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「うやまわんわん〜犬将軍を崇める一族〜」第三章 分犬守(その2)

「さっきは見苦しいところを見せちゃったね」

誕生日パーティーのあと、僕はご主人の四郎さんとツナキチの散歩に出かけた。

青く晴れた空へ突き出したソフトクリームのような入道雲を見ながら、のんびりとした住宅街の道を歩いた。

四郎さんのリードをぐいぐいと引っ張って、ツナキチはうれしそうだった。犬なら外を走りまわりたいだろう。やっぱり駕籠かごで散歩なんて不自然だ。

「本犬守の綱プー……あ、いや、公方様と綱吉様、どっちが本物の生まれ変わりの子孫かで対立してるんですか?」

「まあ、そうだね。ゆみ子も普段はあんなじゃないけど、本家とのいざこざになるとスイッチが入っちゃうんだ。なにしろ両家のいさかいは江戸時代から続いているらしいから」

水筒をぶら下げた四郎さんはエプロン姿のままだった。宮崎駿はやおみたいな人である。
四郎さんは東京の「元禄温泉物語」で清掃の仕事をしており、週2で館林に帰る生活を送っているそうだ。

「きのうも綱吉様のお祝いに、家族3人で元禄温泉物語の〝綱吉の湯〟に行ったんだけど、ゆみ子が本犬守の〝綱吉の湯〟なんてビニールプールだとか馬鹿にしてねえ。
商売でやってる温泉と個人のお風呂を比べてもしょうがないんだけど」

「お台場のやつですね。行ったことないですけど、ジェットバスがついてる犬の温泉で、プールやドッグランもあるんでしたっけ?」

「うちはお金がないから使ってないけど、ホテルや酸素カプセルもあったよ」

「……お金ないんですか?」

僕が恐る恐るたずねると、

「先代の残した借金があってねえ」

「先代っていうのは……」

「ゆみ子の亡くなったお父さんだよ。代々ワンさんを尊ぶ由緒ある家系で、犬好きの僕は大いに共感して婿むこに入ったし、お義父さんの事業の負債も引き受けたんだけど……ゆみ子に頭が上がらなくてね。ほら、気位の高い人だから」

四郎さんは自嘲じちょう気味に笑った。借金を背負ったうえで、完全に尻にしかれている。よほどのお人よしか、物好きにちがいない。それにしても「ワンさん」!?

交差点の角にある銀行の前で信号を待っていると、短パンのすねがひんやりとした。足もとを見ると、ツナキチの鼻が当たっていた。

「あ~、かわいい~。ワンちゃんだ」

ツナキチは声のするほうを向いた。視線をあげると、キュロットスカートの女の子が近づいてきていた。

ツナキチの前に腰をかがめ、顎の下をなではじめた。尻尾がワサワサとゆれ、僕の膝をくすぐった。
女の子のうしろでは、プーマのTシャツをきた同級生くらいの男の子が、距離をおいて様子をうかがっている。

「やめなよ。犬はばい菌だらけってママが言ってた。噛まれたら狂犬病になって死んじゃうんだ」

男の子の敵意を感じとったのか、ツナキチの巻いていた尻尾がさがる。男の子はツナキチと目が合うと、電柱のかげに隠れてしまった。

「弱虫。こわいだけでしょ」

「大丈夫だよ。綱吉様はちゃんとワクチンを打ってるし、狂犬病は日本では撲滅されてるから」

安心させようと四郎さんが声をかけたところで、信号が青に変わった。

「犬に『綱吉様』だって、バッカじゃねーの」

男の子は吐き捨てると、横断歩道を走っていった。僕は吹き出しそうになるのを必死にこらえた。「ワンちゃん、バイバイ」と手をふると、女の子はプーマの背中を追った。
緊張がやわらいだのか、ツナキチの尻尾は元のとおり丸まっていた。

「散歩のときは気をつけなきゃね。まだまだワンさんが苦手なひとも多いから」

「僕も散歩中、歩道ですれ違ったおじさんに、『どけオラ!』って怒鳴られたことがあります」

僕らはさびれた住宅街の路地を歩いていた。ひび割れたアスファルトから雑草がのびており、通りすがりの民家の塀には色あせた選挙ポスターが貼ってある。

ポスターのそばには「犬のフン禁止!! 飼い主はマナーを守れ!」と貼り紙がしてあった。
散歩中に怒鳴られて以来、人とすれ違うときは、相手と小次郎のあいだに自分が入るようにしていた。

「光村くんもワンさん飼ってるんだ?」

「はい。3歳のトイプードルで〝小次郎〟っていうんですけど、こいつが言うことをきかなくて……僕を見下してるんです」

「徳川光圀みつくに公の犬にまつわる逸話を知ってるかい?」

僕が首をふると、四郎さんは話をつづけた。「生類憐みの令に不満だった光圀公は、水戸藩で500匹ものワンさんを殺して、綱吉公に毛皮を贈りつけたんだって。
綱吉公はもちろん憤慨したんだけど、光圀公相手ではとがめられなかったとか」

「あの、さっきから、その『ワンさん』っていうのは……?」

「ワンさん」のほうが気になって、内容が頭に入ってこなかった。

「ああ、僕には軽々しく『ワンちゃん』だなんて言えないなあ。敬意をもって『ワンさん』と呼んでいるんだ。だからね、人間が『言うことをきかす』なんて滅相もない」

「……はあ」

奥さんは奥さんで変わっているが、ご主人も相当変わり者のようだ。

僕らは土手に沿った道を散歩した。右手には小川がちょろちょろと流れており、左手にある生垣のむこうには小学校の白い校舎が見えた。

小さな橋をわたり、土手の道を進んでいく。周囲は住宅地からやがて見渡すかぎりの緑に変わった。舗装されていない道にツナキチは軽快な足どりになった。

「春になると土手に沿って桜が満開になるんだよ」

四郎さんは立ちどまり、水筒の水をツナキチに飲ませた。
「この川をまたいでロープが張られてね、そこに色とりどりの鯉のぼりが吊るされるんだ。桜並木のあいだを泳ぐ何千もの鯉のぼりは壮観できれいだよ」

ふたたび四郎さんは歩き出した。川は土手に生い茂る夏草のなかに埋もれていた。むこう岸には『ナウシカ』の王蟲おうむの群れのような森が道まで迫ってきている。

「そういえば、狛音こまねちゃんがまだ小さかったころ」

分厚い蝉の声を伴奏にして、四郎さんが話しはじめた。
「犬彦くんにだけ鯉のぼりを買って、自分が買ってもらえないのはズルイって、ここの桜によじ登って鯉のぼりを持って帰ろうとしたことがあったな。男まさりな女の子だったよ」

「ハハ、狛音らしいですね」

でも、その反面、ぬいぐるみや人形遊びが好きだったり、女の子らしいところもあった。

「本犬守の庭に大きな柿の木があるでしょ」

「……いえ、見てませんけど」

離れの裏側にまでまわったが、庭木は松ばかりで柿など見かけなかった。灯籠とうろうのそばに切り株があったような、なかったような。

「そうかい、おかしいな。まあともかく、狛音ちゃん、庭の柿の木にもよく登って柿を取ってきてくれてね。久作さんに内緒で、たまにうちにもおすそ分けしてくれたんだ。懐かしいなあ」

分犬守の屋敷に帰ってくると、狛音は鮪吉ゆうきちくんの部屋にいた。
4畳半ほどの和室にはじゅうたんが敷いてあり、ぼろぼろの黒いランドセルのかかった学習机や、101匹わんちゃんのタオルケットが畳まれたベッドが置いてあった。

ピコンピコンと電子音が鳴っている。部屋に鮪吉くんの姿はなく、狛音が1人でゲームをしていた。

ゲームといっても、レトロな喫茶店に置いてあるようなテーブル型のゲームだった。
学習机の横に置いてあるテーブルをのぞきこむと、ドット絵のばい菌みたいな集団が画面上をカニ歩きしていた。

「インベーダーゲームっていうんだって。『U.S.A.』のインベーダーダンスもここから来てるらしいよ」

テーブルに映った狛音の顔は真剣そのものだった。電子の爆発音がすると、「あ、死んだ……」

狛音はカギを使ってゲーム機から料金箱を引き出し、100円玉を取り出すと、また投入してゲームをつづけた。

金持ちなのか貧乏なのかわからない家だった。かつて豊かだったころの面影はいたるところに感じられた。昭和のお金持ちの家にタイムスリップしたみたいだった。

「ねえ、トイレどこかな?」

「奥座敷の縁側の先」

画面に顔をむけたまま、狛音は答えた。また爆発音がして、「あ、死んだ……」

「ただいま」

奥座敷では鮪吉くんがアニメを観ていた。座布団を抱いてテレビの前に座っており、声をかけても返事はなかった。
テレビはやはり木目調の家具のような箱型で、ダイヤル式のチャンネルだった。

縁側の廊下に出ると、トイレらしき扉が見えた。もしやトイレもボットン式ではないかと思ったが、こちらは水洗式だった。

「じゃあ、あたしたちこれで失礼します」

「また遊びにいらしてね」

「お姉ちゃん、バイバイ」

鮪吉くんに手をふり、ゆみ子さんに一礼して、僕らは分犬飼をあとにした。四郎さんは犬の足を拭いたあと、食器の片づけ、お風呂掃除とてんてこ舞いで出てこられなかった。

外はまだ明るかったが、むせかえるような暑さは少しやわらいでいた。
うなぎ屋の看板がほのかに灯り、買い物袋をさげた主婦たちが通りを行きかっている。街は昼間より活気づいて見えた。

「ゆみ子さん、〝夢丸の首輪〟のことより湯たんぽの自慢してたね」

排気ガスの混じったアスファルトの熱気のなかを歩きながら、狛音に話しかけると、

「それとなく探ってみたけど、首輪見つかんなかった」

「えっ? 探してくれてたんだ」

こともなげに彼女に言われ、僕はおどろいた。

「あたしなら分犬守に怪しまれないからって、もともとあいつに頼まれてたのを無視してた件だったから」

「そうなの?」

「あいつはどうなってもいいけど、のぼるくんに迷惑かけるのはちがうと思って」

狛音はポケットの鍵をカチャカチャと鳴らしながら、あさってのほうを見て言った。口では文句を言いつつも、僕を気にかけてくれているのが彼女らしい。

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