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ネタバレ!祝祭と予感 著:恩田陸

 蜜蜂と遠雷のスピンオフ短編集が出ていると読書メーターで知って、即図書館で検索、読みました!!なんだこれは!こんなにご褒美もらっちゃっていいんですか!?

 というわけで、ネタバレなしに感想を語るなんてありえない!!と思い、こちらは存分にネタバレしながら語っていきたいと思います。もうめちゃくちゃネタバレです!!


 今回の作品は短編集のため、本編とはちがって、本当にあっさりと読み終わることができました。なのに、この感動。なのに、この読後感。まさか、こんなストーリーを読めるなんて…!

 まず最初の短編で、コンクール後の風間塵、亜矢、マサルの3人の関係がわかります。予想どおりというか、願っていたとおり、仲睦まじく進んでいて、本当に嬉しかった!こうやって、仲良くしていてほしいと、読者の誰もが願っていたはず。願っていたそのままの姿がそこにあって、本当にほっとしました。離れても思っているよ的な、その後直接会うことはなかったけど心では意識していた的な、そんなのは本当に萎えると思っていたので安心しました。まあ、このインターネットのご時世に、そんな結末はちょっと非現実的ですよね。
 とくに亜矢と風間塵との間にある、姉弟のような友達のような空気感は、とってもほほえましくて、こういうやわらかい関係がずっと続いてほしいなと思ったりします。そういう関係が築けたのは、亜矢と風間塵、それぞれの天然さによるところが大きいのでしょうね。マサルがそこに混ざると、マサルが常人のように見える不思議さがあり、そこがまた面白い。

 2作目のナサニエルと三枝子の若かりし頃の物語は、ちょっとキュンとなる。三枝子の凛とした強さにナサニエルは惚れちゃったのね!マサルと同じ年頃のナサニエルが、今のマサルとほとんど変わらない感じでかわいらしいし、そういうところも師弟で似てるのかなぁと思い、そして本編でもそんなことが触れられてたなと思い出してまた、ニヤッとしてしまう。
 この2人の物語を読んでいると、奥華子の「ガーネット」を思い出す。ちょっと歌詞と2人の内容は違うんだけど、「いつか他の誰かを好きになったとしても あなたはずっと特別で 大切で」っていうところが。一度は結ばれたものの、破局して、それぞれ違う相手と別の人生を歩んでいたけど、やっぱり心の底ではずっと特別な存在だったって素敵すぎる。そうやってお互いに、胸の内で特別な存在になってないと、ふたたび季節がめぐってきても結びつかないもんね。ナサニエル、今回の縁をしっかりと掴むべく、三枝子を口説いたわけで、今回の短編を読んでからもう一度本編のあのシーンを読むとすごい感慨深くて…!ナサニエルの回想後に三枝子が登場して、何も食べずに待ってたナサニエルを叱るのめちゃくちゃよかった!!ナサニエルをよく理解してる感じがするのと、ナサニエルが三枝子を好きなことがそんな小さなことからもにじみ出てるのとダブルでいい!!

 3作目の菱沼先生の話は、まさかこんなに悲しいストーリーが作曲の裏に隠れてたなんて思っていなかったから、衝撃が強くて、悲しくて、うるうるしながら最後まで読みました。だから、「春と修羅」だったのか、と。そしてこんなストーリーがあって、春と修羅という世界観の曲が生まれたのかと。
 本編でもこの短編集でも、演奏ではない面から唯一描かれたこの作品が、作曲することの難しさや苦しみがどんなものなのか語っていて、もっと作曲の面から音楽を知りたいという気持ちにもさせられる。頭の中で鳴っている音を掴まえられない苦しみは、音楽だけじゃなくて芸術全般にある苦しみなんだろうなぁ。その苦しみに到達できるかどうかが、才能のひとつの分岐点なのかもしれない。
 この作品が出てしまうことで、この短編集に明石の物語は入らなくなってしまったのかな…と思っています。春と修羅に関するストーリーは2つもいらない、となったらどちらを入れるか。明石のストーリーも悪くはなかったと思うけど、この菱沼先生のストーリーが入ることで本編の春と修羅がより輝くし、演奏とは違う視点も組み込める。そして、この作品を通して、明石の曲の解釈について、より読者の意識が深く向く。私もこれを読んで、明石の演奏を改めて思い起こして、そしてあそこまで解釈された菱沼先生の感動を思って、ジーンとしました。明石のあの曲に対する姿勢や解釈の緻密さは、やっぱり才能で、彼もまた天才だったよなぁ、本当に好きだったなぁ…としみじみ思いました。
 菱沼先生の物語を入れたのは正解だったと思うけど、やっぱり明石の物語が読みたかったし、明石の物語が読みたかったという感想も多く見受けられて、やりすぎちゃったという表現はおかしいんだけど、読みたかったという願望を通り越して、読者の不満を生んでいるなぁとも思います。それだけ明石は魅力的な演者だったということですよね。

 4作目のマサルとナサニエルの出会いの話は、この作品のなかで一番ほのぼのとしている、かわいらしい作品に感じています。今より少し若いナサニエルとマサルの空気感というか、やっぱり似ているんだなぁと、ほほえましく読み進みました。マサルの師匠にはナサニエルしかいないんじゃないかな、と。仮にホフマンがまだ存命で、マサルが師事するチャンスを与えられたとしても、精神的な師匠はナサニエルなんじゃないか。お互いに思いやれる関係を築けるかどうかは、相性があって、マサルでは風間塵とホフマンのようにはきっとなれない。やっぱり、マサルの相手はナサニエルなんじゃないかなぁ。

 5作目の「鈴蘭と階段」は、この短編集のなかで一番好きな作品。これは本編に次ぐ傑作だと思っています!!
 奏ちゃんがまさかメインに据えられた作品があるとは思わなかった!この楽器との運命の出逢いは、本当に心が震えます。私は楽器を演奏しないですが、こういう運命の出逢いは信じていて、だから余計に感じ入ってしまいました。本編でも、感動する場面ではないのに文章に震えて感極まって泣きそうになりながら読むことが多かったんですが、この奏ちゃんの話も終始涙が出そうでした。何かが私の琴線にふれているようで、本当に奏ちゃんの焦りや恐れ、不安、期待、直感といったすべてがダイレクトに伝わってきて、心臓がバクバクしました。
 本編を読んでいるときは、この胸をかき乱されるような、震えが止まらない感じにさせられるのは、音楽表現が本当に見事で、そこが琴線に触れているんだと思っていたんですが、この短編を読んでそうではなかったんだとわかりました。音楽の表現じゃなくて、そこに登場している人物の感情に引きずり込まれているからこんなにも震えるんだと。今読んでいる人物の感情を追体験しているから、苦しくて、嬉しくて、心がふるえて、神々しかったんだ。

 最後の「伝説と予感」は、伝説がホフマン先生で、予感が風間塵のことだと、タイトルだけですぐにピンときます。ホフマン先生がどのようにして風間塵と出会ったのかが明かされる短編。やさしい日の光に包まれた光景が目に浮かぶ、そんな出逢いでした。希望の光との遭遇、予感、ギフト。ホフマンにとって、風間塵との出逢いがどれほど素晴らしいものだったかがわかります。自分の未来が長くないことを考えて、風間塵を守り、育て、確実に送り届けるための準備をしていたんだなぁ。
 そして、風間塵を一言で表すなら、やっぱり予感だよね、とひとりで深くうなずいたのでした。蜜蜂と遠雷の感想を書いたときにも思ったのですが、やっぱりそうだよね、これしかないよねと。予感、可能性、未来、光、そんなキーワードがぴったりと当てはまるのが風間塵なんだよな。彼の視点で書かれることは多くないのに、こんなにも主人公だなんて。

 タイトルの祝祭と予感は、どちらも風間塵を表していて、蜜蜂と遠雷はコンクール前の、祝祭と予感はコンクール後の風間塵に対する周りの感じ方なのかな、というのが私の考えです。実際はどうなんだろう。

 まちがいなく神本に推せる、蜜蜂と遠雷、そして祝祭と予感です。最高すぎる…しばらくこの余韻にひたりながら過ごします…。

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