落としていた青春を拾ってきた。

はじめに断っておくと、この文章はすばらしい作品に一方的な自分語りをぶつける、気持ちの悪い文章だ。今のうちにみんな逃げた方が良い。口が裂けても友達に言えないので、ここに置いてふたを閉めておこうと思った。

5年ぶりにハイキューを見た。
中学生の時に友達に勧められ、漫画禁止を課す親の目を盗みながらアニメを見る日々。受験生だというのに、毎朝集まっては先生が教室に入ってくるまでずっとハイキューの話をしていた。
高校入試を控えていた私にとって、高校生の彼らは眩しく、憧れの存在であった。志望校は幼稚園に通っていた時から憧れていた、あの高校に行きたい、あの制服を着たい、あそこで学びたい………高校という場で輝く彼らに触れることで、より憧れは強まり、受験勉強にも熱が入った。

あんなに憧れていた高校生活は、志望校が母校になった今振り返ると、別に、そんなに楽しくはなかった。運動音痴が「学校」という狭い世界で生きていくには勉強しかない、と思っていたのに、世の中には自分には理解できないくらい頭の良い人が沢山いるのだと肌で理解させられ、自分は勉強すら出来ないのだと突きつけられた。高校1年の冬にやってきたコロナのせいで、残りの2年間はコロナに服従した日々だった。楽しみにしていた文化祭をきちんとできたのは1回だけ。修学旅行も県内周回、友達もあまりできず、中学時代の友達を心の支えに、数少ない友達に嫌われないように、1人にならないように怯えながら「中学時代は楽しかったなぁ」と思っていたら3年間が過ぎていた。着たくて着たくてたまらなかった制服も、あの制服が似合う高校生のお姉さんに憧れていたのであって、自分が着ても記憶のどこかのあのお姉さんのようにはならなかった。

高校生の間、ハイキューに触れることはほとんどなかった。毎朝集まって話したあの日々はあんなに楽しかったのに、いざ1人になると自分からハイキューに触れに行くことはなかった。

ハイキューに出会ってから約5年。あの1年を除いた4年間、ハイキューに触れたことはほとんどなく、時折記憶の中から顔を出す程度だった。そんな時、映画館でハイキューを見られるチャンスがやってきた。
「あんなに好きだったし、映画館で見られるなんてもうないかも。一応行っておこうかな。」
そんな軽い気持ちだった。今年は映画に沢山行くのが目標で、ユナイテッドシネマの会員登録もしたものだから、映画館へ足を運ぶハードルが下がっていた。
いつ行こうかな〜別に入場者特典欲しいほどじゃないしな〜と思っていたところで、ちょうど中学時代の友人と遊ぶ機会があった。

大学生が2人以上集まるとネトフリかアマプラを再生するものである。
「ハイキューハマったねぇ…映画行きたいねぇ…」
もはや黒歴史となりつつある中学時代を振り返りながら、ハイキューを再生した。

あまりにも眩しくて、ほぼ土下座状態で見た。
途中で言った。

「明日ハイキュー観に行かん?」

弾丸映画鑑賞決定である。

最高に良かった。高校生に戻りたくなった。

高校生の私へ。
あなたが一生懸命生きた3年間を楽しくなかったとか言ってごめん。20歳の私は随分と大切なものを忘れていたみたいだ。楽しかった、戻りたい。高校生に戻りたい。

私にはバレーの経験はない。それなのに、ひとつひとつの言葉の解像度が上がり、共感できるようになっていた。中3の時、憧れでしかなかった、物語の中に生きる彼らが、急に現実を生きる人となったかのようだった。

中学は親の「部活なんかしてないで勉強しなさい!」という言葉に抗えず、楽しく部活に行く友達を横目に本を読んでいた。もちろんその時の読書が無駄だったなんて思わないし、今の私の大切な基礎を作ってくれている。それでも、「部活」をできるのは学生の間だけだ。貴重な3年間を帰宅部で過ごしたことにどこか引け目を感じ、高校では部活をするぞ!と意気込んでいた。

何を間違ったのか、「まぁ習っていたしできるっしょ!」と運動音痴の癖に空手部に入った。もちろんドがつく下手くそなので、試合では勝つどころか点すら入らず、コールド負けするこもしばしば。

そんな私が初めて点数を入れたのは、引退試合だった。点数を入れただけ。それだけだった。負けた。あっけない引退試合だった。  

でも、楽しかった。とても。やりきったと思えた。10年以上空手をしてきて、あんなに楽しいと思えた瞬間は、後にも先にもこの時だけだった。

次の試合がないからこそ、あの試合は特別なものだった。ひたすらステップを踏む2分間が苦しくて、きつくて、早く負けたい、終わりたいとすら思ったことがあったのに、あの試合だけは違った。無我夢中で技を繰り出し、防御することを繰り返しているうちに、気が付いたら終わっていた。負けるたびに付きまとった恥ずかしさと惨めさも、あの試合にはなかった。あったのは達成感だけだった。

だからこそ、音駒にズブズブと感情移入してしまった。特に黒尾。きっと色々な人がもう言及しているだろうけど、黒尾の原点はここなのか、と思ったのだ。研磨をバレーに引き入れ、月島にブロックの何たるかを仕込み、主将として部員たちを鼓舞する声をかける黒尾。きっと、選手としても優秀だったと思う。その彼が、あの道を選んだこと、その事実がずっしりと自分の中に入り込んできた。ネットを下げるため、奮闘する黒尾の原点が詰まっていた。
勝ち負けなんてどうでも良さそうに、大きく笑い声をあげる黒尾の姿が好きだった。黒尾にとって、勝つことよりも、幼馴染のあの言葉が、バレーを楽しく思ってもらえることが、どうしようもないくらいに嬉しかったんだ。そう思った。

ホイッスルが鳴った瞬間の、あの日向の呆然とした表情が、ずっとずっと忘れられない。「次」がないことに呆然とする、あの表情が。

「ゴミ捨て場の決戦」という、因縁ある試合であり、応援席にいる人たちにもそれぞれの思いがあって、もちろんプレーする彼らにも様々な背景がある。3年生は「来年」がない。来年、また烏野と音駒が試合で戦えるなんて保証もない。さまざまな思いが絡み合っている試合のはずなのに、そこにあったのは、バレーボールと選手、それだけだった。大舞台だからこそのしがらみも、期待も、何もかも振り払って、純粋なバレーの1試合を観戦した。そんな気分にさせてくれる映画だった。

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。高校のバレーだ。部活だ。もちろん全員がプロになるわけではない。卒業すれば、同じメンバーで戦うことはもうない。

私が部活をしていた2年間も、あっという間だった。空手は個人競技だ。団体戦も、コートの中に立つのは1対1だ。バレーとは全然違う。それでも、私にとっては毎日練習を共にした仲間だった。
私は習っていた先生が高齢のため、道場を閉めてしまい、もう1年以上道義に袖を通していない。あんなに毎日一緒に練習をした仲間とも自然と疎遠になり、卒業後に連絡を交わすことはほとんどない。
「高校の部活」、それだけを縁につながっていた仲間たちとの日々はあっという間で、今後の人生で一緒に空手をすることはもうないと思う。
仲間と出会い離れる経験を経て、高校生も終えた今の自分だからこそ、バレーボールを落とさないよう必死に動く、それだけのために必死になることができる彼らが眩しくて、きれいで、羨ましくて、そして愛おしかった。

願わくば、どの高校もよぼよぼのおじいちゃんになったら、またバレーをしてほしい。

そんなこんなで、かつて帰宅部の中学生だった私は、5年の時を経て「高校の部活」に触れた状態でハイキューの映画を見たものだから、より一層ハイキューが好きになってしまったのだった。

そして、コロナのせいだ、友達を沢山作れなかったせいだ、とばかり言い訳して、自分の高校時代を、ずっとずっと憧れていた高校の制服を着ることができていた自分を卑下し、貶め、あんなに楽しかった部活での日々をすっかり忘れていた自分に気が付き、恥じた。

ハイキューのおかげで、今まで忘れていた、授業が終わるたびにわくわくして更衣室に向かい、ダラダラと話しながらストレッチをして、汗だくになりながら練習をしていた、毎日を楽しく思っていた自分にまた会うことができた。どうして忘れていたんだろう、見つけてあげられなくてごめん。ちゃんと、大切な思い出として抱えていく。抱えていきたいから、ここに書き残しておく。

ありがとう、ハイキュー。


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