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休みに作る父の昼飯がリュウジ

youtubeでバズレシピを紹介している、料理研究家のリュウジの料理は、手間が少なく味が濃くてガツンとおいしい、男の味方のような料理だ。リュウジを知ってからというもの、我が家の食卓には憑りつかれたかのように、リュウジのレシピが並ぶようになった。

発端は、リュウジのレシピ本を買った事であった。3か月ほど前、僕はダイエットと料理という、苦手としていた2つのことを一気に解消するため、レシピ本を買った。そのことはnoteにも書かせてもらい、ダイエットのレシピ本を買ったにもかかわらず、新種の会談かと思う程の奇妙な行動に、自分自身が驚くほどであった。

この時に買った本が、リュウジのダイエット料理をまとめたレシピ本だった。当時リュウジのことも知らず、何も考えずに購入したものの、作ったものがすべておいしく、ダイエットしている感覚がないほどであった。不思議なのは、体重が3キロ増えたことぐらいだ。何故だ。ダイエットレシピを3人前食べてるだけなのに。

とはいえほとんど料理ができなかったころからすると、見違える進歩である。今ではオートミールチャーハンは僕の得意料理の一つだ。さらにリュウジのyoutubeチャンネルを見て、豚汁やハンバーグなんかも作った。こうして作れる料理のレパートリーが増えていくと、今度は自分から作りたいものも出てきて、あの頃が嘘のように今では、リュウジのyoutubeを見ながら、いろいろな料理を作っている。そんなときに思ったのだ。


僕の子供にとって、父の味がリュウジになる。と。


子供のころ、休みの日のお昼ご飯は、父がよく作ってくれていた。父の料理は、味が偏りまくったチャーハンや、やたら味の濃い焼きそばなど、とても荒く豪快な料理が多かった。だが父が作ってくれる特別感が、あの頃はなんだかうれしかった。

これから先、僕も休みの日に家族分のお昼ご飯を作って、振る舞うという機会があるかもしれない。父が僕にしてくれたように、チャーハンや焼きそばを家族分作って、僕の料理を食卓で囲む。そしてそれは、子供にとっては特別なものになる可能性も高い。だがその料理が、リュウジなのだ。僕の料理は、リュウジの料理。

考えてみてほしい、この時点で「僕の料理 = リュウジ」なのである。そして子供にとっては、「思い出の休みの日のお昼ご飯 = 父の味」ということになる。そして僕が父として料理を提供するわけだから「僕の料理 = 父の味」ということにもなる。この3つの連立方程式を解くとどうなるか。


思い出の休みの日のお昼ご飯 = リュウジ

もう、リュウジなのだ。


僕の子供にとって、父の味がリュウジになるということは、思い出のリュウジなのである。これが異性ならまだしも、同世代の男性なのだ。僕の子供は、僕の味として同世代男性のレシピの味を覚えていく。子供の思い出の父が、一部リュウジに持っていかれる。なんだ、この味わったことない種類の感覚は。



これから先、「休みの日、父が作ってくれたお昼ご飯」という子供の思い出には、一定の割合でリュウジが割り込んでくることは、避けられない現実である。もはやリュウジはお料理お兄さんというより、日本人の父、休日の昼食マンと言っても過言ではない。もはや「休みの日のお昼ご飯は父が作ってくれる」と言われず、「休みの日のお昼ご飯は、父がリュウジを真似る日」として子供に笑われる日も近いのかもしれない。


「今日はお父さん、リュウジのどの料理作るの?」


こういう会話ができるなら、それはそれでいいか。

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