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マキノタイチ です

自称「ネオ・オッサン」のマキノタイチです。

自分で言うと本当にカッコ悪いのですが、ネオとは「新しい」という意味で、ネオ・オッサンとは「ニュータイプのオッサン」という意味です。

松本人志さん、出川哲郎さん、ジョニーデップさん、ブラットピットさんと同い年ですが、若い投稿者が多いnoteの中で、おせっかいなオッサン魂を発揮して情報発信していこうと思っています。(※画像は2019年撮影です)

ちょっとだけ自己紹介させていただきますね。

◆人生の転機◆

2010年。ガッツリ保守的で、長いものに巻かれ上手だった私でしたが、ある外国人起業家との出会いから、高校教諭という安定職を辞めて「起業人」の世界に飛び込んでしまいました。

新型コロナウィルスで世界中が揺れた2020年は起業10周年の年。

起業10周年というと聞こえはいいのですが、起業後1~2年はまったく芽がでず、何をやっても空振る日々を送り、ガチな自信喪失状態を味わう羽目になりました。

お金がぜんぜん稼げないのです。

減るいっぽうの通帳記帳は「恐怖」といっても大げさではありません。

過ぎたから言えるのですが・・・

この頃は、夜中になると布団にもぐっては涙を流し、起業したことを何度も後悔しながらも、神様(特定宗教はないのですが)に祈っていました。

その年の夏には精神的にもやられはじめ、鬱の自覚症状も出てくるように。

こんな状態から脱出しないと「本当に死ぬかもしれん」とリアルに感じはじめ、1日1時間のウォーキングを義務化し、毎日無理やりキムチと納豆を食べていました。(鬱に効くとメンターから聞いたので)

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「カラダは心に依存し、心は財布に依存し、重い財布は心を軽くする」

こんなユダヤの格言が、身に染みまくっていたのがこの頃です。

◆偶然の出会いの威力◆

その後、ある偶然の出会いをきっかけに事業が好転していきます。
(長くなるので割愛しますが、出会いってホントにすごいですよね)

そして、ブレイクしたのは起業3年後。

コピーライティングとダイレクトレスポンスマーケティングを武器に、インフォプレナー(情報起業家)としてビジネスが軌道に乗り始めたのです。

起業5年後には、コンサルティングやセミナーが全国各地でコンスタントに行えるようになり、それなりの結果を出し収益も上がったので、法人化できるようになりました。

そして2016年、念願の「南の島でのひとり暮らし」を実現させるため、沖縄県の宮古島に移住したのです。

家族もいましたが、1ヶ月に一度は実家に戻って家族と過ごしていたので、とくに問題はありませんでした。(マイルがメッチャ貯まりました)

妻も「気楽でいいよ」と言ってくれたので、実現できたのです。

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まったく知り合いがいなかった宮古島での生活は、毎日が「初めてづくし」で、移住1年目はかなり孤独でしたが、それがとても新鮮でした。

いままでの人生で、ひとりで考える時間を一番持てたのもこの1年です。

島での友人が増え始めた島生活2年目は、もう楽しくて楽しくて、夕方4時になると三線の音とともに、泡盛の「多良川・菊の露・ニコニコ太郎」にシークワーサーを入れて、ときには近くのビーチで飲んでました。

ビールはもちろん、おじい自慢の「オリオンビール」です。

さらに「みやこばち」(宮古島で8がつく日に朝活をするので)という朝活のコミュニティを作り、島仲間の繋がりはどんどん広かっていきました。

私は、内地(本土)に会社をもう一つ作り、宮古島に居ながら収入を内地から得る仕組みをつくったので、島での生活はかなり自由でしたが・・・

同じ自由でも、島で自由に商売しながら「身の丈」で楽しんで生活している人たちを見て、いままでの自分になかったものを見つけられたのです。

◆義務と責任で行動しない生きかた◆

2018年。何かが自分の中で変化していたことに気づきました。

その気づきをうけて、起業する前からずっと続けていたブログやメルマガ、フェイスブックなどの情報配信をいったんやめてみました。

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すると、さらにいろんな自分を発見できたのです。

その中で、もっとも好きだと思えた自分は、海や空や緑を見ながらのんびり生活し、利害関係のない人たちに囲まれ、義務感も責任感も意識せずに暮らす、ネオ・オッサンのマキノタイチでした。

一般的に「義務感」「責任感」「○○らしさ」は大事だって言われます。

それまでの私も「義務感」「責任感」「○○らしさ」を何十年も意識して生きてきました。

しかしその間、子どものころの「ただ毎日を楽しく生きる」という自分の根っこの想いを完璧に忘れていて、思いっ切り笑うこともできませんでした。

島暮らしは、義務と責任で行動しない生きかたを気づかせてくれたのです。

もちろん、納税の義務を放棄するとか、自分のしたことの責任を負わないと言ってるわけではありません。

そうではなくて・・・

長い間、自分で勝手に作りあげてきた「義務」や「責任」や「○○らしさ」の多さに気づき、それらに縛られるのをやめようと思ったのです。

◆第二の転機◆

そんな宮古島の生活も、2010年の1月をもっていったん終了しました。

なぜなら、妻と離れている生活が寂しくなりすぎたことと、家族に対して「今までにない愛情」を感じるようになったからです。

また、宮古島ではできないビジネスのお誘いを受けたことも、島を離れるきっかけとなりました。

しかし、コロナショックでそのビジネスもできない状態になっています。

そこで、島を離れるときには想像もできなかったコロナショックの世の中に対し「誰の役に立つかはわからんけど、もう一度情報を配信してみよう」とnoteを始めたのです。

正直、noteに投稿する目的は漠然としています。

マーケティングを勉強し実践している人なら「誰に向けて配信するか、セグメントをちゃんとして・・・」と思うかもしれませんし、以前の私ならそうしていました。

しかし、ネオ・オッサンに目覚めてしまったので、目的にも縛られたくないと考えてしまうわけですね。

・義務で投稿しない
・責任を感じて投稿しない
・目的をもって投稿しない
・○○らしさに縛られない

島で育んだ、こんな温さ(ぬるさ)で投稿していきますので、今後もよろしくお願いしま~す(^_-)-☆

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