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イギリスとアイルランドの微妙な関係

こんにちは、アイルランド在住のつぐみです。

どこの国も近隣諸国とは仲が悪いものです。アイルランドにとってはイギリスがそれ。

イギリスにとってアイルランドは、ただの小国の一つに過ぎませんが、植民地化され虐げられたアイルランド側はその恨みを忘れていません。

外見では区別がつきづらいイギリス人とアイルランド人ですが、一緒にすると不快にとる人も多いので気をつけましょう!中国人に間違われて不快になる日本人が多いのと同じ感じです。


イギリスとアイルランドの歴史

中世から始まるイギリスの支配は、アイルランドの文化、宗教、政治に大きな影響を与えました。
1171年、イングランド王ヘンリー2世がアイルランドに侵攻し、支配を確立。その後、数世紀にわたりアイルランドはイギリスの統治下に置かれました。
イギリスに比べ小国のアイルランドは植民地時代に様々な弾圧を受けることになります。

ジャガイモ飢饉など歴史的な悲劇のエピソード

その代表的な事件が、ジャガイモ飢饉。
19世紀に起こったジャガイモ飢饉は、イギリスとアイルランドの関係に深刻な影響を及ぼしました。1845年から1852年にかけてのジャガイモ飢饉の際にも、イギリスはアイルランドにジャガイモ輸出を強要し、その結果約100万人のアイルランド人が命を落とし、さらに100万人が移民を余儀なくされました。

(余談ですが、この時多くのアイルランド人が移住したのがアメリカ。このアイリッシュ系子孫には、ケネディやオバマなどの大統領も。アイルランド発祥のイベントが、アメリカで盛大に行われるのはそのためなのです。)

多くのアイルランド人は、この飢饉の際のイギリス政府の対応を、イギリスの無関心や意図的な失策と感じました。この事件は、アイルランドの独立運動の引き金となり、後の政治的不安定につながることに。

ユニオンジャックのTシャツは着るな

アイルランド人の中には、このような歴史的な背景からイギリス人に対して複雑な感情を抱く人々がいます。特に年配の世代やナショナリストの間では、イギリスに対する反感や不信感が根強く残っています。

そんなことを知らぬ私は、イギリスの国旗であるユニオンジャックがデザインとして描かれたTシャツを部屋着として使っていました。ある日、ちょっと買い物に行こうとした時、「そのTシャツで外出はするな」とアイルランド人の旦那さんに言われました。

いわく、私のような外国人が「イギリス大好き!」みたいなTシャツを着ていると、過激派ナショナリストのターゲットになる可能性があるからとのことでした。そんなわけでそのTシャツは捨てました…

アイルランドは比較的安全な場所ではありますが、近年暴動などもありましたし、気をつけるに越したことはないかも。

北アイルランド紛争の歴史

アイルランドの歴史を語る上で、北アイルランド紛争は避けて通れません。イギリスはアイルランドの植民地化時代に、プロテスタント系のイギリス人を、統治のために北アイルランドに多く送っており、独立後に、自らをイギリス人と自覚する北アイルランド人は北アイルランドをイギリス領としました。

その結果、北アイルランドとアイルランドの統合を目指すカトリック系ナショナリスト(いわゆるIRA)と、イギリス領のままでいいとするプロテスタント系ユニオニストの間の対立がエスカレートし、1960年代後半から1998年まで続いたこの紛争は、数多くの犠牲者を出しました。

この悲しい歴史の爪痕は、北アイルランドの至る所で垣間見ることができますが、中でもおすすめのスポットはベルファスト。

プロテスタント系ユニオニストの居住区、カトリック系ナショナリストの居住区をわける「平和の壁」は、今でも紛争の名残を感じさせます。
通常の壁の高さは3メートル程度でしょうが、その壁の上部にはさらに高く7メートルあたりまで鉄格子が張り巡らされています。これは、「互いの居住地に手榴弾が投げ込まれるのを防ぐため」に、設置されたものです。初めて壁を見た時、その話を聞き、非常にショックを受けたことを覚えています。
普通の住民達がそんなやり方で、近隣の人と殺し合っていたなんて。

ベルファストには、多くの壁画があり、それらは紛争の歴史とその後の和平を象徴しています。手榴弾を投げ合う戦闘のシーンや和平への希望が描かれています。地元のガイドと一緒に壁画ツアーに参加すると、背景にある物語を詳しく聞くことができるので非常におすすめです。

近代に起きた生々しい紛争の爪痕を感じることのできるベルファストツアーは、アイルランド観光するなら是非とも体験してほしいツアーの一つです。

義母が北アイルランドで受けた仕打ち

私の義母はスポーツ万能で、中学生の時にアイルランド代表として、北アイルランドで開催されるスポーツイベントに参加しました。
その頃の国境は今とは比べ物にならない厳重なもので、14歳の義母は、少し離れた監視所にいる警備に長銃で狙われながら、国境通過のための身体検査を受けたそうです。

スポーツイベントで国境を渡る少女になんという仕打ち…。アイルランドと北アイルランド間の悲しい歴史を身近に感じるストーリーでした。

EU離脱時に北アイルランドが焦点だった理由

ブレグジット(イギリスのEU離脱)は、イギリスとアイルランドの関係に新たな緊張をもたらしました。
北アイルランドの国境問題が、離脱交渉の主要な争点の一つだったのは、両国の間に税関を設ける必要があるという経済的対策が必要だったからだけではありません。

血を血で洗う北アイルランド紛争はイギリス・アイルランド双方がEUという大きな枠組みに収まることで、なんとか収束させた経緯があります。
北アイルランドの和平プロセス(グッド・フライデー協定)を維持するために、イギリスとEUは「国境を物理的に設置しない」ことを約束した経緯があるのです。
イギリスがEU離脱したことで再び両者間の境界が可視化され、緊張が高まる懸念があります。

北アイルランド問題の平和的解決のために、南北アイルランドを統合してしまえば良いとする政治家たちもいます。
しかし現在イギリスが北アイルランドの財政支援に支出している金額は、年間約150億ポンド(約3兆円)。このお金で北アイルランドの公共サービス、健康、教育インフラが支えられているのです。アイルランドという小国に北アイルランド財政を支える余力はありません。

離脱から数年経った今も、輸出入に関わるプロセスや、それに関わるビジネスは変化し続けています。政治的、経済的、社会的にも問題が山積みな北アイルランド。今後どのように変化していくか、アイルランド在住の身としては、非常に注目するところです。

両者を隔てる壁の撤廃

ベルファスト市内のいくつかの場所に存在する「平和の壁」は、今でもカトリックとプロテスタントの地区を隔てています。壁には、平和と和解のメッセージが多く書かれており、訪問者は自分のメッセージを残すことができます。私も訪れた際に、平和を願うメッセージを書いたことがあります。

しかし、ベルリンの壁と同じように、両者の対立の象徴であったこの壁も徐々に取り壊され、文字通り垣根がなくなりつつあります。北アイルランド紛争は、アイルランドが植民地化時代に受けた弾圧、宗教対立、経済的な理由等、複雑な要素が絡み合った争いでした。近年のブレグジットによる新たな問題点にかかわらず、両国の平和が続くことを祈るばかりです。

イギリスとアイルランドの間にはこのように歴史的な対立がありますが、アイルランド人はなんだかんだでイギリスの文化や芸術が大好きです。イギリス発のミュージカルがよく公演され、テレビ番組も大人気。特にイギリスのロイヤルファミリーはアイルランドでも人気で、その王室の歴史を語るドラマシリーズ「クラウン」はアイルランドでも大ヒットでした。

芸術は両国の垣根を解消し、理解と共感を深める力を持っています。文化や芸術を通じて、イギリスとアイルランドの人々が互いに歩み寄り、平和で豊かな関係を築いていくことを願っています。

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