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「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第二章 本犬守(その1)

お湯が沸き立つ音のような蝉の声。日光をさえぎるもののない墓地に立ちどおしで、頭がくらくらしてきた。髪の毛と制服のズボンは熱を吸収し、全身から汗が吹き出した。

館林の殺人的な猛暑のなか、墓地には犬守一族のほかに人影はなかった。犬守いぬもり家の長男である犬彦くんは、喪服姿で頭から肩まで段ボール箱をかぶり、祖父の墓前で手を合わせていた。

「先代の三回だというのに、なんなのかしらね、あの格好ときたら」

着物の喪服のおばさんが犬彦くんの背後で聞えよがしに言った。「背ばっかりひょろひょろのびて、おつむは空箱。親の顔が見てみたいわ」

そして小学生の一人息子のキャスケット帽をなでながら、「親の顔」にちらりと視線を送る。久作さんはじっとうつむいていた。

本堂でお経をあげる前、お寺の控室で、当主の久作さんから親戚一同にこんな説明があった。

「犬彦は中学に入ってから不登校になりまして、ごらんのとおり心を閉ざしてしまいました。
毎日部屋にこもりがちですが、本日は父の三回忌、まことにお見苦しい姿ですが、総領息子ということで連れてまいりました」

段ボール箱は外出用の引きこもり部屋なのだろうか。
前回館林にきたとき、円香まどかさんが犬彦くんの存在を隠そうとしていたことや、狛音こまねがしばらく犬彦くんの顔を見ていないと言っていたことの意味がわかった。

それにしても、こんな格好で出歩くなんてどうかしている……。

「犬彦くん、俺、お姉ちゃんの友達で、のぼるって言うんだ。この前は犬笛の吹きかた教えてくれてありがとう」

お墓に行くとき、思いきって話しかけてみたが、なにも答えてくれなかった。無視されたと思って傷ついたが、段ボールのせいで聴きとれなかっただけかもしれない。

のぞき窓があるのか、足どりはしっかりしていた。箱の下から首に古めかしい首輪をしているのが見えた。

狛音に小突かれ、われに返ると、合掌の順番がまわってきていた。あわててポケットを探るが、数珠じゅずがない。見かねた円香さんがそっと貸してくれた。

喪服の彼女はいっそう美しく、スカートからのびる黒いストッキングの足がなまめかしかった。

墓前に立てられた溢れんばかりの花は色あせていた。造花のようだ。墓石の影に入ると、すこし暑さがやわらいだ。

手を合わせ、頭を垂れた。線香から立ちのぼる煙は、目をつぶると、頭のなかでつややかな黒いストッキングの足になり、たちどころに蠅がとまった死者の足に変わった。

墓参りが終わると、車でレストランに移動した。うしろから親族を乗せたバスがついて来る。のんびりした田舎道をまっすぐ走り、6分ほどで着いた。

長いテーブルには16人分の会席料理がならんでいる。
背後にも同じ大きさのテーブルがあったが、瓶ビールの数は僕のいるテーブルのほうが2本少なかった。狛音と犬彦くん、着物のおばさんの息子も同じテーブルだった。

久作さんはスタンドマイクの前で挨拶すると、乾杯の音頭をとった。

僕はオレンジジュースのグラスを置くと、故人の思い出の料理だというげいカツに箸をつけた。肉はかたく、トンカツのほうがおいしい。
犬彦くんを見ると、段ボール箱の下から器用にサザエのつぼ焼きを食べていた。

「尾頭つきのお魚は、上身を食べたあと裏返さない! まったくお箸もまともに使えないのねえ」

はす向かいにいた着物のおばさんが扇子でテーブルを叩いた。獲物を狙う鷹のような目を正面の円香さんに向けている。
「さっきも割りばしを左右に割っていたわね。そもそも、泥棒猫にマナーを教えても無駄なのかしら」

おばさんは食事の席では、後妻の円香さんに難癖をつけていたが、

「ゆみ子さん、『泥棒猫』とはあんまりじゃないか!」

さすがに久作さんも耐えかねて、テーブルをはさんでちょっとした口論になる。

「あのおばさん、どういう人なの?」

「あの人は、分家のわけ犬守のゆみ子さん」

となりの狛音が口に手をあて解説してくれた。

分犬守のゆみ子夫人は、久作さんの従兄妹いとこのお義姉さんに当たるそうだ。
本家の先代・久兵衛きゅうべえさんが父親代わりに育てた妹の英子さんという人がアメリカに住んでいて、旧家の因習にうんざりして渡米したゆみ子さんの弟がその旦那という関係らしい。なんか複雑だ。

ともかく、本家であるほん犬守と分家の分犬守は、江戸時代から何世代にもわたっていがみ合っているということだ。

「お椀のふたも主人のあなたを差しおいて、さっさと取っていたわよ。とんだお嫁さんね」

「ゆみ子、もうそのへんにしとこうよ。ここはとむらいの席なんだし……」

人のよさそうな分犬守のご主人がたしなめたが、

「外様のあなたは口をはさまないでちょうだい!」

小さく肩をすぼめた分犬守のご主人のむこうに故人の祭壇が見えた。位牌いはいの前にはお膳とビールの注がれたグラスが供えられている。
立派な白ひげの久兵衛さんの遺影が目にとまった。いがみ合う両家をもの憂げなまなざしで見つめているようだった。

夕方、お屋敷にもどってくると、狛音は逃げるように車をおりた。そとで大きく息を吸う彼女を見て、レストランの会計を待っているとき、小声で言われたことを思い出した。

「今日は暢くんがいてくれてほんと助かったよ。あの女と同じ屋根の下にいるのもきついのに、半日いっしょに行動するなんて1人だと息がつまりそう」

僕は返事に困って苦笑いした。レジのほうに目をむけると、ここでも円香さんはゆみ子さんに小言をいわれているようだった。

「あの、ゆみ子さんっていう人が、LINEで言ってた〈ややこしい親戚〉?」

「うん。悪い人じゃないんだけどね」

〝新しいママ〟のことだけでなく、父親とゆみ子さんの板ばさみにもあうのだから、僕が彼女の立場でも1人じゃつらそうだ。

お屋敷の軒先に吊りさがった照明が灯っている。夏の夕方は明るいので、少しまぬけな感じがした。

玄関に入り、ローファーを脱いでいると、うしろで戸が閉まる音がした。スリッパを履いてふり返ると、犬彦くんが頭の段ボール箱を取っているところだった。まわりに汗がとび散った。

「……い、犬彦くん」

犬彦くんの顔を見て、思わず腰が抜けそうになった。「中学生なのに、そのひげなに?」

「驚かせたね。俺は犬彦くんじゃないんだ。伊怒いぬ工房といって、アラサーの売れない作家だよ」

男は口と顎にひげを蓄え、切れ長の目で僕を見た。鼻筋の通った涼しい顔立ちだが、ゆるいパーマの髪はびしょ濡れで、どことなく妖しい雰囲気を醸し出していた。

「僕は、光村暢といいます。あのう、〝イヌコウボウ〟って、名前なんですか?」

「暢くんか。さっきは話しかけてくれたのに、喋れなくてごめんな」

男は段ボール箱をベンチに置くと黒いネクタイをゆるめた。「〝伊怒工房〟は作家のペンネームだよ。いまは犬守家の家伝を書くために、住みこみで雇われてる身分なんだ」

「作家なのに、なんで段ボールかぶって犬彦くんのふりなんかしてるんですか?」

工房さんは廊下の奥に久作さんが去ったのを確認してから、

「久兵衛おうの三回忌に本犬守の長男が現れないのはまずいだろ。ゆくゆくは家長だからね。
ここは、そういうのにうるさい封建的な家柄だから。それでご当主に頼まれて、犬彦くんに扮してたわけ」

「本物の犬彦くんは?」

「相変わらず部屋に引きこもってるよ」

工房さんは段ボール箱を脇に抱え、廊下の奥へと消えた。

洞窟の入口に立っているように、ひんやりとした空気が廊下の奥から押しよせてくる。
本家と分家の争い? 段ボール箱をかぶって引きこもりの長男に変装? とんでもないところに来てしまったようだ……。

「暢くん、しばらくうちに泊まってけば?」

狛音に声をかけられ、夏休みのあいだ、しばらく犬守家にお世話になることになった。彼女のことを放っとけなかったし、不登校だという犬彦くんのことも少し気になっていた。

母に電話を入れた。〝犬守〟と聞いて二つ返事で許可してくれたが、

「行く前に言ってよ。最初からそのつもりだったんでしょ。そしたら、菓子折りのひとつも持たせられたのに」

言い返そうとすると、スピーカーからわめくような小次郎の声。僕はうんざりして電話を切った。

この日は午後からベテランお手伝いの虫江さんが、お屋敷の〝犬奥〟というところを案内してくれた。狛音も一緒で、彼女もはじめて来るという。

「ここは、公方くぼう様のお世継を絶やさぬよう30匹の側室のお世話をしている場所です」

虫江さんは眼鏡に手を添え、「かつて江戸城にあった〝大奥〟はご存知ですか。そのお犬版と言ったらわかりやすいかしら」

8畳ほどの和室にはカーペットが敷いてあり、あでやかな着物をまとった牝犬が飼われていた。
側室の犬は6匹いて、すべてトイプードル。同じような部屋があと4つあるという。

犬を将軍として崇めるだけでは飽きたらず、犬で大奥のまねごとまでするとは……。その徹底ぶりに、乾いた笑いがでた。

牝犬は髪飾りをつけていた。しゃがんで頭をなでると、ピンクの小さな舌で腕をなめてくる。

「公方様、ハーレムですね。いいなあ」

「男って、これだから」

狛音があきれたようにぼそりと言った。犬が足にじゃれついてきても気にとめず、どこか不機嫌そうに見えた。

「ですけど、お世継になる男御子はまだ生まれていませんの」

虫江さんが残念そうにこぼすと、狛音は頬をふくらませ、いっそうご機嫌ななめになった。なにが気に入らないのだろう? 僕はわけがわからず、牝犬を離して立ちあがった。

どこからともなく、サンタクロースのそりのような鈴の音が聞こえてきた。

「〝総触れ〟のお時間ですわ」

虫江さんがふすまを開けると、側室の犬がいっせいに部屋を飛び出した。

興味本位であとを追うと、廊下の角を曲がった先に、幅3畳の畳敷きの廊下がまっすぐのびており、両脇に着飾った犬が十数匹ずつ整列してお座りしていた。

廊下の奥では別のお手伝いさんが、天井からぶら下がるブドウみたいな鈴の塊のひもを引き、壁に沿って張ってあるひもに付いた無数の鈴が連動して鳴っていた。

「上様のー! お成ーりー!!」

お手伝いさんの声がして、奥の戸の錠がはずされる。

金色の戸がひらくと、人間椅子に抱えられた犬公方が、左右に円香さんと工房さんを従え、向かってくる。お手伝いさんたちがあとに続き、側室の犬のあいだを練り歩く。
僕は虫江さんに手を引かれ、廊下の端に犬とならんで正座させられた。

「なんですか、アレ!?」

「頭が高いです」

虫江さんは畳に手をつき、白髪まじりの頭をさげていた。
「ここは御鈴廊下といって、犬の女衆のなかから、公方様がお吠えになったものが夜伽よとぎの相手に選ばれ、ねやで一夜をすごすのです」

つられて頭をさげた僕に、虫江さんがそっと教えてくれたが、

「……お嬢さま、お控えください」

たちまち虫江さんの声色が変わった。

顔をあげると、狛音は突っ立ったまま一行と相対あいたいしていた。目に怒りの色を浮かべ、廊下をまっすぐ進んでいく。犬公方とすれ違いざま、

「メス犬」

と、円香さんをののしった。そのまま狛音は廊下の奥に消えたが、円香さんの顔は引きつっていた。生卵をぶつけられた要人のように。

人も犬も騒然とするなか、僕を見つけた犬公方は、人間椅子の腕から飛びおりた。黒目がちの目を爛々らんらんと輝かせ、一目散にこちらに走ってくる。既視感のある光景だ。

「上様、なりませぬ」

人間椅子の制止もむなしく、犬公方はワンとひと鳴き、立ちあがろうとする僕にのしかかる。荒い息を吹きかけながら、腰をふった。

僕は牝犬じゃない!

膝をついてはいずりながら、心のなかで叫んだ。

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