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カルタフィルスの話

カルタフィルスの話をしようと思う。

もしも老いることなく、死ぬことなく、何千年ものあいだ地上をさまよい続けているのだと語る人に出会ったとして。おそらく、たいていの人は気が狂ったと疑うか、笑い飛ばすか、呆れるだろうけれど、きっと、私なら信じてしまうと思う。
もともと呑気な性格だから、というのもあるけれど、そういう「たち」なのだからしょうがない。いつも目で見ていることと空想が入り混じっていて、現実を上手くとらえきれずにいるのだ。でも、現実なんて靴下の裏表みたいに簡単にひっくり返ってしまう(それについては、またどこかで詳しく話すとして)ことも知っている。
 
でも、この人物については、あながち夢物語ともいえない。
その人の名は、さまよえるユダヤ人という。正常な人には信じられないかもしれないが、彼は昔から世界中で目撃されており、今もどこかで生きているのだ(と、私は信じている)。

”The Wandering Jew, from "The Complete Works of Béranger"” . 1836, The Metropolitan Museum of Art

彼について書かれた最古の記録は、イギリスの古都セント・オルバンズ修道院の修道士ロジャー・ド・ウェンドヴァ―(1236年没)が残したラテン語の記録のなかにある。弟子のマシュー・パリスが転写したものが大英博物館に保存されていて、ここにローマのユダヤ人総督ポンテオ・ピラトの門番カルタフィルスという男が登場する(カルタフィルスはヤマザキコレ原作の『魔法使いの嫁』にも登場する。素晴らしくおもしろい漫画です)。

聖書には、このユダヤ人(というのはカルタフィルスのこと)はゴルゴダの丘へと自らの十字架を背負い歩くイエスを「早く歩け」と罵ったために、最後の審判の日まで放浪を続ける運命を背負わされることになった、とある。
放浪は何百年も、何千年もつづいた。
神の意志を授けられ、幸か不幸か死ねない体となった放浪者は百年ごとに難病に倒れ、でも死なせてもらえないので、健康になるとふたたびイエスを侮辱した時の30歳の若さに戻るのだという。

 彼はユダヤ人の靴屋だった、という説もある。
刑場へ向かう十字架を背負ったイエスはユダヤ人の靴屋につかの間の休息を求める。ところが断られ、厳しい口調で「私が再び戻るまで安らぐいとまもなく地球をさまようがいい」と告げたという。このユダヤ人は後に洗礼をうけてヨセフと名を変え、アルメニアや東方の国に住んだと伝えられる。

 ほんとうのところは誰にも分からない。
ただ、これがよく知られる「さまよえるユダヤ人」の伝説のあらましだ。この不思議な伝承は近世から近代にかけてヨーロッパ各地に広がり、1602年に再び文献に登場する。(つづきます)


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