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随筆(2020/6/30):人間関係のかなり初歩としての、「人を悪者にしない、バカにしない」(4終)お願いとお礼をしましょう

5.要するに、「ゴミ扱い」や「道具扱い」を、するのもされるのも避けていれば、人間関係で困るようなことは大幅に減る

要するに、「ゴミ扱い」「道具扱い」を、するのもされるのも避けていれば、人間関係で困るようなことは大幅に減る。ということです。

逆に、「ゴミ扱い」「道具扱い」をしている時点で、「人間扱い」からは大きく外れる。
まして、「こいつがゴミだと感じた理由を正当化する理屈」を探して、「悪者である」「バカである」「無能である」にたどり着いたのだとしたら、それらは直ちに棄却した方がいいやつです。
そんな理屈があろうが、何だろうが、「ゴミだと見なしてよい」とも、「ゴミ扱いしてよい」とも、決してなりはしないんだから。

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例えば、「ゴミだと感じてしまう」ことと、「ゴミだと見なしてよい」こととの間には、実はかなり大きな距離があります。
まして「ゴミ扱いする」ということは、もっと行きつくところまで行ってしまった話です。

これらの「近さ」や「同じところ」ではなく、「遠さ」「違い」「区切り」について、よく覚えておきましょう。
こうした「区切り」が、世俗世間において、様々な「場所」をもたらしているのだから。
それは、「全て同じにすると素晴らしい」という「近さ」を理由に、ブルドーザーめいて蹂躙していいものではない。

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例えば、さっきの話に戻ると、感じ方と、見方と、扱い方は、全部違うものだ。そこは丁寧に分けた方がいいですよ。

生活に余裕が出てきたら、生活の旨味を享受することが出来るようになる。ここからが、豊かな、そしてあわよくば、幸福な生活というやつだ。
そして、世俗世間は、でかい海獣(リヴァイアサン)の肉の塊のようなものだ。
それらのは、「部位」によって、実は全部違う。
部位と味の違いが分かると、その時その時に食いたい肉の味が何なのか分かってくるので、その時の気分によりマッチした肉を、美味しく食えるようになる。
そうした、でかい肉塊に包丁を入れて、「面倒」な「部位」の「肉」を「食う」ことが、どうしてもついて回ります。

漫画_胎界主_生体金庫_リヴァイアサン_10

「部位なんてどうだっていい」? 別にいいんだけど、もったいない食い方してるなあ…
まして、隣の人のハタやフグの刺身に、「しゃらくせーよ!」と言いながら、ソースだのマヨネーズだのかけないで欲しいんですよ。そこはお願いしますよ。マジな話として…

6.お願いとお礼をしましょう

最後に少しだけ、「しない方がいい」話ではなく、「した方がいい」話にも触れていきます。

何か。

「人に何かしてもらう時はお願いをして、終わった時にはお礼の気持ちを示した方がいいでしょう」

ということです。

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「わざわざやって下さって、大変助かりました。ありがとうございます。何らかの報恩もしたいし、お礼が言いたい。せめて何らかの祝福をお祈りしたい。それに値するだけのことはされたのだと認識しております」

というのが、人と人とのやり取りでしょう。
そこで交わされている労務への査定だけでなく、それをした主体への敬意があって、初めて成り立つレベルの感情だ。
これは当面、仲間内では非常に大事になってくる話です(完全な仕事組織である職場だとちょっと違うけど)。

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そんな訳で。
人間関係や仲間内、いつからでも遅くない。もちろん、今からでも遅くない。
人間関係や仲間内、やっていきましょう。

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