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「私は娘が羨ましいのかもしれない」と気づいた出来事

「お母さんが小さい時はもっと我慢してたで!」

自分の口から思わず出た言葉に、ハッとした。


弟といつも容赦なく喧嘩をする7歳娘。
感情を隠さず、4歳の弟に対して「同じ年なんかよ」というほどの喧嘩っぷり。それを注意すると「弟ばっかりずるい。私ばっかり怒られる」と言ってきた娘に、思わず冒頭のセリフが出た。


私は小さい頃、「お姉ちゃんやろ」と言われてることが多かったように記憶している。それが嫌だったことも覚えている。
母は3兄弟の1番下、兄が2人という生粋の末っ子気質だったので、『上が我慢するもの』とナチュラルに思っているような人。愛情はたっぷりだったので、私は特にそれを重く捉えていた訳でもないのだが、嫌は嫌だった。

なので、私は娘に「お姉ちゃんやろ」という言葉は絶対言わないと決めている。

そして、下記記事にも書いたように、私は弟が進行性の難病で小学1年生の時に骨髄移植のドナーになった。


母親は弟と一緒に付き添い入院をして、私は1年生の1学期間だけ父親の妹さんのお家にお邪魔させてもらった。

小学校もその間、3ヶ月くらいだけ違う学校に転校した。

父親は毎日ではないが、顔を出してくれてはいたし、おばさんも同じく小学生だった従妹たちもみんな優しかった。それでも、新しい環境で不安だったことは間違いない。

寂しさももちろんあったが、それを言ってはいけない、と思っていた。
弟が第一になるのは当たり前。なんせ、命がかかっているのだ。
私がわがままを言って迷惑をかけてはいけない。私はお姉ちゃんだから。
大好きな弟のために、我慢しなきゃいけない。

寂しくて泣きたい時は、おばさんの家のトイレで、誰にもばれないようにこっそり泣いていた。


この経験から、今私が色んなことを我慢してしまう性格になっているかというと、そんなことは全然ない。我慢が美学だなんてこれっぽっちも思っていない。嫌なら我慢する必要なんてない。何かのせいで自分がしんどくなっていると感じても、結局は自分がそれを選択しているだけで、何でも自分次第だという考え方。

人に迷惑をかけたくない、自分で何とかしようと思いがちなのは、この辺からつながっている気がするがそれを悪いことだとは思わない。

だから、誰に対しても負の感情を持ってはいない。私の両親も、周りの大人もその時できることをしてくれたし、愛情もきちんと感じていたから。

それなのに。

冒頭のセリフを娘に向けてしまったのだ。そして、気づいた。

小学1年生の私は、本当は寂しかったんだ。

お姉ちゃんだからと言って我慢することなく、弟とやり合う娘。感情をため込まず、随時発散して言いたいことを言う娘を見ていると「あの時、私はあんなにも我慢していたのに」という感情が芽生えてしまった。

娘に母親の過去を重ねて叱られても、娘からしたら知ったこっちゃない話だ。情けない。
思わず出た自分の発言で、私も娘のようにしたかったのか、と自分に隠れていた気持ちに気づいた。


「家族と離れて寂しくて不安やんね。お姉ちゃんだからって我慢しなくて良いんだよ。寂しい時は寂しいって言えば良いんだよ」

できることなら、当時の私にそう伝えて、抱きしめてあげたい。


子育てをしていると、子どもに子どもの頃の自分自身を重ねてしまうことがある。
投影して、何かを求めるのは違う。娘は娘、私は私。

子どもは子どもの人生を生きている。違う人格者なのだということを、忘れずにいなくてはいけない。自分が我慢したから、あなたも我慢してなんて、呪いでしかない。

自分の中の傷に気づいたのであれば、それは私のもの。遅すぎるなんてことはない。きちんと受け止めて、癒してあげたいと思う。

娘よ、意味不明な怒り方をしてしまってごめん。娘は娘で色々思うこともあるだろう。気づかせてくれてありがとう。本人はそんなつもりもなく、ありのまま生きているだけなんだけど。

私は、そんな娘が羨ましかったのだ。

娘に小学生の私が重なり、小さい私の声が聞こえた気がした。



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