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ことわざは人の原点である。

ことわざに込められた力。

あなたはいくつの諺を知っているだろうか。

犬も歩けば棒に当たる。猿も木から劣る。知らぬが仏。など。数えればキリがないくらいのことわざが世の中にはある。

では、この諺はどのようにして生まれて成長していったのか。

それについてこの記事では考えていこうと思う。

まず根本にこの諺とは、昔からフレーズとして言い伝えられてきたという歴史がある。

というのは、この世の中にはもちろん昔からさまざまな文字が書き記されてきた。

たとえば、有名なところで言えば、万葉集や徒然草、古今和歌集などや昔のどこぞの殿が書いた文章かわからない日記などもそうだ。このたくさんの文字が先人によって書き記されてきた中でどうして諺という短いフレーズが現代まで身近な文章として残っているのだろうか。

自分は大きく分けて3つの理由があると思う。

一つ目の理由として、諺というフレーズそのものの文章が短くてわかりやすいというものがある。

というのは、普通文章を書こうとすると、どうしても自分の伝えたいことが多くなり、文章量が多くなってしまうという現象がよく起こることがある。

論文などがその例だ。

何か1つの事実を伝えるがためにあらゆるところから証拠を持ってきて提示するという普通の人が読むのにはハードルが高い文章を書くことで刺さる人にはもちろん刺さるが、さまざまな人に届けるという点においてはあまり有効的ではない。

逆に俳句や、短歌のように文章量がある一定のものとして決められた中で自分が表現したいことを表現する場合には、読んだ人に伝わりやすく、想像しやすい文章になっているので、日本において長く強く支持され、普及してたのであろう。

これは、現代にも当てはまめることができる。それが、youtubeである。

Youtubeでは、動画も表紙にサムネイルとタイトルという動画を紹介するラベルのようなものから見たい動画を決める。

この中で、動画を配信するものは、いかに自分に注意を向けてもらうかに注力してサムネイルとタイトルを考える。

ここで重要なのが、タイトルを15文字以内で収めるということらしい。15文字以内で収めることで動画の内容を視聴者に届けやすく結果的に視聴されやすいという人間心理のようなものがあるとあるYouTuberが言っていた。

つまりこれはさっきも述べたようにいかに簡潔に自分の伝えたいことを伝えられるかが文章ないし、自分を表現するものを広められるのかが鍵を握っているのだ。

2つ目の理由として、人間の本質を端的についているというものがある。

たくさんの文字や言葉は古来から人間の教訓として人を感化させてきた。

その中で、なぜことわざがこんなにもたくさんの言葉で溢れている現代で平然と残っているのか。その答えが、人間の本質をついているというものだ。

というのは、諺をよく見てみるとたとえば、「猿も木から落ちる。」や「歩けば棒に当たる。」、「弘法筆に誤り。」などこれらの諺はことわざの中で、誰でも知っているくらい有名な文章だが、1つ重要な共通点がある。

それは、ことわざの意味が言葉の綾はあれど、ほとんど変わらないという点である。

他にも、「馬の耳に念仏。」と「猫に小判」と「無い袖は振れぬ。」の3つの諺、「石の上にも3年」と「塵も積もれば、山となる。」と「千里の道も1歩から」の3つの諺などである。

なぜこんなに有名なことわざの意味が似た内容のものになっているのか。その理由は明確で、自分達が生きる上で忘れてはいけない人生の教訓として使われているからである。

昔からさまざまな諺がこの世に生み出された末に生き残ったこのわざたちは人間にとってなくてはならない言葉なのであり、忘れてはいけないある種当たり前すぎて忘れがちな言葉なのである。

これを定期的に思い出させる役割をことわざが担っているため、今この現代でも重宝される言葉として残っているのだ。

3つ目は、日本の教育の硬直化がある。

というのは、日本は1964年に教育普通法を定めてから教育体制をほとんど変えずに今の時代まで教育をすすめてきた、その中で、もちろん状況に応じて英語をやってみたり、プログラミングをやってみたりと新しい学問を学ばせようとする思考は見られたものの、大々的な教育の改革というものはここ50年間一回も行われていないのである。

そうした中で、幸か不幸か、諺という文章を国語の授業で学ぶことになる。それも少しの間、紹介として諺を学ぶのではなく、小学校から高校にかけてさまざまな諺を学ぶため、日本で生まれ育った人たちは頭の中に少なからずことわざが刻まれている。

そのため、日常的に諺を会話の中に織り交ぜることが多く、聴く側も知っている諺であるため、会話の種にしやすいという環境があるため、諺が現代まで定着しているのである。

このように、諺とはあらゆる要因が組み合わさることによってこの現代まで長く語り継がれてきたのである。

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