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#519 心の葛藤を制御できない自己嫌悪

 私が学校教員として勤めていたころ、部活動の運動部の主顧問をしていました。

 私の職場は、大学進学を第一に考える中高一貫校(スポーツクラスは存在しません)なので、部活に対する取り組みは人事評価ではあまり重要視されません。

 それでも、部活動が教育活動にとって価値かあるものであるという感覚は存在し、だからこそ生徒にも部活動を進めます。特に主顧問は、学習レベルが非常に高い生徒に対し、質の高い授業を展開しなければなりませんから、日々の授業準備に加え、休日の部活・大会などで忙しい日々を過ごします。

 しかし部活動は麻薬みたいな側面がある。顧問として一生懸命部活に関われば、その分だけ生徒との信頼関係は深くなっているという事実があります。そんな事実が顧問の労働感覚を徐々に麻痺させていくし、また顧問を担当していない(特に同じ年代の)顧問に対する穏やかではない感情が芽生えていきます。

 あるとき、私の担当する部活動の補助指導として一人の職員が雇用されました。その人は運動で大学までいった人で、体の動きや技術を教えるのがとても上手。私も最初は自分の負担が少なくなると思っていました。

 しかし人間の心は複雑なもの。生徒は徐々に教えるのがうまいその職員の言うことを聞くようになり、彼らの中から徐々に「私」という存在が消えつつあるのがわかってくる。

 自分を褒めて欲しいから、生徒に認めて欲しいから、顧問をやっていたわけでは決してない。それなのに、自分のあるべき姿と自分の心のありようがどうしても矛盾してしまう。

自分の人間としての小ささを知りつつも、自分の感情を制御できない自分が存在して、そしてその心をうちをを誰にも打ち明けられないまま、私自身が蝕まれていく。

 こんな時、私はどうしたらよかったのか。

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