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天才が去ったのなら

僕がアメリカの大学にいた頃随分と苦労したのは作文を書く授業で、これはEnglish 101と呼ばれる向こうの国語にあたる授業なのですが 、僕はこの簡単な授業をおそらく2回落第していて、その次の普通の人なら難しくもなんともない English 102 は4回落第したのですが、こちらは学生生活の中で遂に合格することがありませんでした。理由は作文を期限内に書き上げることが一度も出来なかったからです。

例えば作文のテーマが「アメリカの原住民」だったら、「リザベーション」とアメリカで呼ばれる、ネイティブアメリカンの居住区を取材に訪れて話を聞いたり、一緒に時間を過ごしたり、歴史を調べたりするのですが、それが期限内に紙に落とし込めないという不思議な現象に常に悩まされ、絶対に書き上げられないので教員たちにもクラスメートたちにも不思議がられていました。近くの席の女の子が作文が終わったら一緒にカフェでコーヒーを飲みましょうと誘ってくれて「これを書き終えたら行くよ」と言っても、そもそも僕は書き終われないので「あなたを2時間待ったけど来なかったから帰った」と怒っていたりしていましたが、どういうわけか、僕はそれくらい筆が進みませんでした。今でも覚えていますが「 When I (私が・・・・の時)」という出だしから、何も進まず夕方になって、暖炉に火をくべると、薪が燃え尽きてもまだ一語も増えていませんでした。

(まるで映画・”The Longest Week”の主人公状態 )


おそらくそういう経緯もあって僕はアメリカの演劇の世界をとても居心地の良い場所に感じていました。国籍に関係無く台本を読んだらオーディションに受かるフェアな仕組みから、セリフを覚えて人やカメラの前で話せばいいというプロセスが当時の作文と比べると自分にとって恐ろしくスムーズな作業であることに救いを見出して、気がついたら3年半ずっと大勢の人の前で物語を披露する生活ができたので、自分は日本で仕事をするとなれば絶対にあの忌々しいEnglish 101のような永遠に始められなかったり終わらせられないものではなく、アメリカでの演劇のようにいつでも必ず自分がスムーズに作業を進められるものを仕事にしようと心に決めていました。

(統計的にお金持ちの役が多かった)


皮肉なことに、帰国後すぐに僕は中堅出版社に入社したので、作文のクラスに落第し続けていたのに仕事は出版社 (多分English102レベルを4回落第して出版社に入社することは稀)、そして随分熱心にアメリカでやってきた演劇でしたが、日本での俳優活動はたったの1年ほどしか続けられませんでした。なので日本に帰って来てからの僕はこれをダブルの意味でとても皮肉なことだなと思っていました。
しかしながら実は今はこう考えています: あれは筆を進めることが全く出来なかった僕が文章が書けるようになったから、もはや僕に演劇が必要なくなった、という捉え方が正しいのではないか、と。


エリザベス・ギルバートは映画にもなった「食べて、祈って、恋をして」の原作を自伝的に書き上げた作家ですが、彼女は「天才」とはその人そのものが天才であるのではなく、「その人に一時的に天才(genius)が"宿っている"状態」だと考えるのが妥当だと言っています。これに関しては彼女はギリシャ哲学からその考えを拾い上げているので、「(天才が)宿っている」という概念そのものは古くから存在しており、現在我々がいわゆる天才と言う時の「天才」の捉え方はルネサンス期にミケランジェロやダヴィンチなどの芸術家である人自身を人々が天才と呼び始めたことによって変化し、その後現在使われるような定義へと定着していったと述べています。

( Elizabeth Gilbert by Barry Sutton )

天才を、自分の側(そば)にどこかからやって来るものとして捉えると、それがしばらく経ったら浮遊してどこかへ去って行くものだと捉えることもまた可能です。

僕たちは自分がどのように生きるべきか、どういったことが得意で、自分という一人の人間も、この様にして世の中で誰かの役に立つことができるのだ、ということを自覚しなくてはいけない時、きっと「天才」が傍ら(かたわら)に必要なのでしょう。でもそれが解れば ー 天才がもはや自分と共にいなくとも ー、普通に暮らしていくことが出来そうです。


しかし当時の僕はそう捉えていなかったこともあり、長年、ほんのいっとき傍らにいた「あの天才」を思い出しては悩むことが多々ありました。「普通の」仕事をしていても仕事の人たちから「あなたは絶対俳優ですよね?」と言われ、昔の僕が役を演じる姿を観てくれていた人たちからは「あなたは俳優だ。続けたほうがいい」と言ってもらい、日本の俳優たちからは「あなたは日本に実績がない。まだ俳優ではない」と、少なくとも今に至るまでこれを300回以上言われて来たのでその中で軽いアイデンティティークライシスを経験し、僕は一体誰と話せばこの問題から抜け出せるのだろう?あるいは一切話さなければいいのだろうか?と、先に書いたような答えに辿り着くのにかなりの時間がかかりました。


僕たちは皆、きっとこれからも人生の節目節目で「天才」に力を借りて飛躍することがあるかもしれません。今まさに「天才」が自分の側にいる、という人もいらっしゃるかも知れません。
でもそうでない時、つまり天才が傍らにいない時は、僕たちは何も心配せずに資格の勉強なり、料理なり、雪掻きや商談やデザイン、掃除に政治に、子供の世話をしていればいいのだと思います。普通に働いていればいい。普通の人として会社に勤めたり経営したり、ごくごく普通に暮らしていればいい。

そしてもしその先で行き詰まったら、またきっとふらっとやって来る別の「天才」に出会えるのでしょう。そう考えたら、随分と気持ちが軽やかになりました。


文・西澤 伊織




(西澤家の「普通の暮らし」の中の日常)




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