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レインボーに入れない黒色のくろくんの話

幼稚園の時、『くれよんのくろくん』の劇をした。それぞれの色が思い思い絵を描く中、くろくんだけは「綺麗な絵を汚さないで」と言われ、仲間外れにされてしまう。綺麗な色の中に、黒はいらないからと。

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この記事では、今年のプライドイベントの宣伝を見て、思ったことを書いていけたらと思う。

はじめに断わっておくと、レインボーを掲げて活動している方たちを冷やかす意図はない。世間の否定的な声やバッシングにも負けず戦う姿は、素晴らしいものだし、同じセクシャルマイノリティとしてとても尊敬している。ただ、そのレインボーの中で、メジャーなセクシャリティ以外、特にアセクシャルの一個人がどう感じているのかを知ってもらえたらと思う。


レインボーに入れない黒色

近年、様々な媒体で異性愛だけが愛の形ではないことが強調されるようになった。

同性愛を扱う漫画にドラマ

レインボーを掲げる会社にイベント

同性との片想いを扱った歌や音楽

けれど、そのレインボーが掲げられた空間の中で、Q+に相当するセクシャリティが紹介されることはほぼ稀だ。特に、アセクシャル、アロマンティックに関しては、性愛や恋愛が前提の「誰かを愛することは美しい」という信念が強いレインボーの中で埋もれてしまいがちで、同じセクシャルマイノリティの当事者からさえも、「まだ、いい人に出会っていないだけ」という言葉で片付けられてしまうこともある。

物語等で、稀にアセクシャルやアロマンティックの人物が描かれることはあっても、結果的には、恋愛至上主義の中で都合よく消費される存在にしかなれない。本来なら、「恋愛関係のない愛」や「性的欲求を含まない愛」だってあるのに、「多様性」を謳った空間の中で、メジャーな愛の形以外は無視されているのが現状である。

「レインボーの中に黒色は存在しないから」


LGBTQフレンドリー?

無意味に会社に掲げられるレインボーのフラッグも、包括的に見えてメジャーなセクシャリティしか扱わない排他的なプライド関係のイベントにも飽き飽きだ。LGBTQフレンドリーと言っても、文字が代表するセクシャリティ以外はまだまだ目を向けられていないし、実際に意識されているのは、圧倒的にメジャーなセクシャリティである。現在のプライドの姿勢は、セクシャルマイノリティの中で階層を再生産してるに過ぎない。


レインボー=恋愛・性愛

「LGBTフレンドリー」という言葉が浸透するにつれて、「性別関係なしに人を好きになるのはいいことだよ。」という言葉を聞く機会が増えた。けれど、そこで想定されているのは、あくまで性愛を含めた恋心であったり、そもそも誰かと恋愛関係を築くことであったりする。だから、レインボーの中に、7色を塗りつぶしてしまう黒色のアセクシャルの自分を見出すことはできないし、そもそも相手も想定していないだろう。


見掛け倒しの包括性

誰であっても好きになって良いという触れ込みの中で、特にアロマンティックは肩身の狭い思いをしているのではないかと思う。

―なら、恋愛的に人を好きになれない私はどうなの?

と。

そんなアロマンティックの人たちが本当に受け入れられていると感じる日まで、くれよんのくろくんまで参加した絵は描けないし、本当の意味で包括的にはなれないだろう。


さいごに

現在のレインボーが代表するのは、7色、もしくは6色であって、あくまで一部の色だということを頭の隅に置いておいてほしい。選ばれた色が配置され、それぞれの色が混ざり合わない虹は、まだまだ包括的になんてなれていない。


もし、本当の意味で、「レインボー」が認められるようになったのなら、くれよんのくろくんまで受け入れられる日が来たなら、そこに虹はかからないだろう。





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