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#357 金融教育から見る私たちの生き方

 私たちが今の社会を生きていく上で必要な学びの1つに「お金」があります。日本の学校教育は「お金」に関する学びを遠ざけてきました。それはお金にまつわる様々な要素が、教育業界では何かしら下品なものとして捉えられてきた部分があるから。

 しかし、資本主義システムの中で生きる私たちにとって、お金というのは自分たちの人生にとって必要不可欠なもの。だからこそ、お金に関する学びが学校教育の中で担保されるべきであると個人的には考えています。そんな中、学校における金融教育に関して、東洋経済オンラインで面白いコラムを見つけました。

 今の日本は政府をあげて「投資」を推し進めている。実は昨年から高校の家庭科で金融教育が始まりましたが、指導要領の中では、投資についてはほとんど言及がないにもかからわず、政府と銀行関係者と思惑が重なり、各学校では金融教育の一環として投資をテーマに講演会などが行われているようです。そのような状況に関して、同コラムを書いた、元大手投資会社ゴールドマンサックス社の田内氏は警鐘を鳴らしています。

 残念だが、現在の日本の投資教育を受けていると、「投資=お金を増やすこと」だとインプットされる。投資の実態を知らなければ、「投資される側」に回ろうとする発想も浮かばない。

 働けなくなった高齢者が投資をしてお金を増やそうとするのはわかるが、問題を解決するために「投資してもらう側」になるべき若者に、アメリカ株への投資を教えることがいかに馬鹿げているかは明らかだろう。小説に書いたように、お金ではなく「若い時間」を投資することが重要なのだ。もちろんお金が余っているのなら、「投資する側」に回るのもいいだろう。しかし、「投資される側」の存在を教えていないのは危機的状況だ。

 私が同氏のコラムで特に共感をするのは自分が投資される側の人間になるということ。金融教育の本質は、「自分が幸せになるために、お金をどのように生み出し、そしてそのお金をどう使うか」ということだと考えます。

自分がお金を生み出すためには社会をより良くする事業に身を投じること、そしてその結果として得たお金を社会をよりよくする事業に投資することの重要性がコラムでは書かれています。

 GAFAの先頭にあるG、Googleという検索エンジンを開発したのは、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンの2人。開発当時、彼らはまだスタンフォード大学の学生だった。
 1990年代にインターネットが普及し始めたころ、インターネット上の検索エンジンの精度は低く、検索ワードと関連の少ないページが検索結果の上位に表示されることが多かった。
 その不便さを解消しようと彼ら2人が立ち上がった。彼らの研究が評価されたことで、投資マネーが集まった。多くの人を雇うことができて、Google Mapなどのさまざまな製品を開発することに成功した。彼らのように、社会に存在する不便さや問題などの解決に取り組もうとする人がいるから、社会は暮らしやすくなっていく。
 そして、世界の大富豪の上位は、そのほとんどがこの2人のような起業家たちだ。彼らは「投資する側」にいて、お金をもうけたのではない。自分たちで問題を解決しようとして、「投資される側」に回ったのだ。今でもスタンフォード大学では優秀な学生ほど起業家を目指すそうだ。

 お金とは「誰かの役に立つ何かをした感謝の印であり、その感謝を他の誰かに渡すことであるということを実感します。金融教育とは単に証券や投資や不動産のことを学ぶことではなく、自分の人生のあるべき姿を探し出すことと同義なのではないかと思ったりします。

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