穢土のMOSAIC(写真物語)
熱心に写真を撮っていた時期が私にはあった。
標準レンズを取り付けた一眼レフ写真機を手に、以前はよく街を歩いた。そして、前を通り過ぎてゆく人々、植え込みに咲いている花、落ちているゴミ、商店街の看板などを、とにかく無作為に撮り集めた。撮影だけではなく、自宅でおこなう暗室作業 ― 露光済みのフィルムを現像してネガにし、気に入ったコマを引伸機で6切の印画紙に焼き付けることも当時の私は好んでやっていた。
歩く人の後ろ姿、ゴミ袋の中を漁るカラス、SMショップの陳列ケース、乗り捨てられたバイク、古本屋の店先 ― 出来上がったこれらの写真を10枚、20枚と畳の上に適当に並べ、端から順に見ていく。写っているものたちは1枚、1枚、バラバラである。撮影された時間も存在した空間も何ら共通しない。
しかしそれらが「私が見た」という一点だけを接点として、いま畳の上で隣り合っている。そう考えながら自分の作った1枚1枚を私は楽しんでいた。
白黒写真にこだわりがあったわけではないと思う。
撮った画を紙に焼き付けるまでの工程をカラー現像より簡単に安く、つまり手軽におこなうことができるというのが白黒写真をやる主な理由だった。
いまだったら、デジタル・データをパソコンで現像し直ちにプリント・アウトして楽しんだだろう。もちろんカラー写真として。
いまなら、6切サイズではなくサービス判くらいの小さなプリントを、10枚、20枚といわず何百枚と床に並べて見てみたいと思う。
もちろんカラー写真で。街を構成する、いろんな成分をまた写真にしたい。
小さなサイズの私の撮った街のカラー写真が、自分の部屋の床を覆わんばかりに何百枚と並んでいるところを想像してみる。
ヨーロッパのどこかにありそうなモザイク・タイルみたいにカラフルで、面白いのではないだろうか。写真のMOSAIC。 (おわり)
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