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僕の4分の1

⭐️⭐️⭐️⭐️
(星の数でこの記事のオススメ度を
5段階で評価しています)

皆さんこんばんは
フリックフラックいっぽです。

いつも僕の記事をお読みいただき、
ありがとうございます。

さて今日はね、
最近あった出来事を書いていきます。


最初に断っておきたいんですけども
今日僕が書く事はですね
決して暗い内容でも
マイナスの内容でも無くてですね

明るくてプラスの内容なんですよね。

それを理解した上で
読んでいただければ幸いです。




先日ね、
僕の母方の祖父が他界したんですね。

母から連絡が来て
その事実を聞かされた時は
驚きましたね。

何に驚いたかってね
突然亡くなった事に
驚いたわけでは無くてですね

僕自身が
とんでもなく穏やかな気持ちで
落ち着いている事に驚いたんですね。

なんでそんなに落ち着いていたんやろって
考えたら
すごく単純な事で


去年の夏頃ですかね
祖父が倒れて入院したのは

その時も母から突然伝えられて
そこからしばらくね
母と連絡が取れなくなったんですよ。

ちょうどその日
僕はバイトをしていて

普段はすぐ連絡が取れるはずの
母と連絡が取れないという事は
もしかしたら
相当ヤバい状況なんじゃないかと
勝手に色々想像してしまいまして

昔ね、祖父が癌になって
生死を彷徨ったことがあったんですけど
その時とはまた違う感覚というか

今回はホンマにヤバいぞ
みたいな

コンビニのバイトで
レジにいたんですけど

その時間ちょうど
もう1人のスタッフが休憩中でして

お客さんもいなかったんですよ。

暇な状況の中で色々考えました。

今まで祖父と話した事とか
一番最近会った時の事とか

バイトが終わって
家に帰ってからも
しばらくボーッと
思い出を振り返ったんですね。

そしたらね、
僕の中で勝手にもう
亡くなってしまったみたいな感覚になって

涙が溢れてきたんですね。

なぜ泣いているのか
自分自身でもよくわからなかったんですけど

勝手な話ですよねホンマに
まだ普通に生きていたのに

でもね、
なぜか涙が止まらなかったんですよ。

一通り泣き終わって
勝手にすごくスッキリした
気持ちになったんですね。

理由は幾つかありました。

僕の実家ってね
大阪府の堺市ってところに
あるんですけども

家族、親戚がすごく近い位置に
みんな住んでいるんですね。

父方も母方も
車で15分くらいの場所なんですよ。

父方の祖母だけ大分出身なので
曽祖父母とかは大分ですけど

僕と従兄弟のお兄ちゃんだけが
今現在、東京で
他はみんなほぼ同じ場所に
住んでいるんですね。

だから、僕が
高校卒業まで
18年間はしょっちゅう
両祖父母に会っていたんですよ。

祖父母って4人いますけど

この4人に2週間会わないことなんて
ほとんど無かったですね。

だって近くに住んでますから

しょっちゅうご飯に行ったりしていて

だから僕ね、
夏休みや冬休みに
親の田舎に帰って
祖父母やイトコに会いに行く
みたいな経験ってしたことないんですよ。

長期休みじゃなくても会えますからね。

大学に入って
僕が京都に住みはじめてからも
4人の祖父母とは頻繁に会ってましたし

亡くなった祖父は
焼肉屋をやっていたので
そこにもよく行っていたんですよ。

僕は自分の職業である
漫才をしている姿も
見せることができましたし

大学までいって
勉強して留年したけど
卒業する報告もできたし

学生落語の大会で優勝する姿も
見せることができましたし

彼女を紹介する事もありましたし

祖父はね、
本格的に絵をやっていたんですけど
僕の絵を描いてもらったりね

書きはじめるとキリがないので
この辺にしますけど

端的に言うと
最高の孫と祖父の関係でいられたと
思うんですね。

最高の祖父でしたし
自分で言うのも何ですが
僕も最高の孫だったと思います。

祖父は倒れる直前まで
仕事をしていて
80近いわけですよ。

だから、もう十分やって
思ったんですね。

ゆっくり休んでください

そりゃ芸人として成功する姿も
見せたかったかどうかで言えば
見せたかったですし

僕は曽祖父が生きているうちに
会うことができたので
自分の子供にも祖父に
会わせてあげたかったなとは
思いますけど

それだけの心残りで済んでいるのが
奇跡というか

全部達成できるわけないですから

努力とか運どうこうで
どうにかできる問題では無いですから

それはもうええ
って思ってしまったんですよ。

でも、そこから
祖父は入院生活を過ごして

母や祖母や
その他様々な人の力を借りて
最近まで生き延びてくれたわけですよ。

色んなことが重なって
祖父が実際に亡くなったことを
知らされた日の僕は
更に穏やかな気持ちになっていて

翌日、通夜と告別式に
参加するために
大阪に向かいました。

急遽ということで
昼頃の新幹線に乗って
向かったですけど

僕1つ決めてたことが
ありまして

泣かんとこって
思ってたんですね。

何でかって色々理由は
あるんですけど

祖父なら
僕が笑ってることを
望むんじゃ無いかなぁ
とか

まだ生きている段階の時に
泣きすぎたから
とか

でも一番大きかったのがね
祖父が言っていた言葉なんですよ。

祖父がね
僕がまだ小さい時から
「男が泣いていいのはオカンが死んだ時と
財布無くした時だけや」

って口癖のように
言っていたんですよ。

冗談っぽくね

だから僕はね
絶対に泣いたらあかんと
思ったんですよ。

祖父が死んだ時
は該当しないんで

何とかなるやろうと思いながら

新大阪に辿り着きまして
僕の実家周辺は割と遠いので
そこから1時間くらいかけて
葬儀場に辿り着きまして

色んな親戚がいるわけですよ。

パッて会場に入りましたら
祖父の遺影が置いてありましたね

その遺影がね、

僕とのツーショットの
祖父をアップしたもの
だったんですよ。

この時点でちょっとヤバかったですね。


どういう事かわかります?

祖父は80近いですから

今までに何百枚何千枚と
写真を撮っている訳ですよ

数ある写真の中で
一番いい笑顔で
撮っていたのが僕との写真だったんですね。

これはちょっとヤバいなぁ
と思いながら

なんとか耐えていたら

母が助け舟を出してくれたんですよ。

僕の母方の親戚ってね
みんなデカいんですね。

母も160以上ありますし
祖父も180以上あって
普通に僕よりデカいんですよ。

祖父の兄弟も僕よりデカくて

逆に父方は小さい人が多くて

174cmという
耐えてる身長の僕が
生まれたんですね。

ほんまに耐えてますよねこの身長

でね、
デカいから通常の棺桶では
足りなくて
祖父、膝を折り曲げて
入れられていたんですね。

ちょっと面白いでしょ
不謹慎ですけど

なんとか面白いポイントを
見つけていかないと
ヤバいんですよ

で、周りを見回したら
デカいお年寄りが一杯いて

デカいお年寄りって
なんか面白いんですよ

なんとか耐えて
通夜が終わりまして

みんなで食事をしていたら
興味深い話を聞いたんですね。

さっきね、
僕とイトコの兄ちゃんだけ
東京に住んでいるって書きましたけど

兄ちゃんは
亡くなった当日に東京から
大阪に向かったらしいんですね。

到着する前に
亡くなってしまったらしくて

大阪に着いて
祖父母の家に入ったら

祖父の弟が
ベランダでタバコを
吸っていたらしいんですね。

祖父の弟ももちろんデカくて
見た目も祖父に似ているんですよ。

兄ちゃんが帰ってきて
その姿を見た瞬間に
めちゃくちゃ驚いたらしいんですね。

多分ですよ
兄ちゃんとしては
祖父がまだ生きている間に会いに行こうと
新幹線に乗り込んで

大阪に向かっていたら
祖父が亡くなったと知らせを受けて

そうかぁ
と感傷的になっていて

いざ着いて
家に入ったら

うわぁ、おじいちゃんタバコ吸ってる!!!
ってなったんだと思うんですよ。

ちょっと面白いでしょこの話

こういうね、
おもしろポイントを
探すことで
この日は乗り切りまして

次の日に告別式です。

父も来てまして
久しぶりに会って話しましたね。

いよいよかぁ
とソワソワしていたら
式がはじまりまして

父の弟、つまり僕の叔父さん家族も
来てくれていたんですけど

僕のイトコで
僕にとって初めて出来た妹のような存在の子も
来ていたんですね。

妹の前で泣くわけにはいかんなぁ
と思いながら
神妙な面持ちで過ごしていたんですけど

人間の構造って不思議なもんですね

式の途中でね
中島みゆきさんの『糸』が流れたんですね。
生演奏で

その瞬間が爆発の合図でしたね

音楽の力ってすごいもんでね

僕は祖父がその曲を好きなことを
知らなかったですし
もしかしたらそこまで好きな曲では
ないのかもしれないですし

僕と祖父の関係において
なんの思い入れもない曲なんですけど
なんかね
止めどなく涙が溢れてきたんですよ。

あんなに泣かないでおこうって
決めたはずなのに

周りを見回すと
みんな泣いているんですよ。

祖母も母も伯母も
祖父のきょうだいも

僕その時にね
思ったんですよ



祖父ってね

祖父だと思っていたんですけど

祖父では無いんですよ。



僕が祖父だと思っていた人は

夫であり父であり

兄であり弟であり

義父であり祖父なんですよ。

同じように祖母は妻で

母は娘なんですよ。


でもね、ただ1つ確かなのは

祖父は

僕の4分の1なんですよ。

祖父は僕の4分の1で
僕は祖父の4分の1です。

祖父が
お酒を飲むのが好きなのも

タバコを吸うのが好きなのも

絵を見たり描いたりするのが好きなのも

みんなで話をしながら
ご飯を食べるのが好きなのも

ちょっと口が悪いのも

ダジャレが好きなのも

短気なのも頑固なのも

全部全部
僕の4分の1なんですよ。

だからね、
誰かが亡くなってからも
自分の心の中には生きている
っていう考え方とかって
あると思うんですけど

そうじゃなくて

僕が生きていく
ということそのものが

祖父の4分の1が
生きている
ということなんだと思うんですよ。

だから僕は
これからも祖父の4分の1として

これからも最高の祖父と
最高の孫の関係でいられるように
過ごしていこうと思います。

とりあえず
今までありがとう
と言わせてください。



ここまで読んでくださった皆様
ありがとうございました。

今回の記事の写真は
かなり昔
祖父に抱かれている僕です。



ではまた明日

今後もどんどん楽しく面白い記事書けるよう頑張ります! よければサポートお願いします😊