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自己紹介2/2


中高時代について

前回では1浪の時に第一志望を一橋大学から慶應に変更した話をしましたが、そもそも中高時代の私がどんな生徒だったのかと慶應大学受験に至るまでのいきさつを今日は語りたいと思います。

・中学校時代
一言で言うと暗黒時代でした。
中学受験で入学した中高一貫の私立中高ですが、
合格発表で抜けている番号がなかったのでほぼ全入だったと思います笑

ただ、北海道でわざわざお金を出して私立中学に行く人は東京と違って少ないので、比較的裕福な家庭が多いと思います。私の母校もその例に漏れずに周りは親が医者とか歯医者の家庭が多かったと思います。なので、なんだかんだでみんな家庭環境は良かったので、荒れているとかはなかったのが救いです。そんな中学校で私は成績もぱっとしないし、スポーツも得意ではないので、いじめられるとかはありませんでしたが、スクールカーストでは下位だったと思います。マジ自尊心のかけらもありません。
当時の五科目の成績を5段階で表すと
英語 3
数学 3
国語 4
社会 5
理科 5
と理系か文系どっちなのかよくわからない感じでした笑
この成績が高校に上がると激変します。

・高校1~2年生
私の中学校は中高一貫校だったので、エスカレーターでそのまま無試験で高校に上がれるので、高校受験の勉強をしなくてもよかったのですが、そのせいか英語と数学は中学の学習範囲の理解が曖昧なまま高校に進学してしまいました。案の定、定期テストはそこそことれるのですが、学外の模試だと悲惨な成績となってしまい、このままではマズいと思って書店で手に取ったのが受験研究家兼精神科医の和田秀樹氏の著書でした。氏の手法にはいろいろと批判はあるかと思いますが、氏の受験業界における最大の貢献は受験は要領が大事であり、才能は要らないということを著書で主張したことにあると思います。もちろん灘の落ちこぼれから東大理科三類に合格したことをもってその手法が万人に通用すると考えるのは無理がありますが、少なくとも私立文系受験においては才能は不要だと考えます。とりあえず氏の著作で『和田式 高2からの受験術』と『和田式受験英語攻略法』を読んで高校2年生から英語の勉強からはじめてみました。その当時使った参考書としては
・山口英文法講義の実況中継 上・下←話し言葉なので、文法書よりわかりやすい
・ポレポレ英文読解のプロセス50←神本です!
・英文読解入門基本はここだ!←ポレポレの前に基本のおさらいで読む
・大学入試英語頻出問題総演習 即戦ゼミ3←学校で配られました。
・総合英語Forest←今は総合英語Evergreenという名前に変わっています。
がありました。比較的余裕があった時期に時間がかかる英語の基礎を固めておいたことが英語重視の慶應受験の勝因だったと思います。高校2年生くらいになると成績は10段階で表すと以下のような感じになりました。

英語 7
数学 5
現代文 6
古文・漢文 5
世界史 10
公民 10
生物 8
化学 8
相変わらず文系なのか理系なのかよくわかりませんが、英語が急激に伸びたことが最終的に文系に傾いていくきっかけになりました。余談ですが私の高校では理系を選ばないと物理は選択できなかったので、成績はわかりませんが中学理科では物理が一番得意だったので、もしかしたら10段階で9あったかもしれません。しかし意外と文系のくせに国語がそこまで得意ではないことが併願した早稲田受験のネックになることがこの時は知るよしもありませんでした笑

・高校3年生~浪人生
高校3年生に上がる頃には英語はある程度順調に伸びており、世界史は模試でも全国上位だったので一橋を諦めるまではずっと苦手科目の数学に時間をかけていました。和田本で『和田式要領勉強術 数学は暗記だ!―受かる青チャートの使い方』という本があり、おそらく氏の受験本で最も売れたと同時に最も論争になった本があるのですが、当時はこれを信じてひたすら青チャートを暗記してました。この頃の河合塾の全統記述模試の偏差値は
英語 63
国語 60
数学 55
世界史 75
とかだったと思います。当時は世界史の配点がもっと多ければいいのにとかぼやいていた記憶があります。

ただ、肝心の一橋模試では最高でもD判定でセンター試験も国語と数学でこけて全体で7割ちょいしかとれなくてあえなく撃沈しました笑
敗因としては数学に時間をかけたわりに伸びなかったことに加えて、他の科目の勉強時間もくってしまったため全体的に国立大学を受けるには準備不足となってしまいました。ただ落ちた直後はまだ一橋大学を諦めていなかったため駿台予備学校札幌校の東大・京大・一橋コースに入りました。しかしいくら数学を勉強しても一橋数学を攻略できるレベルには達せられる自信がなかったため、前期にはもう駿台を退学して宅浪で早慶受験に切り替えるつもりでいました。

そもそもなぜ慶應なのか

浪人生となって後がない自分としてはもう一度冷静に客観的に自分の今の実力を見直し、改めて進学先について考えてみました。現役生の時は一橋大学へのこだわりが強いあまり他の大学のことを調べていなかったのですが、自分の興味関心を元に自分なりに調べてみると早稲田・慶應にも魅力的なところがたくさんあることに気づけました。この点については詳しく後日紹介するとして、その中でも慶應大学にはより強い魅力を感じたので、慶應を第一志望に変更し、早速過去問を取り寄せて研究しました。慶應を選んだポイントとしては

・圧倒的な学歴のコスパのよさ

最初から下世話な話で申し訳ないですが、大学受験する目的は人それぞれいろいろあると思いますが、私のようにつまるところ人に聞かれて恥ずかしくない学歴を手に入れるためという人は一定数いるのではないでしょうか。私は大学の学位というのは親が子供に買ってあげる最後のおもちゃだと思っています、しかもこのおもちゃはどれも値段がほぼ一緒なのです。文系だと大学間でそこまで学費の差が無いし、私立対国立でも理系ほど差が無い。

だったらできるだけ良いおもちゃが欲しいですよね?
しかも限られた能力や時間でより良いものが欲しいと考えるのであればコスパ・タイパが重要です。もちろん5教科全部勉強して苦労して手に入れる学歴にもやりがいという価値があるのは否定しません。しかし私のように二兎を追ってて一兎をも得られないかもしれない人にとってはここは決断の時になります。実際に卒業して気がついたのですが世間的には一橋と慶應の学歴の評価に学力ほどの差は無いと感じました。もちろん平均的には一橋生や東大生の方が学力は高いと思いますが、社会に出たら学力だけではなく総合的に評価されるので、勉強だけでは無く遊びに通じてコミュ力もある慶應生も十分に評価される余地はあります。そしてなんといってもこの学歴が3教科入試で手に入るという圧倒的なコスパの良さです。成績は良くないもののまがりなりにも国立大学受験の準備をしていた自分にとって三科目で許されるなんて天国のようでした笑

・自分の得意科目が生かせるあるいは苦手科目が不利に働かない

夏には国立から私立専願に変更をして、志望校を早慶にしましたが、最終的には早稲田ではなく慶應を第一志望にしました。別に早稲田でも良かったのですが当時の自分の得意(苦手)科目から早稲田よりも慶應受験にエッジ(※)があると考えました。
※株式投資等において相対的に有利なトレードができる局面のこと
まず浪人時の自分の文系3教科の成績ですが、浪人してから英語がさらに伸びて全統記述模試の偏差値だと

英語 70
国語 65
世界史 75
という感じになりました。夏の段階で早慶は学部にもよりますが判定はB~Cくらいとれてました。特に世界史は現役時から得意で慶應法学部の過去問でも9割くらいはとれていました。
ただし私はこの中だと国語、特に古文が大嫌いでした。もともと現役時は数学で忙しかったので、古文など一番後回しでした。ただでさえ科目が少ない私立専願で苦手科目があるのはまずいと思い、予備校の講座などを受講したり、古文単語を覚えまくったのですが早稲田の古文がいっこうにできるようになる気がしなかった私は直前期の冬には古文は捨てることにしました笑

このあたりの経緯は後に詳しく書きますが、国語が別にそこまで得意ではない私は消極的な理由から国語が受験科目にない慶應が第一志望になりました。あと慶應を第一志望にした積極的な理由もあるのですがここについては次回書きます。今日もここまで長文にお付き合いいただきありがとうございました。また次回もよろしくお願いします。

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