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「この人とは合いそう」と感じる瞬間って

「あ、この人合うな」

そう感じるきっかけって、どんな瞬間だろうか。

今も付き合いが続いている友達。学生時代にクラスやサークルが同じだったりと、同一のコミュニティに属し一緒に過ごしている中で、自然と仲良くなったパターンが多い。

ずっとつながっているのは、高校時代以降の友人がほとんど。小中学時代は引っ越しをしている上、携帯なんてものはない時代。そして地元仲間と積極的に集まろうぜ!みたいなタイプではないので、同じ小中学で今も遊ぶ友人はほぼいない(1人くらい?)。

自分というものがほぼ確立される(持論)18歳くらい以降でできた友人の方が、よりつながりが深いような気がしている(私の場合)。


社会人になってからできた友人も、それに当てはまる。


そういえば新卒入社した会社で、ほぼ初対面で「この人合いそう」と感じた瞬間があった。

(↓その頃のことについて書いた記事)


1社目の会社は、ネット求人広告の会社だった。会社も伸び盛りだったので、イケイケどんどん若い人が多く活気に満ち溢れていた。
目立ちたい!賞賛されたい!というメンタリティの人が多めで、どう考えても社風にマッチしているとは言い難かった私。

私は例えば席を選ぶなら、端っこに座りたい人。人前で話すのは苦手で、目立つのは嫌い。できるだけ隠れてコソコソしたい。


けど、能動的な性質で少人数でのコミュニケーション(1対1~3くらいまでの商談など)は得意だったので、営業成績はすこぶる良かった。

営業職は数字が全て。成績が良かった私はマイペースでいても居場所はあったのだが、「社風、全然あってないよな」と常々感じていた。

同期も個性の塊みたいな、バラエティ豊かな面々が揃っていた。

性格的には合わない人もいたが、厳しい環境下で共に頑張る戦友のような仲間たち。色々と追い詰められ、その人の本質みたいなものが垣間見えることが多かったように思う。

夜遅くまで働き、しょっちゅう飲みに行ってストレスを発散させながら、日々奮闘していた。そんな同期たちも転職したり、東京へ行ったメンバーも多く、今も連絡をとって定期的に会うのは2人だけ。

その2人との出会いは、内定者時代にまでさかのぼる。

大学4回生の頃、会社のイベントにお手伝いに駆り出された。勢いのある会社の内定者は、同じように勢いがあった。

みんなハキハキしていて、前へ前へ。テキパキと動く同期たちを見て、内心「すげぇな」とビビっていた私。何やらできるオーラをビンビン醸し出す同期たちに、恐れおののいていた。

イベント最後あたりで、先輩社員さんが「〇〇できる人~?誰かやってくれないかな」みたいな感じで、内定者たちに呼びかけた瞬間があった。

その場には確か内定者たちが15人くらいはいたように記憶している。

その15人のうち、なんとほとんどの同期が「はい!」と一歩前へ出た。恐るべき積極性。

あまりにも全員前へ出るので、私は一歩後ろへ下がった(え)。


そして左右を見ると、同じように後ろへ下がった女子が2人。

はい、これが今も仲良くしている同期2人です。

この2人と目があった瞬間、「あ、この人たちとは合うな」と確信した。そして、3人で咄嗟に苦笑いをしたことを今も鮮明に覚えている。

その後、飲み会が開催されたので参加し、3人で連絡先を交換。勤務地は一緒だったのだが、部署や職種は異なっていた。しんどくなったら3人で声を掛け合って非常階段に集い、コソコソ話して心癒していた(完全なる就業時間外に)。

このメンバーは今も全員関西にいるので、定期的に会う。全員母親になっているのだが、会う度話は尽きず、しゃべりすぎて声が枯れるほど。

初対面の印象で、「合う」と感じた感覚は大正解だった。
前に出ずに一歩下がったからこそ、つながったご縁。


なんだか合うよなぁ、と感じる友との出会いは人生を豊かにする。
無理に探すのではなく、なるべく自然体で人と接すること。それこそが、そんな出会いを引き寄せる近道なような気がしている。


後、“書くこと”は自分の内面と向き合う作業なので、このnoteは自分の頭の中をかなりさらけ出している。冷静に考えたら恥ずかしいくらい。

なので、noteで「この方の文章好きやなぁ」「この感覚めっちゃわかるなぁ」と感じる方々とは、実生活でも絶対に“合う”んやろなぁと勝手に思っている。それはもう一方的に(怖)。この感覚はきっと当たっているはず(だから怖)。

文章でしか繋がっていなくても、文章で繋がっているからこそ、そう思うのかもしれない。

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