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カルタフィルスの目撃情報

カルタフィルスは実在する(と信じるには創作じみている)目撃情報をいくつか紹介しようと思う。

”The Wandering Jew, from "The Songs of Béranger"” . 1829, The Metropolitan Museum of Art

記録を信じるなら、シュレースヴィッヒの司教パウロ・エッツェンなる人物が1542年にハンブルクでアハスエールス(仏語ならアースヴェリス)なる人物に出合い、身の上話を聞いている。この8ページほどの小冊子がフランスで翻訳されるやいなや、私も見た、じつは自分も、と、ヨーロッパ各地で謎の男の目撃話が流れるようになった。
 
それから、1547年にハンブルクの教会でユダヤ人を目にしたという司教パウル・フォン・アイツェンの話。50歳くらいに見えたその男は、説教壇のすぐ前で司祭の話を熱心に聞いていた。長靴下、腰帯のついた足もとまで届く上着。みすぼらしい服を着て、冬だというのに裸足の、その男の名はアハスエールスといった。職業は靴屋。靴屋なのに自分の靴も履かせてもらえない悲しい男。

話を聞けば、アハスエールスはイエスの磔刑の場に居合わせ、それから今日までずっと、生きているという。アハスエールスはほんの少しだけ食べ、金銭の施しは貧しい人びとへ分け与えた。ささやかなもので満足しているという証拠を示すみたいに、あるいは、かつて犯した罪を悔いているみたいに。
 
べつの証言では、1566年にハンブルグでも目撃されている。1604年にはパリ、1616年にバルト海沿岸のリヴォー、同じ年にポーランドとモスクワでも姿が記録されている。1642年はライプツィヒにいたし、1658年の聖霊降臨日にはスタンフォードに住むサミュエル・ウォリスなる男の家を訪ねている。

その日、家で本を読んでいたサミュエルはドアを叩く音が聞こえて戸を開けた。そこには背が高く礼儀正しい、威厳のある老人が立っていて、一杯のビールを恵んでくれないかと頼んできた。ビールを与えると、老人はお礼に肺を患っているサミュエルのために簡単な処方を教えてくれたという。サミュエルの話によれば、老人は紫色の上着とズボンを身につけ、ひげと髪は白く、手には白い杖を持っていたという。その日は朝から晩まで雨が降っていたのに、老人の服にはシミひとつなかった。
 
1721年、カルタフィルスはミュンヘンにいた。
目撃されたユダヤ人は使徒たち全員を覚えていて、それぞれの服装や癖まで説明してみせた。ネロがローマを焼いたことも覚えていたし、十字軍の歴史にも詳しかった。カルタフィルスは世界中をくまなく旅し、多くの言語を話し、病人を癒す力を持っていた。1818年にはロンドンに現れている。

こうして少しずつ時代が近づいてくると、カルタフィルスもこちらへ向かってきているようで、ぞくぞくする。足音まで聞こえてきそう。なんというか、実によくできた伝説なのだ。(つづきます)


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