服を1枚きがえただけで

白い服の方が軽やかでいいと思ったが、
着てみると動きづらかった。
からだが重くて、動くのがめんどうで、眠たい。
ぴったりしているので、ぽっこりお腹がやけに気になる。最近食べすぎた、運動不足だ、なんでわたしはできないんだ、あの人みたいになるにはもっと頑張らなきゃ、あれがいけなかったんだとネガティブに発展。

最近買った黒い服をきたら
肩まわりが軽くなった。なんだか背中もすっきり。動きたくなった。両腕バンザイにしたくなった。こちらもぴったりニットなので、ぽっこりお腹は変わらず、ああ、変わりたいなあほっそりしたいなあと落ち込むも、これからほっそりしよう〜と前向きになっている。ここが自分でも驚き、重たーいどんより雨雲がなくなっている。ただ、ぽっこりしたお腹だけ。
同じぽっこりお腹なのに、捉え方次第で変わる。ぽっこりお腹はただそこにあるというだけで、わたしに何も攻撃をしていなかった。何か責められているような気持ちは、それを見て勝手に作り出し、選択したものにすぎなかった。

久しぶりに白い服を着ようと思ったのは
青いカーディガンを着たかったからだった。
白に青は軽やかで綺麗なはずだと思った。

もしかしたら肩が重かったのは
カーディガンか?と思って
黒いニットの上にカーディガンを羽織ってみた。

軽い!!
フェザーカーディガンという名の通りの軽さ✨

肩の重みの原因は、やはり白いタートルだった。

ふしぎだ。
白いタートルはとても薄い。
色もパキッと白ではなくて、優しい白。
黒はタートルのニットで厚手。容赦なく真っ黒。

見た感じは、白の方が軽そうなのに!
青と黒よりも、青と白のほうが爽やかなのに!

からだが軽い。さっきのネガティブモードなんだったんだろうというくらい気がらくになっている。
いつもと違うところでやってみよう♪なんて思いついて、作業机から離れて、太陽の光が差し込む窓辺に小さいテーブルをおいてこれを書き始めたほどだ。風がはいってきたら、カフェのテラス席気分が味わえるのでは?と、窓も開けてみた。音楽もかけてみた。
いつでもすぐにできそうなのに、初めてやってみた。これだけでちょっとたのしいものだ。外を感じる開放感とほどよい雑音、でも家の中という解放感。

洋服を着替えただけで、この心の持ちようの変わりよう!
どれほどモノのエネルギーの影響を受けやすいかがわかった。
目には見えない感覚の世界。
この感覚に目を向けるのも自分次第。

感じて、それを大事にして、選択していくって、自分がやろうと思わないと、始まらないんだなと改めて思った。
いくらでも無視してしまえる。苦しみの原因をいつも自分に何かのせいにしていたけど、服着替えるだけでいいなんて、思いつかない。それがこんなに大きいことだったとは。え、これだけで?と信じがたいほどあっさりとしたもの。

実はその白い服は、去年買ったもの。
黒い服はついこの前買った新しいもの。
新品ならそりゃそうよと思われるかもしれないが、
わたしは洋服はかなり少数精鋭で何年も着る。特に冬服は見返しても、いつの写真かわからないこともよくある。家族から見飽きたからやめてくれと言われることもよくある。
特に心地よい生地のお気に入りのちょっといい服はなおさら。しかも定番の白いタートル。手にとってもまだきれい!
と、目は驚いている。
実はからだのほうは、数日前から手に取らなくなっていた。いやだな、とか、もういらないな、と思考にまだ届かないくらいのほんの一瞬、手はその服をよけて隣の服を選んでいた。アタマは後から言い訳をする。そのまだ理解できない行動に対して、今日はヨガに行って着替えるから、とか、ラッキーカラーはピンクってかいてあったから、とか。

そんな理由つけなくても、
だれかにわかってもらえなくても
もうからだはとっくに気づいて変わっていってるんだなあ。

思考は最後なんだってこの前聞いた。
だから抵抗したりするって。

“まだきれい”は、この3年の間にきづいた、
モノを持っていたがりのわたしの口ぐせであり、不要になったサインでもある。

それでも、いやいや、今回は違うかもと
とっておいたけど
着ている服でこんなに気が重くなったり、心が軽くなったりするって、結構大事なことだ。




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