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SS【クワガタの思い出】


小学四年生の夏がそろそろ終わりを告げるころ、ぼくは日課のように校庭の花壇に咲くヒマワリの種を食べたり、サルビアの蜜を吸ったりしていた。

そんなある日、ぼくの通う小学校に遠くの町から井田くんが転校してきた。

井田くんは父親の仕事の都合で転校を繰り返しているらしい。

ぼくは、まだクラスの雰囲気にとけこめない井田くんに、今夜二人でクワガタをとりにいこうと誘った。ぼくと数人の友達しか知らない秘密の場所だ。

それを教えるということは正式に仲間として受け入れるということでもあった。


秘密の場所といってもクワガタがたくさん集まるというわけでもない。

運が良ければ出会えるていどだ。

明るいうちにクワガタがきそうな木にハチミツをぬっておく。

そうすれば陽が落ちてからつかまえるチャンスが訪れるのだ。


ぼくは井田くんに秘密の場所でたくさんクワガタをとったことがあると嘘をついた。

べつに悪気があったわけではない。それもぼくの演出の内だ。

あるいはただ井田くんの気を引きたかっただけなのかもしれない。


ぼくは暗くなってから家を抜け出し、井田くんを連れ、自転車をこいで家からニキロほど離れた、とある家へとやってきた。

段取りは決まっている。

他の友達と来た時のように家のチャイムを鳴らした。

家の人が出てくると「懐中電灯を貸してください」と言って、その借りた懐中電灯を片手に広い庭の闇の中へと入っていく。


今思えば信じられないくらいずうずうしい行動力だ。

他人の家の庭に、しかも夜に、懐中電灯まで借りて踏みこんでいく。

そんなことが許されるのは小学生までだろう。


ぼくは懐中電灯で足もとを照らしながら、井田くんと目当ての木のある場所まで移動した。



目当ての木にはクワガタもカブトムシもいなかった。

ぼくはそこで重大なミスに気づいた。

ハチミツをぬっていなかったのだ。


井田くんに「ゴメン」というと、井田くんは「大丈夫!」と言った。

ぼくはあきらめきれず木の皮をめくると、そこにいた!!

コクワガタのオスだ。

メスじゃなくてよかった。メスには一度、指をはさまれて出血し、泣きそうになった嫌な思い出がある。


ミヤマクワガタやノコギリクワガタ、ましてやオオクワガタなんていうレアなものが見つかるほど甘くないことは分かっていた。

けっきょくその一匹しか見つからなかったが、井田くんの虫カゴに戦利品が入ってぼくは嬉しかったし、井田くんも満足そうだった。

二人で懐中電灯を返しにいきお礼を言うと、そのあとは自転車をこいで家路を急いだ。



井田くんはクワガタをつかまえたことがなかったらしい。

クワガタをきっかけに、新しい友達としてこれからもっと仲良くなれるはずだった。



しかし、それからしばらくしてぼくの転校が決まった。



お別れの日、クラス全員から手紙をもらい、ぼくは新しい家でそれを読んだ。

ひそかにカワイイと思っていたクラスの女子からの手紙には、日焼けしすぎのクロンボと書かれていて少しへこんだ。


井田くんからの手紙には、首から虫カゴをぶら下げた少年が、クワガタをつまんで嬉しそうな表情をしている絵が描かれていた。


ぼくと井田くんとの、たった一つの大切な思い出。

転校していなかったら忘れ去っていたかもしれない。


今でもたまに思い出す。


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