画が好き

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?