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#324 非日常ではなく日常を求める学校に

 学校行事は児童・生徒たちにとって特別なイベント。嫌な授業を毎日受け、教員に指導され、自由を制限された日々を送る彼にとって年に数えるほどのそのイベントは、非日常を感じることができる、貴重な時間なのかもしれません。

 日本では中学生や高校生を主人公としたアニメは数えられないほど多くありますが、どの作品においても、学校行事は何か特別で彼らの「青春の1ページ」を彩る価値あるものとして描かれているように思います。

 一方で、学校行事の本来の目的は、児童・生徒の日々の生活への「ガス抜き」ではありません。学校で行われる全ての活動が児童・生徒の学びに繋がるものであるべきです。逆に言えば、そこに「学び」の効果が薄いのであるならば、改善が必要であり、当然廃止する可能性があるべきものもあると言えるでしょう。

『増える短縮型、岐路に立つ運動会 「教育効果失われる」専門家の懸念』というタイトルの記事を見つけました。

 記事の中ではコロナ禍を経て、従来的な学校行事の価値が再考されてつつあるとともに、21世紀を生きる私たちに求められることは何なのかを定義する機運が高まっていると書かれています。

 個人的には学校行事が悪いとは思いません。というよりも全ての体験は、その体験が自分自身の価値や心や身体を傷つけないものであるならば、私たちの学びに繋がるからです。しかしながら、行事が学校生活の「ガス抜き」になっているとしたら、日々の学校はいったい何なのだということになる。学校における「学び」は決して、児童・生徒を締め付けたり、不必要なストレスや不満を与えるものではあってはならないのです。


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