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ナップサックを許すな

教育は、よりよい子供の成長のために、人間たちが苦心し積み上げてきた、歴史の集大成でございます。これまで幾度となく議論が繰り返され、時代に即した考え方を取り入れ、子供たちに提供されてきました。過去の教育に対して、異論や反論は出ているものの、それを反省として常により良いものに更新され続けているのが、教育であると考えております。

ただアラサーの私はゆとり教育世代として、他世代からは白い目で見られることも正直ございました。甘やかされてきたからメンタルが弱い、すぐにやめる根性が無い、都合が悪くなったらパワハラと言い出す等々、時代格差という面も否めませんが、教育名が世代を象徴している我々は、教育によってそういったマインドが備わったという面が無いとは言い切れないと思います。

ですが私は、そんな中でも教育が間違っていたとは全く思いません。今は違った教育になっているのかもしれませんが、我々が受けた教育その時代に最善と考えられていたやり方であり、その教育によりメンタルは壊しやすいかもしれませんが、逆に言うと協調性のある世代になれたのではないかと考えております。歴史と反省の中に教育があるからこそ、受けてきた教育、これからされる教育に対して、私は信頼をしております。

ですがそんな日本の教育に対して、どうしても許せない事がひとつだけあります。

これだけ絶大な信頼を寄せている教育ですが、文科省プラカードを持って、抗議してやろうかと思うほど、許せないと思っている事があるのです。



なぜ、日本の教育現場では

子供に、ナップサックを作らせるんですか。



そもそもナップサックが、身に着けてはいけない装備品であることは、周知の事実でしょ。男性が支払いの時に、マジックテープの財布ビリビリ開けるのが恥ずかしいみたいな笑い話はよく聞きますけど、財布がナップサックから出てくる方がヤベェに決まってますからね。大体、未だかつてナップサックが許容された時代が無いじゃないですか。

しかもナップサックって、別に量が入る訳でもないし、持ちやすい訳でもないでしょ。全然リュックサックとか、トートバックに負けますもんね。機能性すら何らメリットが無いカバンなんですよ。


さらに極めつけはデザインでしょ。

何故、ドラゴンを選択できるようにしちゃうんですか。


大前提として、別にサッカーやってる男の子が選ぶスポーツメーカーのロゴとか、女の子が選ぶファンシーなキャラクターだって、鬼ダサいんすよ。どうやったってダサくなる魔法のカバンがナップサックですから、そこは前提としてある訳です。

そこからさらに、ドラゴンが選べてしまうんですからね。ダサナップサックに、さらにダサドラゴントッピングできちゃうんですよ。なんすかこの激ダサマシマシは。

ダサさの数え役満なんて、教育の現場にあってはならない事でしょう。ですから私は、ナップサックを作り、デザインが選べるという奇行だけは、決して許してはいけない、教育の間違いだと考えているのです。



教育は歴史です。

過去の失敗や、新たな研究などを踏まえ、最善を尽くして子供をよりよく成長させるものこそ、教育でございます。


今こそ、考え直す時が来ております。

ドラゴンのナップサックいまだに使う私の様な、悲しき激ダサモンスターこれ以上生み出さないためにも。

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