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個性は、型から抜け出すと生まれるもの



こうあらねばならない 


に苦しめられることは

本当の姿(オリジナリティー溢れる個性)


をかき消して


社会に順応することをいうのだろうか。




母親だから 子を優先しないといけない


父親だから 働かないといけない


結婚したから 式をあげて家を建てて


みんながいうような 


成功した道を目指さなければいけない


若いなら稼ぐことは当たり前





そんな こうあらねばならない 


型から

抜け出した先に


何が待っているのだろう?






きっとそれは、私が私でいられる時間。





我慢して やらねばならなかった私を


捨てた先にあるもの。



そこを抜け出すことで 


個性への道が開かれてゆく。




枠から抜け出すことは、


自由になることだけがメインではなくて



少なからず苦労も伴う。




例えば、私の場合


働かないと生きていけない。


だけど、必要以上に働くことはしない。



だって死んだらお金はお空にもってけないし



いつ死ぬかもわからない時の中で生きているのに


ただの紙切れのために、不必要に働く意味が


よくわからないから。


だから、


それぞれの個性が生み出した物と物の


物々交換で生きていけてた時代は


それが本来の姿なんじゃないかな


とさえ思ってしまうのだ。



そして、


決められた型を抜け出すと、


基準を決めるのは自分になるから


エゴと愛のバランスを取る練習も


積むことができる。



自分に合った場所を探すこともできる。



型を抜け出したら、型にはまってた時より


ずっと生きやすくなった。


空いてる時間に絵を描いたり


本を読んだり


自然の中で遊んだり


詩を書いたり



ノートを毎日投稿できたりと



気が滅入ることが減り、楽しくなった。



そして、人生に意味を


見出せるようになってきた。


そして、看護師の私、


いい彼女でいること。女らしくすること。


そんな固定概念を抜け出した先に


私の個性を見つけることができた。



こうあらねば がないとしたら


何がしたかったのだろう?


本当はしてみたいと思っていたことを


ワクワクして 


恐れずに 挑戦する勇気だけは



忘れずに生きてゆけたらと思う。



何をするにも


何歳になっても 遅いなんてことはない。


やろう そう思った時が その時だから。


人それぞれ その タイミングは違くとも


いずれ 旅立つ時がやってくる。




型にはまっていることに 


飽きたのなら


行きたくなった その時に

気の向くまま ありのままの私を


探す旅に出ればいいのだから


何も焦ることなんかないんだ。


今日も心に愛を置いて


きっと人間誰しも 冒険家 


この足で どこへ歩いてゆこう?


この目で 何をみてみたい?


この耳で 聞きたい音はどんな音だろう?

この手で 触りたいもの


この体で 感じたいもの


この心が ワクワクすること


それを 探す 旅の途中。


きっと わたしは 冒険家。


きっと だれしも 冒険家。


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