「美術」をする、ということ
元芸大生、美術について思い起こしてみる。
予備校の先生にはいつも「美術」に向き合え。
と言われてきた。
最初は、この言葉の意味が全然分かってなかったと思う。
予備校で実技対策の時間は、
素描(デッサン)、立体、色彩、着彩、作文、表現、etc……色々な事を教えてくれていた。
この時の私は、ただ課題に向き合う事が「美術に向き合う」事だと思っていた。
しかし、実技のレベルが上がると同時に、
「表現」について問われることが多くなった。
「あなたの色彩からは表現が全然見えてこない」
「この素材を生かす表現が立体には足りない」
「このデッサンは貴女の持ち味で表現が出来てる」
予備校に通っていた人であれば理解できると思うが、一般の方にはこの言葉の意味が伝わるのだろうか……?
当時は受かるために目の前の課題に必死で、お盆もクリスマスも正月もぜーーーーんぶ課題の復習に費していた。
本番が近づくにつれ終電で帰る日が続き、
最初に言われた美術の意味すら考える暇はなかった。
正直、美術と心中してやるとさえ思っていた。
………
…………結果、第一志望にはギリギリ引っかかり何とか合格したのだが。
「美術」で表現することの意味、に気づいたのはそのもう少し後だった。
…………………………
…………………………
目の前のものがきちんと描けるのは当たり前。
極めると、写実派になる。
モノを魅力的に描けるのは、理解力による。
極めると、モノの理解を生かした作品が出来る。
魅力的で引き込まれる作品を作るには、
己の「美術」という軸が必要である。
極めると、「美術」をすることは自身の表現になる。
これが私の見解である。
結論だけまとめると、
「美術」をする
=個人の美しいと思う美術(軸)を持って、
伝えたいこと(感覚、感情、考え方)を
作品に投影すること(=表現)だと思うのだ。
予備校の先生が言いたかったのは、
課題は美術という軸を作るためのもので、
「美術」をしなさい、というのは、
美術という軸を使ってあなたの言いたいことを作品に表現してください
という事なんだと思う。
実の所、自分の美術=軸までは理解しているが、
伝えたいことを如何に作品に表現出来るかで、
未だに作品を作る時には四苦八苦している。
…………もしかしたら……、いや、……確実に、一生かけても理解出来ないんじゃなかろうか…………。
なので、「美術」をするという事は、
私にとって一生をかけて向き合うのだと思う。
「美術」に向き合えば、うつになっている自分とも会話ができる……そんな気がするのだ。
自分の精神も一生をかけて付き合っていくのだから、美術にも何か還元出来そうかもなあ〜と。
ちなみにつぶやくと、
同世代や年下の子には、美術が得意だと言うと、
お遊びで、趣味でやってるイメージを持たれてしまうのは少し納得がいかないのだ。
今や、イラストやマンガは世界中に普及してアニメも豊富で、これは美術の一部だし、もちろん私も大好きだ。
だが、提供する側は決してお遊びで、趣味で、やりがいだけでやっている、とは思って欲しくない。
それは美術だって一緒だ。
美術作品は価値を簡単にお金に変えられないからそうなるのだが、良いものは良いのである。
魅力があるもの、高価なもの、にはそれだけ高い質の美術が詰まっていると思って欲しい。
予備校の恩師には、
美術は「唯一無くても生きて行けるもの」とも教わった。
でも人は、心揺さぶられるものに出会った時、無意識のうちにそれを選んでいる。値段よりも雰囲気の良さで物を選んだりもする。
なぜか良いと思った、など潜在的に惹かれるものは偶然ではない。美術がそこにあるからだと思う。
また体の調子がいい日に、好きな絵の画集でも探してこよう。
好きなものを集めて、私だけの表現がしたいと思えるような、絵が描きたくなってきた。
それでは今日はこの辺で。
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