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絵の師とわたし。

私が教室を主宰する根底にあるもの


私には、今の私が在るようになるきっかけとなった人生の師が3人いる。(今日は1人目の師についてお話を。)

1人目の先生が、
私がこの道を歩むきっかけになった重大な人。人生の転機となった人。
18歳の時に地元長崎・佐世保で出会った、造形作家の大石博先生。出会った当時、先生は53歳。
後に、私が大学で美術・デザインを学ぶことができるようになる。そこまでの導きをくださった方。大学に行けたから、それ以降デザインの仕事に就く事が出来、今まで続けて来れたと思っている。

18歳当時の私は、国立の理系の学校で学ぶも超燻った日々。
本来は、幼少期から絵を描くこと、造形することはとても大好きだった。
ただ、家庭事情から本当は行きたかった美術大学もデザイン専門学校への道も諦め、真面目に勉強して理系企業に就職しようと勉強をしていた。
15歳からひたすら理系の勉強だけしてたら、うんざりしてきて、向いてないなと思う事も多々。周りに優秀な人、地頭が良い人が多いという環境は、本当刺激になっていたけど。どこか退屈で授業以外を楽しむ日々となっていた(部活とかバイトとか)。

17歳、哲学を知り勉強していたら、ますます私の人生はこれでいいんだろうかという自問自答の日々。とにかく理系の勉強をするのが嫌になっていっていた。

国立の学校だったから、国立の大学に編入学する人も多い学校で。
もしかしたら美術系学部がある大学に編入できるからもしれない。という情報をどこからともなく仕入れて。それを目指して絵を学び始めたいと燃え出した。

そこで、佐世保で絵が凄い人といえば、大石博先生。
というところから、先生のアトリエのドアをノックすることとなった。

先生は、いつも冗談を言っておどけていて、全然怖い感じではなく、とても大きく温かな人だった。子ども想い、人想いで、人望厚く、様々な人が集っていた。
アトリエでは、先生が制作している側で、ひたすら私は石膏デッサンをする。
先生は油絵具やアクリル絵具で絵を描いている時もあるし、木を掘って造形している時もある。電動工具で切ったり穴を空けたり、溶接している時もあったし、本の表紙を描いたりしている時もあった。


一緒におやつを食べてお茶したり、先生の海外放浪旅のエピソード、ヨーロッパ(パリ、スペイン、イタリアなど)で過ごした時のアートの話を聞かせてもらうのがとても刺激的で楽しかった。
アトリエでは、そんな先生の仕事ぶりや姿勢が常に目に入ってくる環境だった。

先生のアトリエに通い続けて、土日は朝から夜まで1日12時間とかデッサンしていた。美術大学に入れるレベルになるには、デッサンは避けて通れない。

見たままに描きなさいと言われ、ひたすら描く。
描いたものを見せると、普段はふざけておどけてるのに、急に眼光鋭くなり、線の入れ方、面の取り方、光や影について厳しく指摘してくれた。
上手くなるには、ただひたすら描くしかない。
「何枚も描いていると、とある瞬間に違う次元に上がれるときが来る。」と言われて。その意味が始め分からなかったけど、ほんとある時、違う次元に行けたという瞬間が訪れた。自分でもそれが分かって衝撃だった。

先生は自身のアトリエで制作しながら、曜日ごとに違う場所で教室を開催されていた。
子ども向けの児童画教室、大人向けの絵画教室と。先生が教室開催される場所へはどこでも出かけて行っていた。週4回は先生の元へ通っていた。

児童画教室では、子どもたちはみんなのびのび、楽しくおしゃべりしながら、体を動かしながら作品を作っていた。
先生は子どもたちに対しては自由に描きなさい。とニコニコと笑って見守っていた。
「出来たー!」と子どもが作品を見せにくると「かっこいいものできたねー!」と褒めていた。そして最後の仕上げでこうするとよりかっこいいよーと一筆。パリッと絵が立ってくる方法を教えてくれた。尊重してくれるから、子どもたちみんな先生が好きだった。

児童画教室の作品展の写真より


先生は、大人の価値観で子どもたちを押さえ込むという思想は嫌っていたし、芽を摘む行為なんてもっての外という考え。形を捉えるのが上手いだけで絵が上手というわけではないし、形を何かを描かなくてはいけないわけでは無いとも言っていた。
なのでそんな思想に反する大人がいたら、真っ向から戦っていた。その姿はかっこよかった。
そもそも先生のアトリエに集う大人たち、教室に通う子どもの保護者はそれに理解がある方ばかりだった。


技術だけでなく、人間としての思想や、アート思考や、たくさんのことを教えてもらった。
その時その時もらった言葉が、今でも心の中で生きているし、造形する時、デザインする時、常にその言葉が出てくる。
今振り返っても、あの学生時代約2年、アトリエや教室に通っていた時間は、とても豊かな時間だったなと思う。私の一部が形成された時期だったなと。

私自身も今、教室を主宰しているのは、子どもたちのクリエイティブの可能性を伸ばしてあげたいなということは大前提である。それに加えて、近くにそんな大人がいたら、姿を見せてあげたら、何か技術以外に感じてもらえるものがあるかもしれないなと。
それに、道に迷っている子がいたら、少しだけでも後押しできるかもしれないな思っていて。

iPadfun!の教室では、学校教育的な教え方もしないし、押さえつける事もしない。みんな自由にのびのび描こう。興味のあることを伸ばそう。みんな違うのが当たり前だからね。自分の作風を見つけていこう。それぞれにリスペクトを。という話をよくする。
通ってくれる子たちは、みんなこの場にくるのをワイワイ楽しんでもらえているようで嬉しい。
何よりみんな絵が好きな子達が集まるから、私自身も子どもの作品を見られるのが楽しい。
子どもの作品ってほんと素晴らしいなぁと毎回刺激をもらっている。

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話が飛んだが、そんなこんなで、デッサンは上達して、大学の編入学試験も無事に合格して、大学生活が始まった。
大学の美術工芸では、濃い人たち大集合で、そこで出会った仲間たちは今でも私に大きく影響を及ぼしていて。そもそも大石先生が居なかったら大学へ行けなかっただろうし、今の私は無いなと思う。

社会人になってからも、佐世保に行く際は、先生に会いに行っていた。
そして先生はいつも私の心身を気にかけてくれていた。


そんな先生が昨年11月末に、雲の上にアトリエの拠点を移していた。

1周忌で遺作展なんて、野暮だなと言ってその辺で文句言ってそうな気がするけど。
慕う様々な年代の人たちが、東京、福岡、長崎、様々な場所から、集まってた。

私自身、受け止めたくない気持ちもあったけど。これまで先生が制作してきた作品100点以上は、どれも先生の時間が命が刻み込まれていて、時代時代の位相を感じられて。



んー先生の写真直視できない。涙が出てくるな。




過去の作家、仙厓和尚もモチーフにして描いていた、まるさんかくしかく「○△⬜︎」

その仙厓作品に、スペインの画家ジョアン・ミロにも影響を与えた、まるさんかくしかく。


バルセロナ ミロ美術館

晩年の先生の作品が、まるさんかくしかくで、
かっこ良すぎて震えた。
晩年まで描き続けるエネルギーって、大人になったからこそ、より凄みを感じる。

大石博


去年私はスペイン行って、ミロ、ピカソ、ガウディをたくさん観てきていて。
先生も過去にスペインも行ってたそうで、その話して同じ話題で盛り上がりたかったなぁと。

私自身ここ数年、仙涯→ミロの影響と作風の変化を研究して掘っていたのだけど。どちらも好きなアーティストで、ここで大石博に繋がる?!という何か不思議なシンパシー。


海の造形作家 大石博展
●2023年12月20日〜27日(水)  (※26日休館日)
●場所:佐世保市博物館島瀬美術センター



そんな今朝、夢で見た景色。
サンタが訪れたかもしれない。

まるさんかくしかく


わたしの絵の師からもらったたくさんのこと、
次にどれだけ渡せるか分からないけど。

これからもiPadfun!の教室、楽しみながら頑張ります!

来年はデジタルだけでなく、造形や、レクレーション的なワークショップできればいいなぁとふんわり考えています。子どもたちの作品展もしたいなぁ。

今年1年ありがとうございました!
来年もよろしくお願いいたします!!!

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