【連載小説】#9「あっとほーむ ~幸せに続く道~」神への誓い
前回のお話(#8)はこちら
九
八歳で初めて出会った時の悠くんは、今にも消えてしまいそうなくらい弱々しい姿をしていた。幼心に「幽霊?」と思ってしまったほどだ。しかし話せば話すほど純粋な人だと分かり、すぐに友だちになった。
わたしが笑顔でぎゅっと抱きしめてあげると、そしてそれを繰り返していくと悠くんの笑顔は増えていった。一緒にいれば彼の精神は安定する。そのことに気づいたわたしは、彼の役に立ちたい一心で今日まで接してきたのである。
両親から悠くんとの結婚話をもらった時に「イエス」と言ったのも、守ってあげたいとの思いがあったからだ。けれども、それはわたしの思い上がりだったようだ。
わたしに悠くんを守る力があるわけじゃなかった。両親や翼くんがくれた、溢れんばかりの愛情を分け与えていただけ。ちょっとばかり、母性本能を発揮していただけ……。そう。わたしはただ、「恋愛ごっこ」ならぬ「お母さんごっこ」をしていたに過ぎなかったのである。この気づきはあまりにも衝撃的ですぐに受け容れられそうになかった。
あの話の翌日、悠くんは本当にここを出て行ってしまったし、翼くんも全く訪ねてこなくなった。
――おれたちは本気ってことだ。
悠くんの言葉が頭の中でずっと繰り返されている。彼らが離れていってようやく目が覚めるなんて、わたしはとんでもない大馬鹿者である。
もう、いつでも会える距離にいるからと甘ったれたことは言えない。二人との関係を修復するには何らかの「覚悟」をしなければならない。けれど、肝心の「覚悟」の仕方がわたしには分からない……。
◇◇◇
悶々とした日々が続く。スッキリと晴れ渡った日曜日の昼下がりも、今のわたしにとっては曇天も同じ。少し前まで浮かれていたのが嘘みたいに足取りは重い。
けれども、じっとしていたら余計に気が滅入ってしまう。だからわたしは、足を引きずるようにしながらも一歩一歩、ある場所を目指して歩き続ける。
訪れた場所は、先日おみくじを引いた春日部神社。悠くんいわく、ここにはたくさんの神様がいて、いつでも見守ってくれているという。
わたしは早速本殿に赴き、多めに賽銭を入れて手を合わせた。
(神様、どうかお願いです。わたしから二人を奪わないでください。二人のことが大好きなんです。ずっとずっと、一緒にいたいんです。そのためなら何でもします。だから、お願いします……!)
手袋をした指先がかじかんでしまうまで手を合わせていた。神様が願いを聞き入れてくれるかどうかはわからない。だけど、今のわたしにはもう、神様にすがることしか出来なかった。
本殿から向き直り鳥居に足を向けると、ご神木の隣にあるパネルに目が留まった。先日来た時には気が付かなかったが、近づいてよく見てみると、「新年の抱負」が書き込まれているのだと分かる。
――○○大学合格!
――今年こそ、結婚するぞ!
――妊活、頑張る!
中には、「なわとびがとべるようになりたい!」と平仮名だけで書かれた抱負もあった。
(みんな、何かを目指して頑張ろうとしてるんだな……。それに比べてわたしは……。)
二人の男性に愛を囁かれるという、誰もが羨むような状況下において、どちらか一人を選ぶことができずに悩んでいるわたし。いや、一方を切り捨てることができないと言ったほうが正確かもしれない。
ああ、身体が二つあったらどんなに良かったことか。けれどもそれはどんな努力をもってしても叶わぬ夢……。
結局わたしは、掲げられたたくさんの抱負をまぶしく見つめることしかできなかった。神頼みをしたのに、心が晴れることもなかった。
◇◇◇
うなだれて帰宅すると、ママが熱心にピアノの練習をしていた。
(あ、ここにも努力家が一人……。)
ママは幼稚園教諭になろうと決めてからピアノを学んだ人だ。「幼い頃から弾き続けてきた同僚にはどうあがいても勝てない」と言いながらも、「そこは努力でカバーできる」と、暇さえあれば弾いている。そんなママが好きなのだ、といつかパパが言っていたっけ。
「あ、帰ってきてたの? 声くらい掛けてよ」
わたしに気づいたママは弾く手を止めた。
「練習の邪魔しちゃいけないと思って」
「邪魔だなんて。……どうしたの? いつものめぐらしくないね」
ママはソファに座るよう促した。何も言わなくてもママには分かってしまうようだ。わたしは、特技もなければ頑張りたいこともない、また二人との関係も神頼みで解決しようと考えて神社に参拝してきたことを正直に伝えた。
「やっぱりあなたは私の子どもね。私も高校生の時、同じようなことで悩んでたものよ」
ママは深くうなずいて、わたしをまっすぐに見つめる。
「あの頃は何も考えず、誰かの言葉に流されていれば楽に生きていられた。何の不自由もなかった。城南高校に進んだのも、先生に勧められたからって言う単純な理由だしね。そこには何の目的もなかったよ」
「ママにもそんな時期があったんだね」
「高校生なんてみんなそうじゃない? みんな、目の前の勉強や学校での生活でいっぱいいっぱい、あるいは恋愛に夢中になってる。先のことを考えてコツコツ努力できる人なんてほんの一握りに過ぎないわ」
「そうなのかなぁ?」
「……めぐは、ある意味においてはちょっと特殊な環境で育っちゃったよね。親と同い年の友だちがいたり、年上のいとこが、きょうだいみたいに可愛がってくれたり。恵まれてきた分、悩むことも少なくて済んだ16年っていうか」
「そう! その通り! ……だけど、この先もそれじゃ悠くんや翼くんに申し訳ないし、わたしが変わらない限り、きっと二人の気持ちは離れていってしまう。それが怖いの」
「めぐ。そう思えた今が、変わるタイミングよ」
ママはわたしの肩にそっと手を置いた。
「ママもそうだった。同じように生きていたはずのアキが……。パパがその状態から脱しようともがく姿を見て、私もこのままじゃダメだ、変わりたいって思った。その時にようやく自分の病気と――18歳まで生理が来なかった身体と――向き合おうって決心できたの」
「そのママを支えてくれたのがパパってこと? だから結婚したの?」
「支えてくれたアキに惹かれたのは、確かにそれがきっかけね。でも、結婚は正直、しなくてもいいと思ってた。だって検査の結果、わたしが子どもを産めない身体だと医者に断言されてしまったんですもの。私は彼の子どもを産めない。それがずっとコンプレックスだったのよ」
「それでもパパは、結婚しようって言ったんだよね?」
「うん。それが嬉しかったって言うのが本当のところかな。こんな欠陥のある私を全肯定してくれる人と家族になりたいって思えたから」
「そっかぁ。パパ、すごいなぁ」
「でもそう思えたのは、そこに至るまでに長い長い共同生活があったからだと思ってる。お互いに、いいところも悪いところもいっぱいさらけ出した。それでもこの先の人生をともに過ごしたいと思えた。だから結婚という道を選んだ。……それが私とアキの物語」
すっかり感心してしまったわたしだが、果たして自分にも同じような決断が出来るかどうか、考え出したらまた自信がなくなりそうだった。しかしママはそれも分かっているのか、急くように言葉を継ぐ。
「これはあくまでも私たちの話であって、めぐに当てはまるとは全然思わないよ。……めぐは天真爛漫だからね。その姿に悠も翼くんも惹かれて一緒にいたがってるんだと思うし。でもね、一緒にいるのと結婚するのとは違う。そこだけは知っておいて欲しいの」
「えっ?」
「一緒にいるだけなら、結婚という形にこだわらなくてもできる。事実、私も二十歳前後はそうやって過ごしてたし、それで満足してたんだもの。でも、結婚すると相手の家族や親戚がついてくる。更に女の場合は子どもを産む産まないって問題も出てくる。そういう責任を引き受ける覚悟が、結婚には必要なの」
「…………」
「だから16歳で、結婚するかどうかを決めなくていい。そんなことはずっと先でいい。まだ、今を楽しみたいでしょう? だったら焦らないこと。めぐの人生なんだから、どう生きるかはめぐが決めればいいんだよ」
ママの、厳しくも優しい言葉になんと答えたらいいか分からず黙り込む。ママは語気を強めてさらに続ける。
「いい? 自分で、決めるんだよ? ちゃんと自分で答えを出すこと! 押し切られて結婚したって、絶対に後悔するから」
「後悔……」
最後の言葉でようやく腑に落ちる。
「そうだよね。うん、わたしも後悔はしたくない」
ママはうなずく。
「めぐは、悠や翼くんの気持ちを大事にしたいと思ってるのよね? でも、それ以上にめぐの気持ちを大事にしてね。大丈夫、あっちは大人なんだから、めぐよりも人生経験を積んできてるし、めぐのことが好きなら、めぐの決断にも賛成してくれるって」
「うん。ママ、ありがとう。わたし、自分で答えを出す。時間を掛けてでも、ちゃんと決断する」
「ママはめぐのことを信じてるよ。また困ったことがあったらいつでも言ってね」
そう言ってママはわたしの手を強く握った。
◇◇◇
今は多様性の時代。頭では分かっているつもりだった。けれども、わたしの本能はそれを受け容れられなかったらしい。悠くんとは30歳差、翼くんとは11歳差で親戚。本能の赴くままに行動したってうまくいく道理はないのに。
ママの言葉を借りるなら、「高校生なんてみんなそう」なのかもしれない。だけど、わたしはそれじゃダメなのだ。彼らに愛され、二人とも愛そうと決めたなら、本能に振り回されるのではなく、彼ら並みの思考をしなければこの先も付き合っていくことなんて出来ない。
――ずっとずっと、一緒にいたいんです。そのためなら何でもします。
神様の前でそう誓った。誓ったからには、そしてこのままじゃダメだと思っているなら変わらなきゃ……。血がにじむような努力が必要だとしても。
神様はいつでも見守っている――。
その言葉を信じてみよう。そして何かしらのアクションを起こそう。信頼を取り戻すためにも……!
(続きはこちら(#10)から読めます!)
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