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ブレヒト『ガリレオの生涯』

ときは一六〇九年のこと、
パドヴァの小さな家から
知識の明るい光が輝きだした、
ガリレオ・ガリレイが計算したのだ、
太陽ではなく、地球が動いているのだ、と。

最初のページのこの文言を見た瞬間から読み終わる今までずっと、ワクワクしっぱなしで読んでいました。人類の歴史のもっとも面白いプロセスを読みました。

『ガリレオの生涯』は、20世紀のドイツの劇作家ブレヒトが書きました。
舞台は17世紀のイタリア、ガリレオ・ガリレイの生涯についてのストーリーですが、科学者と権力というテーマを描いていて、
ブレヒトの生きた時代の、アメリカが広島・長崎に落とした原爆(科学者の責任)といった問題も深く関わっている内容です。

ガリレオの時代は「天動説」から「地動説」へという世界観の転換期でした。

ガリレオは、初めは大学の教師をしていて牛乳屋の支払いに困るくらいお金がなかったので、フィレンツェに移って宮廷に仕えるようになりました。
フィレンツェに移ることで、生徒たちに講義する(地球の周りを太陽が回っているというような事実でないことを教える!)時間から解放されて、望遠鏡を使って観察して研究を重ねました。

しかし、つい十年前にはガリレオと同じような説を唱えた学者が異端であるということで火炙りにされたばかりで、
ヴェネチアからフィレンツェ(フィレンツェは坊さんが多い)に移ることと、ガリレオが地動説を証明することは彼の生命の危険でもありました。でも研究と美味しい食べ物のためにフィレンツェに移ることになりました。
フィレンツェでは、アリストテレスの書物を引用して地動説を信じようとしない者ばかりでしたが、
ヴェネチアの時から家政婦をしていたサルティさんの息子アンドレアはガリレオが新しい発見をする場面にいくつも立ち会って、ガリレオからたくさんの知識を得ていました。そんなアンドレアだけでなく、レンズ研磨工のフェデルツォーニ、平修道士のフルガンツィオといったように弟子たちも増えていきました。

地動説に手を出さないと署名し、数年間教会に配慮しながら、水に氷を浮かべたりして浮力の研究などをしてましたが、教皇が瀕死で後継はバルベリーニ枢機卿(以前ガリレオと会ったときに「あなたが必要」と言ってくれた数学者)っぽいとなったことがきっかけで、ガリレオは周囲から期待されていた太陽の自転を研究し始めました。
しかし、地動説にはもう手を出さないという約束を破ったことで、娘の婚約をおじゃんにしてしまいます。婚約者を追い返されたことで失神してしまった娘に「私には知らなきゃならんことがあるんだよ」とガリレオが言うのが、なんとも言えない切ない気持ちになりました。

ガリレオは異端審問所で脅されて地動説を撤回することになります。
「月は地球と同様に自分自身の光は持たない、金星もやはり自分自身の光は持たずに、地球と同様に太陽の周りを廻っている。木星は恒星の高さにあって、どんな殻にも固定されてはおらず、その周りを四つの月が廻っている。そして太陽は世界の中心であり、その位置にあって不動、しかし地球は中心ではなく、不動でもない」
これは、ガリレオが弟子たちに教えたことです。見たものを見なかったことにはできない。
ガリレオはペストが流行って町が閉鎖されたときも、研究のために避難をしなかった人です。
弟子たちは、ガリレオは暴力に屈さない、撤回するはずがないと信じて待っていました。世界が変わるのを信じていました。
でも、ガリレオは自説撤回をしました。
弟子たちは失望し、ガリレオを見限ってしまいました。

その後、フィレンツェ近郊で幽閉生活をするガリレオは、口述筆記で『新科学対話』を書いていました。
長らく会っていなかったアンドレアがオランダへの旅の途中に訪ねてきて、気まずい感じだったけど、ガリレオは『新科学対話』を完成させたことを話し、教会に取り上げられる前にコピーして隠しておいた写しをアンドレアに授けました。
こうしてアンドレアは科学の掟は科学に貢献することであると言って、ガリレオの自説撤回を許し、『新科学対話』は国境を越えました。


この本は、本当に面白くて、世界を変えるわくわくを味わえました。
読んでよかった。読み終えた今は眠たくてまともに物事を考えられないけれど、次起きたときに読み直して考えたいと思います。とにかくこの本を勧めてくれた人に感謝しかありません。この本のお陰でたくさんのことを学びました。

しかし、ガリレオのような天才が今を生きてたらどうなってるんだろうって思います。今の世界をどう見るんだろうって、気になります。

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