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レースに参加しないという選択肢

競争のない社会は停滞するとされているが、実際は競争しても停滞したり、衰退したりする。要するに競争していれば停滞しないと断言することはできないのに、競争していないと停滞してしまうかもしれないと考えて、時に我々は競争している節があるのではないだろうか。

考えてみれば生まれた時から様々な競争が我々を取り巻いていて、時には理不尽にさえ思えてしまうくらいだ。身長、成績、クラブ活動、塾のクラスのランク、恋人の有無 etc...。ようやく学生生活が終わると、会社の中での業績、肩書き、住んでいる部屋の面積、ボーナスの額、コネ、カードの色、ホテルの会員権、スーツの値段 etc...。結婚すると、子供の学校、成績、身長、etc...。

話を続ける前に、コレを書いている僕の考えを先に述べておく。僕は競争しても、しなくてもいい という非常にマイルドな意見を持っている。なので続く文章もマイルドであることを約束する。僕はプライベートなもの以外は何事においても大抵中立的な立場をとって来たからだ。

マイルドで思い出したがコーヒの話題で、ハンドドリップ派か、エスプレッソマシン派か、と聞かれると、「どちらでもいいと思います」と伝える。「どちらでもいい」なんていう考えの人間はあまり相手にしてもらえない。けれど実はそれでいい。僕は意見を述べても述べなくてもいいので、決して「相手にしてもらえなかった」とか思って悲しむことはない。僕は家に帰ればどちらも持っているからだ。もちろん、自分が満足できる程度の知識と技術は備わってもいるし、どちらで作るコーヒーも好きだ。ちなみにちゃんと、自分の意見を述べることも好きだ

僕は今現在、長時間自宅で仕事をしている。そんな僕の自宅は他人と競争にならない家だ。気に入って暮らし始めて10年になるが、近所に僕の家のような変わった建物はない。だからタワーマンションに暮らす人がもし自分の自宅と僕の自宅を比べようとしても比べることができない。何を比べればいいのかきっとわからないだろう。ちなみに信じられないくらいの長時間に渡り、外で仕事をしていることもある。だから中でも外でも僕はどちらでもいい。もちろん、長時間自宅にいると言ったが、自宅の横にある会社の仕事場でもいい。

僕の仕事も、実は競争できない。僕は複数人でやらなくては成り立たない仕事を長年一人でこなしてきた。だから例えば同業他社が僕の会社と自分の会社の売り上げを比べようとしたって比べられない。比べるにしたって前提条件が揃わないからだ。そして、僕の仕事を一人でやっている、という人に出会ったことがない。だから競争せずに長年やってこれた。しかしそんなことをそもそも可能にするためには、一応競争力が備わっているのかもしれない。これはどちらでもいい。本気で仕事をしている自分自身には変わりがないからだ。

僕は車が好きで二台所有しているが、他人のエゴも、経済力も、僕の車とは競争できない。二台ともカテゴリー的に何とも競争にならない。他に同じ車もしくは同じカテゴリーの車を所有している人に会わないのだ。だから希少性で競えばいいのか、0-100km/hまでの加速に何秒かかるかで競えばいいのか、他人からはわからないと言われる。最もそれまでに僕がそもそも他人の車と競おうとしていない人間だと察してもらえるのであまりその方向に会話も発展しないのだが。

このようにして僕は基本的に競争できない仕組みの中に自分を置いて暮らしてきた。とりあえず何一つ不自由に思ったことはない。結婚もしているし、息子も二人いる。家族にひもじい思いもさせていないし、周りから非難されるような派手なこともしていない。ただポリシーの有無を聞かれると、僕はレースに参加してこなかったということを挙げることができる。

レースに参加せずとも、自分の思うように発展し、世の中の役に立つことができるかどうか。その探求は競争者を必要としないようなので、助かっている。





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