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【キャリアのコンパス】: ジョブホッパーの傷だらけの20代①

こんにちはこんばんは irukaです。

前回で自己紹介をしましたが、まずは私の20代・30代の悲惨な人生を語らせて頂きます。

はじめに

このnoteは、以下の人向けに書きました。
・今現在、失敗をしていて傷ついている人
・キャリアにおいて、何に気をつけるべきか知りたい人
・失敗の話を聞いて、今の自分の幸せを実感したい人

先日、英語コーチングをしている生徒さんと飲んだのですが、
「Irukaさんの20代・30代って結構やばいですよね笑」と軽口を叩かれました。
そう、「やばい」のです。
もっと言うと「やばいしかない」

どう「やばい」かというと、

・ジョブホッパー(3回転職)
・収入ダウン(4社目は年収250万円)
・その4社目は契約社員で入り、1年で解雇
・そのとき、32歳で無職

これだけで、かなり「やばめ」のキャリアであることがわかります。
ハイレベルな「負け犬」ですね。
目も当てられないとはこのことです。

世の中には20代~30代に会社を何回か変わって、
たとえば外資系に入った、年収を1500万円になった、営業部長になった、
資産が〇千万円になった という成功ストーリーはnoteやXの投稿はよく見かけます。うらやましいです。
しかし、私のキャリアはまったく正反対。
ベストプラクティスの真逆にありました。

さらに言うと私の学歴はいわゆる「難関私大卒」(文系)
決して学歴的に劣っているわけではないのです。
それなのに、私は「転落」してしまったのです。

その超低空飛行、崖から落ちたようなキャリアから
どのように這い上がったのか。
どのように心と気持ちが「安定」するまで挽回して行けたのか。
マイナスからちょいプラスまで持っていったのか。
そんな話をこれからお話したいと思います。

・傷だらけの20代
・正社員失格な30代
・英語を軸にして活路を見出して安定した40代

これからお話することで、以下のことが伝えられます。
・「失敗から導かれたキャリアの真理」
・「キャリアを狂わせる要因」
・「何をもって軌道修正をしたのか」


それでは、はじめます。

1.勝ち取った理想: 第一志望の大学に入る


悲惨な社会人の話の前に大学の話を少しします。

私は受験では成功者でした。
成功者というのは、「第一志望の学校に入れた」という意味です。
それまで高校受験でも「第一志望」はめちゃくちゃ勉強したのに入れませんでした。
合格発表で自分の番号のない、掲示板をジッと見ていました。
悔しさしかありませんでした。

私は私立の大学付属校に進学しました。
いわゆるエスカレーター式の学校です。
普通に勉強していれば、問題なく大学に進学ができます。

しかし、私は入学してから付属の大学に進学することを選びませんでした。
違う大学を目指すことにしたのです。
進学校の中で一人勉強するのは結構大変です。
勉強を一生懸命している中でクラスの中で「ドラクエ」の最新ソフトで盛り上がっていたりします。
勉強に集中できません。

結局現役では目標校の合格は叶いませんでした。
私は予備校に通うことにしました。
1年間しっかり勉強して目標校に合格できたのです。

そのときの合格した時の気持ちは、30年経つ今でも
未だに心の中にしっかり残っています。
時が経つほど、自分の中の成功体験として記憶の中に大きな存在で
い続けてくれるのです。

「あの時はよく頑張ったなあ」
「よく受かったなあ」
「受かって良かったなあ」
こういった気持ちで過去を振り返れる人は幸せだと思うのですが、
目標校の合格は、そんな気持ちをもたらしてくれました。

一方、私のまわりには第一志望を落ちて、私と同じ学校に仕方なく受かったので入学した、という人が多かったです。
彼らは、東大、京大、一橋に行きたかった、と言います。
出身校を聞くと、筑波大学〇場、麻〇、武〇 など
偏差値が70ぐらいの高校を卒業していたりします。
私から見ると、「ど、ど、どうやってそんな高校入れたの??」という
気持ちでいっぱいです。(私の高校はせいぜい偏差値61-62程度)でした。

さて、この目標校に合格したことで私は変な勘違いを持つようになりました。
「努力すれば思うようになる」という思い込みです。
この思い込みが後のキャリアに影響を及ぼします。

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