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娘が学童で何度もお手紙を書いてきてくれる

小学校2年生の娘の話。

今、小学校は夏休み。私はワーキングマザーなので学校の学童を利用している。このコロナ禍でなるべく行く日を少なくしてはいるのだが、夫も私も出社でどうしようもない時は行ってもらっている。

娘は学童へ行くことは“楽しいこと”と思っている様子。お友達と色んなカードゲームをしたり、外で自由に遊んだりしてのびのび過ごしているようだ。

そんな中、学童で娘は私にお手紙を書いてきてくれる。しかも、何回も。

帰宅してすぐ「お母さんに渡したいものがあるねん」とニコニコ嬉しそう。

手紙の内容を少し抜粋したい。(娘よ、勝手にごめんね)

おかあさんへ だいすきだよ。きょうは中でぬりえをしています。あとおりがみもしました。きょうもたのしいよ♡ごはんおいしいよ♡いつも外であそんでるけど、きょうはあついからそとにでれませんでした。でもたのしかったです。たまには中であそんでもよいなとおもいました。かいしゃがんばってね。 ●●●より

上記のようなお手紙。「嬉しいな、ありがとう!」と言いつつ、注目すべきは太字部分。ここが突然の赤字になっていたのだ。

そしてまた別の日の手紙。

いつもいっしょにあそんでくれてありがとう。きょうはそとであそべました。がくどうたのしいよ♡

こちらもまたもや、太字部分が赤字になっていた。思わず笑ってしまう。外遊びが大好きな娘にとって、外で遊べるかどうかはよほど重要事項なんだろう。子どもって本当に可愛くて面白い。

「お手紙ってみんなで一緒に書いてるん?」と聞くと、「ううん、●●●(娘の名前)だけ。書きたいから書いてる」との返事。

みんな遊んでいる中、お母さんにお手紙を書きたいなと思ってくれるなんて、本当にありがたいなとじーんときた。「ありがとう」とぎゅーっとしたら嬉しそうにしていた。

よく、親から子どもへの愛は無償の愛だと聞く。
私は子育てをしていて、子どもから親への愛情こそ無償の愛だ、と感じることが非常に多い。

私は鬼ババのように怒る時もあるし、親都合で急かしたりしてしまってる時もある。決して慈悲深いほんわか優しいマザーではない。もっと言えば“叱る”と“怒る”の違いとか、まじでどっちでも良いと思っている。人間なんだから、喜怒哀楽はあって当然。それを親が子どもに見せることは別に悪いことじゃないやろ、という考え。(度を越えてなければ)

けど根っこの部分で、子どもから親への無償の愛の上に胡座をかくような親にはならないようにしなくてはいけない、と思っている。私と子どもは別人格。無償の愛を良いことに、子どもを支配するなんてことはあってはいけない。

「お母さん抱っこして!」「ぎゅーして!」と毎日順番を争い喧嘩している、うちの姉弟。「お母さん大好き!」と臆面なく伝えてきてくれるその言葉。私がどんな人間であるかなんて関係ない。“お母さん”というその存在に対して、まっすぐな気持ちで愛を伝えてきてくれる。いつまでも続かないことだとはわかっているが、本当に嬉しくてありがたい。

これから反抗期もあるだろう。色んな辛い問題だって出てくるかもしれない。そんな時は、無償の愛をまっすぐに伝えてきてくれるこの毎日を忘れなければ、きっと乗り越えていける。

お手紙をたくさんくれるのだが、正直私があまりお返事を書けていない。あかん、この愛情に胡坐をかきそうになってる。

そうだ、と思いついた。

娘と交換日記をしよう。

「お母さんと交換日記しようか。順番っこでノートにお手紙を書いていくやつ」

娘は「何それ、良いね!やりたい!」と顔を輝かせていた。

今度のお休みに交換日記用のノートを一緒に買いに行く約束をした。もっと娘の色んな面が見れるかもしれないと思うと、楽しみだ。

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