建築の新しい在りようへ③ - abhi から「月ぬれず、水やぶれず」、そして精神的自動機械へ

序 : 道元『正法眼蔵』におけるシークエンス

建築のデザインの根幹に触れる。
こちらの取り扱う道元とスピノザの言辞が開く観念のことである。
道元の主著、『正法眼蔵』のなかで「現成公案(げんじょうこうあん)」の巻は周知のように「白眉」であり、圧巻と言われる。短編である がこれほど著名で、内容について感得されきたった巻はない、という。それは仏道という証(さとり)を求めることからの視点からであろう。こちらの表題から見れば、門外漢が見るこの巻の世界は、全き新しい視点を日本中世期に示し得た事象であり、建築デザインの元初を開く思いがするのである。
では、以下にゆっくりと開陳して行こう。

まず知名な一節から始めよう。

「自己をはこて万法(一切の存在)を修証(〔し ゅしょう〕-おさめ、さとる一枚の境)するを迷〔めい〕とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり」

われ在り、なかりせば、他・ほかはなし。「ほか」はこちら におとずれる刻秒〔とき〕がある。現代語訳者である増谷文雄はここから「直観は無為にしてなるのであり、あくまでも受動性のものなのである」という解釈を引き出している。
個物、万物が自ずから露わにされてくる。前稿「思想ノー ト②」のスピノザ、並にドウルーズの、認識は主体がするのではない、に共鳴する。
近代は主客の世界を明るみに出した、果たしてその始点を改めて根源的に問い質している、と言える。

この直観の体する本質は、舟に乗りゆく様〔さま〕における転移へと展開する。

「人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸を見れば、岸のうつるとあやまる。 目をしたしく舟につくれば、ふねのすすむをしるがごとく」

船に乗りゆく様、 目に飛込む喜ばしい景の展開、なんとも快い。
なんという軽やかさ。
すなわち舟から周囲をあれこれと見渡す、「乱想」して思い巡らすが、己は何一つ変わらぬと「思い誤る」という教えである。が、見方を変えれば舟にのりゆく喩えは、スピードに関わる現在の事柄に通じる。自分は川の流れに添って動く舟とともにある。目を岸に移せば、岸の風景が流れ、向こうが動いているように見えるが、目を自分に、舟の場に返せば、舟が動いているのであって自分がそれとともに移動しているのを自覚する、僅かな刻秒の機微。なぜ機微か?、というと、舟にのりゆく者の内面的な“見えの認識”の切り替えだから。
時代の隔たりを越えた経験が披瀝されている。道元がこれに充てている「乱想」を「証(さとり)」連関から隔つれば、これは日本中世期、1200年代に開示する空間のシークエンスの喜の顕れでもある。読み終えたのちの心の軽みがその証左であろう。

さらに舟にのりゆく人の眼線の方向自体を注視すれば、以下の転移の主題に導かれる。それは「仏道をならう」ことの意とともに始まる。

「仏道をならうとは、自己をならうことである」

いまを考えれば、あることをならうとは自己をならうことであり、自己をならう、極めるとは自己を捨てることである。自己を捨てるということは、万物が在ってそこに己も内在されて、そうであるから万物に教えられることになる。

「よろずのことどもに教えられるとは、自己の身 心をも他己の身心をも脱ぎ捨てることである。」

と続く。
一つ一つの対応関係が自己否定を介して、次の対応関係に転移する。
観念の展開と、展開それ自身の転位、舟の様相は転位を明るみに出すことであったのだろう。これは abhi 現成〔げ んじょう〕、悟りを実現する思想構造を指示している。「万法(一切の存在)すすみて 自己を修証するはさとりなり」である。

『正法眼蔵』では寺での仏道生活を微に入り細に入り記述する巻がある。
求道者は生きられてあるのだから、摂食とともに用便の始末等を丁寧に教示しなければならない。一巻が当てられている。薪とはい / 灰への眼差しも、冬の仏道生活に根ざしたその辺りから発して「不生〔ふしょう〕」、「不滅」を説くのである。

「薪は灰となる。だが、灰はもう一度もとに戻って薪とはなれぬ」

薪が燃えて灰となる、この事象は薪が火によって燃焼して、終には灰となる。

「それなのに、 灰はのち、薪はさきと見るべきではなかろう」

灰にとって薪は前の在りようであり、薪にとって灰は後の在りようである、そうではないというのである。 薪が燃焼して灰となる関係を見る、このように理解することに観念が合理化されてしまっている、あるいは合理化されてしまっていないだろうか。

ここに到ってわかるのは、薪と灰が併置されると、薪は燃焼して灰となる事象として見てしまう。人の認識は各々を個別に見ることが忘れられ、事象に合理化して見るように馴致されている。あるいは薪と灰の前とのち、先とのちの見方にある超越的な座標認識を反省すべきである、と。
道元の一貫した眼線である。
関係づけることを近代の人間は“ならい”としてきた。そのことを見直して見ることを、現在への道元の言は伝えているかのようだ。

「知るがよい、薪は薪として先があり後がある。前後はあるけれども、その 前後は断ち切れている。灰もまた灰としてあり、後があり先がある。だが、かの薪は灰となったのち、もう一度薪とはならない」

事象あるいは現象はそれ自身が存在であるように、薪も、灰も同じく存在であり、おのおのが「このよう に」、「あのように」在ることで前 / 先、後を持すのである。薪が燃焼して灰になることと、薪が在ること、灰が在ることはそのように在ることを開示するのみである。「際断〔さいだん〕」されている、すなわち断ち切れている、というのであ る。個物の変状(形)ではなく関係で見る、デザインとは場なり、ものをどのように関係づけるかという視点から、近代の建築デザインは考えられてきた。 関係という「様態」でみる、様態は実体の変状としての様態ということを介して、万物は様態であるととらえることのなかにどのようにして見直すか、個物は個物、関係は関係、各々が際断されている事態を改める、これからのデザイ ンの可能性が託されている。道元の言質は本質の剔出〔てきしゅつ〕に向け削ぎ落とされているのだから。

薪と灰、

「それと同じく、人は死せるのち、もう一度生きることはできぬ。だからして、生が死になるといわないのが、仏法のさだまれる習いである。このゆえに不生(ふしょう)という。死が生にならないとするのも、仏の説法のさだま れる説き方である。このゆえに不滅という。」

薪と灰から人の生と死に関わる、 どのような思考の筋が展開するのか。
すべての個物各々「法位(物の在りよう)」を持し、「さきありのちあり」、前後際断されてある、今を、このように、あのように生きられてあるのだということを、改めて見なければならない。

人は死ぬともう一度生きることはできない、あるいは生が死になるとはいわ ない、ゆえにふしょう不生(生じない)という。死が生にならないとするのも 仏法の定まれる説き方である、ゆえにふめつ不滅(滅 ない)という。生と死の対応はこの後の月の像と水の表面の関係に続くのである。
しかし、「生が死になるとはいわない」、現代人にとって驚嘆すべき一節である。人間は必ず死ぬ、 これは生きていることの認識であって、この死を生は、この生を死も自覚することはできない。
生は生、死は死、際断されている。不生には生を超越する意もあり、生は生を生き切ることに在り、死ぬることはないというので在る。この節の後にこう在る。
「以水為命、以空為命」、と。魚と水、鳥と空の関連が命とともに「主客を転置」して三度語られている。

「以水為命〔いすいいみょう〕しりぬべし、以空為命〔いくういみょう〕しりぬべし。以鳥為命〔いちょういみょう〕あり、 以魚為命〔いぎょいみょう〕あり。以命為鳥〔いみょういちょう〕なるべし、以命為魚〔い みょういぎょ〕なるべし」

原文の音感のリズムが理解を深めるだろう。こちらが看取することは、魚は水から出てしまえば、死んでしまう理〔ことわり〕ではなく、 魚が生きてあることは常に水が在り、水の大小は量られるものではなく、魚が命あることに水は無限に勇躍すると考えなければならない。鳥は空を生ききり、 魚は水を生ききる。
後代近世のあの良寛の残した言葉に、「死ぬときは、死ぬがよろし。」とある。

「不生、不滅」に関連して述べられる。なぜ関連しているかといえば、生と 死の境への目先を水と鏡像の境に転じていると思うから。
「人のさとりをうる、 水に月のやどるがごとし」は、この一文もさとりの実相をしめすことばである。
 「証〔さとり〕」は水面に映る月の鏡像という、水面に月が映るという譬えはピー ンと張り詰めた透ける空気感が伝わってきて、悟りの情景であればわかりやすい。つづいて「月ぬれず、水やぶれず」と来る。つい読み飛ばしそうな短い節である。凄い!の一語である。
瞠目に値しよう、なんという深さ何だろう。
それにしても「月ぬれず」の様相、「水やぶれず」の様相をどのように理解したら良いのだろう。水の mirror 効果による月の鏡像が静かな水面に映じている。質量のあるものではなく、「水やぶれず」に夜陰の静謐な情景を想起させる。それゆえ、「水やぶれず」、水面にさざ波もない、たたない、ことを連想させる。これは少しのちの部分に、「さとりの人をやぶらざること、月の水をうがたざるご とし」に、連関する。

月の鏡像は水の表面に在る、しかし、水に濡れないのである。鏡像は水面に 直接することで像を結んでいるのだから、水に接して濡れている。では、なぜか?映像であるのだから、手のような実在ではないのだから、これは理屈であって、「月ぬれず」の真意に届かない、と思う。
「ぬれる」とすると水に接しているのだから、「ぬれず」の表現では接せずとなり矛盾である。さらに踏み込んで、一つは水の表面に月は映像されているに過ぎないのだから、在るのは水面であり、水面が「ぬれず」は当然である。
もう一つは、水面が水の表面に月は映像されていることを、「月」が水に「ぬれず」とすることで、月の像が水の面より剥がれる様相も想起しているともいえる。あるいは水面は鏡となって月の映像を表面に、つまり人の網膜に結ぶだけである、水は捨象されているのである、 と。
愈々〔いよいよ〕この稿の主題に直面する。

1 : 「月ぬれず」の境界面 - ベルクソンの場所論、L.カーンの「元初の学校」から

くどくど論を徘徊するのは理由がある。
月の鏡像 / 映像はどの場所に位置しているのか。水面は騒がず、水面に張り付き、水面に像を結 、しかし水に濡れず接しておらない、という状況はどう捉えるものだろう。鏡像が濡れない水面を見るという営為は、鏡像の在る場所、すなわち場所とは何かを問い質すこと につながろう。
そこで場所とは何かを問うた、ベルクソン H.Bergson の『アリス トテレスの場所論』、「アリストテレスは場所についてどのように考えたのであろうか」(注1) に触れる。
これはベルクソンの学位論文の副論文にあたり、アリストテレスの極める場所の論理を引き出すことは時宜を得ることと思う。それはこの状況を開示することとデザインの問題が、前景化されることになると予 測するからである。以前起稿した論を改めて見直すことから始めたい。

ベルクソンは、アリストテレスがある物体がある場所に置かれている場合、場所とは一体どのようなものであろうか、場所をどのように定義つけたのかを次のように後付けている。
置かれているものを包むものと包まれるものとの関係として捉え、元素から天体に至る高次の考察を踏まえた世界を背景に渉猟する。ベルクソンがアリストテレスの眼使いを追随し、つまり思考の回路の一端を明らかにする当該書第 6 章の論述に着目する。
「アリストテレスは場所とは包むも のの内側の面である」と定義づけた。(注2) というのは、あるものがある場所に置かれているとして、あるもの、個物自体に関する事柄の探索とそれが置かれてある個物以外の周縁、環境が前提としてあるだろう。前者を包まれたものとし、後者を包むものと規定する。

そのうえで、

「第一に、質料、形相、間隔のように包まれた物体に存するもので場所の本性とは別なものすべてを除去した。次に、包むものに存するもので包まれた物体の固有の場所と関連を持たないものと思われるすべてを除去した」

こうして除去の操作をもって、包まれた物体の外側の形または境界へと導かれ、次に包むものの内側の面へと導かれたのである。すなわち、場所に置か れた個物に固有のものを列挙して除去し、個物を取り巻くもので個物が置かれている場所に関わりのないものを除去した。

「しかし、物体の境界は物体とともに動かされるが、場所は場所を変えないから、ついには包まれた物体の境界をも除去し、その結果、包まれた物体がそれと接触するところの、ものの境界以外にはなにも残っていないであろう。したがって、いわば除去の二つの系列を中間へと向かって追求し、中間に留まって次のようにすなわち、場所とは包むものの内側の境界であり面であると定義したのである」(注3)

そこですなわち、 アリストテレスは「物体があたかも水中における魚のように存在するような空間がそれ自体で存在する」と考えたのである。

ベルクソンによって提示されたアリストテレスの場所の一考察を通じて、場 所とは包むものの内側の境界面であり、「水中における魚のように存在するような空間」とされた。
月の鏡像は「包まれたもの」で、水面を含めて周縁を「包むもの」として、両者の応答から「包むものの内側の境界面」に到る。不思議な因縁だろうか、水中におけるではないが、水面における「魚のように存在する」という言葉に繋がることになった。而して、月の鏡像は「月ぬれず」の境界面とはいえる。

建築はこれからも人間生活の空間的共時態であり、生活は内、外の様態に繰 り広げられよう。執筆者にとって、この境界面はデザインの主題であった。
建築における空間を認識する過程を、内部と外部の関係で理論面、実践のデザイン活動を介して考え続けてきた。これまでの「〈内〉と〈外〉の間」の作品活動 がささいな記録である。人が営む事柄は空間的共時態であり、その様態は外に晒された在りようから、内なる様態への「魚のように存在する」往還であり、 転移といえる。先端科学を背景として、現代建築はこの境界面に自然の生成における生物の外界への対応面へ関心が高まるのは必定である。

最近、L.カーンの「元初の学校」を公の小集会の場で発表する機会があった。 カーンによれば、人の営みにおける「学校」は、一本の樹の下の戸外に晒されている、しかし樹の繁みの下という条件から元初する物語である。カーンは「元初の学校」を境界面の不在のように開陳する、それは何故〔なにゆえ〕だろうか?

「学校は樹の下で一人の男とともに始まる。自分が教師であることを知らな い一人の男が、自分たちが学生であることを知らないいく人かの人たちとともにかれの自覚について話をしている。かれらは自分たちの間でとりかわすやりとりについて、そしてこの男のまえにいるということは何と素晴らしいことかと反省した。そして息子たちにもこの男が話すのを聞かせてやりたいと望んだのだ。やがて求められた空間が建立され、最初の学校が存在するようになった。 学校の設立は、学校が人間の願望のひとつであるがゆえに必然的なものであっ た」。(注4)

学校の場は樹の下の外の開かれた、おそらく屋根を思わせる繁みに覆われた 少し内的とも言える空間のもと、教師であることを知らぬ先に生まれた男が、 学生であることを知らぬ後から生まれてきたものたちとの会話の中に、かれの自覚、すなわち存在に係る事柄についてとりかわすやり取りと、そのこころよさに起因する反省、そしてそれをとおして彼らの息子たち、次代に現れるものたちへと受け継いでいくことの意志から、自ずからに学校の存在が、その設立が「学校が人間の願望のひとつであるがゆえに必然的なものであった」と、カ ーンは述べる。

さらに学校という institution に即して加えれば、樹の下での両者の間に取り交わされた主題である「自覚」をとおして教師であること、学生であることが元初し始めるとともに、このことに係るこころよさは学の本質を指し示し、同 時に次代に現れるものへの繼承とともに、学校という施設の現れが約束されてくるというのである。(注5)

「元初の学校」は、プラトンの開いたアテネのアカデミアの遺構やラファエ ロが描いた古代の「アテナイの学堂」でもない。建築が人間が在ること、即空間が起こり始める元初に、その成立を見ていると言える。スピノザが言うように、人は精神から観念を繰り出す内的な営為のうちに真理を見出す道を歩み出すのである。カーンの思惟も建築の在りようを求める途次に見出した一つが「元初の学校」であり、施設から隔たった建築なるものの観念であり、水面に像を結んだ月の鏡像といっても良いのであろう。どこの場にあっても生起するものなのだ。座標的な意味での境界面は不在であり、「月ぬれず」のごとく在ることにおける境界面は存すると言えるのである。ここには実在と観念の問題が孕んでいよう、以下に転移する。

2 : 「月ぬれず」のデザイン - スピノザの「方法」から

道元の「月ぬれず、水やぶれず」からアリストテレスの場所についての思考回路をたどり境界面に到り、さらにカーンの「元初の学校」の思惟に触れた。
先ほど映像であるのだから、手のような実在ではないのだからと記したが、次にはたして月の鏡像は個物であろうか、という問いかけをなして、もう一つのデザインの問題を惹起してみたい。
月の鏡像は時間とともに自然の諸法則から、また見者の移動とともに変移する。それを、道元の言説は「月も広大な光であるが、盆ほどの水にやどり、月天のことごとくが、草の露にもやどり、一滴の水にもやどる。」と言う。悟りの事態という水面への月の映像の写り込みは、スケールにおいて場所を選ばず、盆であれ、草の露であれ、一滴の滴であってもと加える。水面に映ずること、その一閃の輝きであり、明るみである。「さとり」 は拒む拒まぬではなく、何処にも訪う〔おとなう〕というのである。

自然の摂理と、人の目の仕組みによる世界の移り変わりであるのだから、鏡 像は個物であるが、ものが置かれているような様態の個物と考えることはできないだろう。網膜に映じた像が、人の「修証」の様を捉える、と道元は述べたのである。宇宙の運行における衛星である月が地球の周縁を公転し、その映像が鏡面となった水面を介して見者の網膜に像を結ぶ。これは事実表記であり、 道元の言説はその表象の表れだろうか。そうではない、「月ぬれず、水やぶれず」 は道元の表現である。月の鏡像は水面で「万法すすみて」自らデザインしたということであり、道元の観念が像を水の表面に結んだのである。ここに、観念と実在の重大な問題が前景化しているのである。スピノザの一節が思い浮かぶとともに、スピノザに登場していただかねばならない。宇宙という実在がなければという視点はデカルトの表象論的観念論であり、スピノザの脱表象論的観念論によって喝破されたのだから。
(思想ノート①参照)

スピノザ哲学を「方法」とは何かという視点から問いかけた哲学者、國分功 一郎は、スピノザの方法は、対象を解明するための規範のような外にあるようなものではないという。スピノザの方法が適用されるのは観念であって、「獲得された観念は次の観念獲得のための道具となり、獲得された観念は真理の標識を必要とせず、観念を獲得する道筋そのものが方法と言われる」。それゆえ、「スピノザの方法はスピノザの考える観念、観念についてのスピノザの思想と切り離せない」。(注6) 精神が対象に向けて観念を繰り出していくそのものの途次に、 精神の指導と原則が生み出されていくのであり、対象への観念の展開にしか真理はないのであり、他の規範や標識や、道具も必要ない。
方法は、真理あくまでも真理に向けられた人の観念それ以外のものではないというのである。方法についてスピノザが剔出したのは観念であり、観念と表象の関連で脱表象論的方法論を抽出し、スピノザに即して國分は次のように披瀝するのである。 「事物と観念は同じ存在であり、同じひとつの存在が別の仕方で考えられた、ある いは別の仕方で現れたものであると考えるところまで進まねばならない」。(注 7) そして、スピノザは観念と実在について君主の肖像画の事例をもって次のよう に述べる。

ここに二つの君主の肖像画がある。

「我々が単に肖像の材料だけに注意するな ら、我々はその肖像と他のいくつかの肖像の間に、異なった原因を求めねばならぬようなどんな相違をも見出さないであろう。否、その肖像は他の肖像から模写され、後者はまた他の肖像から模写され、このようにして限りがないと考えることもできるであろう。その描写のためには、何ら他の原因が必要でないことが十分了解されるからである。これに反して、もし映像を映像としてある限りにおいて注意するなら、我々は直ちに、その映像が表現的に含むものを形相的にか、或いは優越的に含むところの第一原因を求めねばならぬであろう。 この公理の確証と解明のためには、これ以上望むことがあろうとは考えられな い」。(注8)

ここに実在するのは、二つの肖像画について表現されたものの映像から看取される優れた表現の観念と凡庸な表現の観念が実在しただけである、と。 観念の原因は観念にしかないということである。つまり、月の運行と水面、眺 める人の網膜の関係が「肖像の材料」であり、「その映像が表現的に含むもの」 が水面に結んだ道元の観念であると言える。

巻の終りに宝徹〔ほうてつ〕禅師の所業が引かれる。「風性常住、無処不周」。風は常在して、あまねき処に吹いている、という理〔ことわり〕である。禅師が扇子を使っていると、ある僧がきて風はないところはないのだから、なぜ扇子を使 っているかを禅師に問い質す。禅師はそれを聞いて扇子をゆっくりと動かした、 という。理は理論であって、そこに扇を使うことで風が生まれる実践を以ってその理を学ばねばならない、と。理と実践の往還、道元の観念はどこまでも行き届いているのである。

このことは現代語訳者、増谷文雄が取り上げた「証究すみやかに現成すとい へども、密有〔みつう〕かならずしも見成〔けんじょう〕にあらず。見成これ何必〔か つ〕なり。」への解釈でさらに追認されよう。つまり、仏道における修行にて直観を得られたと思っても、内に得られたものは直観であるゆえに「漠として明白に整えられていない」。見成〔けんじょう〕、すなわち悟性認識のようにまで至ってはいないというのである。しかし、これは「さとりとしては、必須の条件で はない。」、と道元は言う。増谷は「そこまで明白に思索をこらしていたとは、 まさに恐るべき道元の頭脳であると思う次第である。」(注9) と、深思する。

道元の主著の白眉とされる「現成公案」の巻の筋も「修証」する仏道における諸相が、さまざまに主題を移しながら展開し、その底に直観、「現成 abbi」へと広狭深浅にピーント張った琴線のごとく筋立てられていること、が理解できる。時代の懸隔を背景するにしても、ここに日本中世の人の生活に関わる事柄が多様に展開し、外景としては脈絡のないように見えるが、内景に見透かされる道元の思惟が緊密、精細に織られていることがわかる。こちらのような凡俗の徒にも人が在ることの原理、さまざまに場面展開し日常に見えるものとも通底して、一切の無駄が削ぎ落とされていて、「修証」に到るのが垣間見える。

スピノザが表した方法の書の一節が繋がってくる。人としての在り方を次のように述べている。

「真の観念は---どのようにして又なぜ或る物が存在しあるいは生起したかを示すこと、並 に、その想念的諸結果が精神の中で対象の形相性に相応して進展することを我々に説いた」

このことは昔の人が真の知識は原因から結果に進むといったのと同じ意味である、がしかし「ただ彼ら〔古人〕は、私の知るところでは、ここでの我々とは違って、精神が一定の法則に従って活動しいわば一種の精神的自動機械(〔ドゥルーズ『スピノザ──実践の哲学』の鈴木雅大訳による。畠中尚志訳では〔霊的自動機械〕である。〕)であるということを決して考えていなかっただけである」。(注10) 古人、道元はすでに日本中世における「精神的自動機械」の体現者であった。

結 : 「精神的自動機械」である事の自覚にむけて

スピノザは人間を「精神的自動機械」と措定する合理主義者といわれる。主著『エチカ』は著者名を B.D.S.としてのみ記したという。「真理は万人の所有であって個人の名前によって呼ばれる必要がない」という思想によるという。ただし観念を発する場所は個としてのわたしであり、あなたである、「各々の精神の特異性」から発するしかない、という内的なものへの眼を持している。われわれは精神が、またとりわけ身体が何をなしうるのかをまだ知らない。われわれが考えられる域を超えている精神について、それ以上に身体についてそれを発見していかなければならない、とスピノザは述べていた。

建築の新しい在りようは「精神的自動機械」である事の自覚にむけて、精神をもって只々考え抜くことと、身体をもって只々手を動かし抜くことの世界に、表現という鱗粉の如き片鱗が現れてくるだろう。

 入江正之 (建築家/DFI・早稲田大学名誉教授) 2021 年 3 月 24 日稿了

注釈

注 1, H.ベルクソン全集 1。

注 2, 同掲書,第六章 p259

注 3, 同掲書,p.p. 259~260

注 4, 前田忠直、ルイス・カーン研究;思惟の方法と存在論的建築、1989,p.p.226-227

注 5, 「元初の学校」で重要と思われることは、建築という分野にありながら一切物理的な施設については 問われていないことである。「自覚」という意識と反省にかかわることから、学校という学 の仕組み institution が観念として継起してあらわれて来ることである。

注 6, 國分功一郎『スピノザの方法』、みすず書房、p,.108。

注 7, 同掲書 p.261。 

注 8, スピノザ『デカルトの哲学原理』、畠中尚志訳、岩波書店。P.46 

注 9, 道元『正法眼蔵』、「現成公案」巻、p.55。

注 10, スピノザ『知性改善論』85 節、p.p.67~68

参考文献

;以下の様な書籍を参照した

道元『正法眼蔵』増谷文雄現代語訳 全 8 巻 

B.スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳 

B,スピノザ『デカルトの哲学原理』畠中尚志訳

B.スピノザ『エチカ 上、下 倫理学』畠中尚志訳 國分功一郎『スピノザの方法』みすず書房

G.ドウルーズ『スピノザ 実践の哲学』鈴木雅大訳 平凡社

ベルクソン全集 1、『アリストテレスの場所論』、村治能就・広川洋一訳、白水社 

前田忠直「ルイス・カーン研究;思惟の方法と存在論的建築」、23-Mar-1990 

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