(株)いろはやの軌跡~成長期~
その後定八郎さんの戦死の知らせをうけ、次男である中山富司男さんがいろはやの4代目後継者となりました。
当時長崎大学経済学部で寮長をしていた富司男さん。毎日寮長での業務と勉強に明け暮れて充実した日々をすごしていたそうです。
就職先は三菱商事に決まっていたのですが、定八郎さんの戦死を受けて3代目宇八さんは後継者として富司男さんを呼び戻します。当時は家父長制度で主(あるじ)のいう事は絶対。そういう時代だったんだろうと思います。4代目富司男さんは就職先にお詫びを入れて島原に帰郷します。
先代の3代目宇八さんは、気合と根性の人でした。「隣の店が8時に開店するのであれば7じに開店せよ」「隣の店が9時に閉めるのであれば10時に閉めよ」そういった経営スタイルの方だったようです。
そこで4代目富司男さんは、より、科学的な見地で商売を考える実学の人でした。まずはチラシや宣伝に近代的な手法を取り入れました。
坪あたりの売上と在庫回転率等も含めてどの商品が売上や利益に寄与しているのか。まだパソコンもエクセルもPOSもなかった時代。そろばんと帳面とグラフ帳でデータを分析。実装した上で店をつくる。そういう手法を繰り返して発展を遂げていきました。
4代目富司男さんの商売のベースとなるのが「商業界」と言う組織でした。
(株)イオンの岡田社長、(株)セブン&Iホールディングスの前身であるイトーヨーカ堂の創業者の伊藤社長などと机を並べて学んだそうです。毎年の箱根ゼミに行くと涙を流して帰ってくるほど感激。同じ商売仲間達とこの1年でやる事の約束を交わし、決意をもって帰郷。そして翌年箱根に赴き商業界の学友たちと再会。交わした決意をちゃんと実証したかお互いを鼓舞しながら毎年成長を繰り返すのでした。
当時のチラシで「懺悔のチラシ」というのがあります。
店主自身が深々と頭を下げてすべてをお客様のために大放出するバーゲンセールです。
当時は高度成長期。なかなか物が手に入らない時代。またモノさえあれば売れていた時代でした。
そんな中に意表をつくセール手法。とても画期的で朝から行列ができてシャッターが壊れたほど大盛況でした。
時代は高度成長。日本が清濁をあわせ呑みながらも時代の坂道を荒っぽく駆け上がろうとした時代でした。そしていろはやもまた「商売の青春時代」を迎えようとしています。
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